「下半身を舐められたり、お尻に入れられて…」小5で男性家庭教師から“おぞましい性虐待”…男性の性被害当事者(38)が明かす、子ども時代の記憶

2025年4月29日(火)12時10分 文春オンライン

 小学5年生のときに、男性家庭教師から性加害を受けた後藤慶士さん(38)。幼少期におぞましい被害にあった後藤さんは、男性への嫌悪感を強め、人間関係の構築に苦労したこともあったという。


 現在は会社を立ち上げ、SMマッチングサイト「Luna」を運営。性にコンプレックスを抱えた人たちの“居場所づくり”を行っている。


 後藤さんはどんな環境下で被害に遭い、どのような“後遺症”に苦しめられたのか。話を聞いた。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)



後藤慶士さん ©細田忠/文藝春秋


◆◆◆


将来を期待され勉強漬けだった小学生時代


——後藤さんはどのようなご家庭で育ったのでしょうか。


後藤慶士さん(以下、後藤) 父親、母親、弟の4人家族です。母親が教育熱心な人で、幼稚園くらいから知育玩具で遊んでいました。世間一般で言う「教育ママ」だったと思います。


 小学生の頃には、習い事を週に7〜8個くらいしていました。水泳、そろばん、ピアノ、習字、サッカーなど……忙しい幼少期でしたね。塾も週に3回行ってましたから。


——遊ぶ暇もないほど忙しそうな小学生時代ですね。


後藤 中学受験を目指していたこともあって、小学生の頃はずっと勉強漬けで。小学5年生のときには、塾から切り替えて、家庭教師に勉強を教えてもらうようになりました。


 母親が行かせようとしていた中学の名前からすると、高校、大学も偏差値の高い学校に行ってもらいたいと思ってたのかなって。当時は、将来を期待されていたのかもしれません。


——お父さんはどんな人でしたか。


後藤 父親は寡黙な昭和の男性という感じでした。子どもの教育は全部母親に任せていて、基本まったく関与してこない。


 子どもの頃から、教育に関しては話すこともほとんどなかったですね。半年に1回喋るか喋らないかくらいで。いわゆる放置主義な父親でした。


膝の上に乗せられることから始まった性加害


——小学5年生から雇った家庭教師は、どんな人だったのですか?


後藤 教育系の大学に行っている23歳の青年です。誰かの紹介なのか、何かのプログラムで来たのかはちょっとわからないですけど、普通に愛想のいいお兄ちゃんという感じでした。


——最初の印象で違和感はなかった?


後藤 まったくなかったですし、むしろ好印象でした。勉強以外でも、僕や弟の面倒を見てくれて、遊んでくれたりもしたから、いい人だなって感じてました。


 両親もずっと、彼にいい印象を持っていたと思います。まさか性加害をするような人だとは想像もできなかったです。


——家庭教師を雇ってから、どのくらいで性加害が始まったのでしょう。


後藤 数ヶ月くらい経ってからだったと思います。週3〜4回くらい家に来ていて、いつも畳の部屋で勉強をしていたんですけど、最初は相手の膝の上に乗せられるところから始まりましたね。


 普通の家庭教師って、隣に座って勉強を教える感じだと思うんですけど、彼は僕のことを膝の上に乗せながら勉強を教えてくれました。でも、弟もそういう感じで教えてもらっていたので、なんの違和感もなくて。


 その後、だんだん行為がエスカレートして、相手からキスをされるようになりました。頬だけではなく、口にもされるようになって。


「徐々に性器を触られたり、舐める行為も…」性加害はさらにエスカレート


——キスをされたことへの疑問は感じませんでしたか?


後藤 なかったですね。僕は、性について理解するのがすごく遅いほうだったんです。当時はインターネットが出始めたくらいで、今みたいに情報を得る手段がなかった。


 それに我が家は厳しい家庭だったので、雑誌やビデオなど、性の情報源が家の中に何もなかったんです。


——情報がないとわからないですよね。


後藤 だからキスに対しても、お母さんが赤ちゃんの頬にするイメージを持っていて、それが性的な意味を持つとは想像もできなかった。


 家庭教師からキスをされたときも「スキンシップの多い仲のいいお兄さんが、愛情表現をしてくれてる」という感じでしたね。それが悪い行為かどうかも判断できなかった。


——その後、さらに行為がエスカレートしていったそうですね。


後藤 徐々に性器を触られたり、逆に相手の性器を触らせられたりしてました。たしか、舐めるとかもしてたと思います。家庭教師が週3〜4回家に来るなかで、勉強はそっちのけで、ほぼ毎回そういった性加害がありました。


 そしてあるとき、「お尻に入れるのと入れられるの、どっちがいい?」と質問をされたんです。


家庭教師の行為に不信感を抱かなかった理由


——質問の意味を理解できなかったのでは。


後藤 最初は言ってることの意味がわからなかったけど、痛そうだから入れるほうがいいなと思いました。ただ、初めのうちは入れる側でしたけど、回数を重ねていくうちに、結局両方やることになって。


 その行為を初めてしたときも、「気持ち悪い」とか「嫌だ」という感情はなかったんです。ただの子どもの遊びの延長、みたいな感じで「なんだこれ。繋がってる、電車ごっこみたい、おもしろい!」と思っていました。 


——その行為で家庭教師に不信感を抱くこともなかったのですか。


後藤 僕にとっては信用している仲のいいお兄ちゃんなので「この人が言ってるんだったら大丈夫か」と思っていたんです。


 しかも、それまでに触る・触られるという行為もずっとやっていたので、入れる・入れられるという行為に対しての疑問も湧かなかった。その時点でも、性加害という認識すらなかったです。


 今思えば、グルーミング(性的手なづけ)されていたんですよね。なにも知らない子どもに教えこんで、それを普通だと思わせてしまう。


「何がダメなのかは説明ができないし…」家庭教師との行為を両親に相談できなかったワケ


——そういった行為は、自室で行われていたんですか?


後藤 子ども部屋ではなく、誰でも入れる和室でした。だから鍵とかもかかっていなかったし、なんなら親のいるリビングとも近い距離でした。親が入ってきそうな雰囲気のときは行為を急いでやめたり、隠したりして。


——ご両親に相談することもなかった?


後藤 子ども心に、なんとなく親には言えないことをしている、という意識はあったんです。何がダメなのかは説明ができないし、頭では理解できなかったけど......。だから相談することもできなくて。


——いつまで性加害が続いたのでしょう。


後藤 小学校5年生ぐらいから小学校6年生が終わる頃までなので、1年半くらいの間ですね。


 中学受験が終わったら、がっつり勉強することがなくなって、家庭教師も来なくなったんです。しかも、中学校に上がるときに引っ越しをして、隣の市に移ったんですよ。


——志望していた中学校には受かったんですか?


後藤 中学受験は当然失敗しました。家庭教師が来ても勉強の時間は2〜3割しかなかったから、頭に入るわけないですよね。


 中学受験に失敗したあとは、家の教育方針が変わった気がします。習い事も一切しなくなって、母親から「勉強しなさい」としつこく言われなくなりました。あまり期待されなくなったけど、自由にはなりましたね。


性加害だったと理解し始めた頃、家庭教師が戻ってきて…


——家庭教師の行為に違和感を持ち始めたのは、中学生になってからだそうですね。


後藤 中学に入ると周りの同級生たちが性に興味を持ち始めて、そういう話題をよく話していたんです。性行為の存在や、性器を触るという行為の意味とか。


 それで、だんだんと家庭教師との行為が何だったのかがわかり始めて。あれは良くないことだったんだと認識するようになりました。


——性加害を受けたことを初めて理解した。


後藤 中学に入って半年ほど経ってから、家庭教師がまた戻ってきたんです。すごく仲が良かったから、母親が「またあのお兄さんに勉強を教えてもらおっか」って呼び戻したんですよ。


 ただ、そのときには性加害を受けたという認識があったので、気持ち悪くて仕方がなかった。僕が拒絶するような態度を取っていたから、家庭教師も触ったりはしてこなかった。


——仲が良かったと信じきってるお母さまは、不審がりませんでしたか?


後藤 母親は、単なる思春期の反抗だと思っていたようです。僕が拒絶的な態度を取るようになったので、少し経ったら家庭教師は呼ばれなくなりました。


——家庭教師の行為が性加害と気付いてから、ご自身に変化はありましたか。


後藤 家庭教師の行為の意味に気付いてからは、男性に対して強烈な嫌悪感を抱くようになって。フラッシュバックも起こすようになったんです。


写真=細田忠/文藝春秋

〈 「男性の性被害は『我慢して当然』という風潮があった」小5で“男性家庭教師から性虐待”を受けた性被害当事者(38)が語る、壮絶な過去を隠し続けたワケ 〉へ続く


(桃沢 もちこ)

文春オンライン

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