群ようこ68歳にしてお茶を習う。気が付くと手がドラえもん、地震のように大揺れの釣釜…頭の中ではわかっているはずなのに、体は思うように動かず

2024年5月2日(木)12時30分 婦人公論.jp


イメージ(写真提供:photo AC)

文化庁の生活文化調査研究事業(茶道)の報告書によると、茶道を行っている人が減少する中、平成8年から28年の20年間で70歳以上の茶道を楽しむ人は増加し続けているという。人生100年時代の到来で、趣味や習い事として茶道に触れる機会が増えていると考えられる。そんな中、68歳にしてお茶を習うことになった、『かもめ食堂』『れんげ荘』などで人気のエッセイスト・群ようこさん。群さんが体験した、古稀の手習いの冷や汗とおもしろさを綴ります。お稽古が始まり、お点前の実践も体験した群さん。YouTubeや参考書で復習も頑張っています。しかし、ある日お稽古場に行くとそこには見慣れないものが——。

* * * * * * *

釣釜が揺れる


三月のお稽古の初日、お稽古場にいったら、天井から鎖で釜がぶら下がっていた。

(えっ? いったいどうしたの?)

驚きつつ室内をよく見ると、炉を切ってある部屋の角のところに、上段に小さな襖がついた、菱形の3本足の黒い塗りの棚があった。下段にはいつもなら水屋から運び出す水指が、すでに置いてある。師匠から、

「ぶら下がっているのは釣釜といいます。形としては鶴首釜ですね。棚は徒然棚で、別名、業平(なりひら)棚ともいいます。

下の段のところに業平菱の透かしが入っているでしょう。お客様が座る方にひとつ、亭主が座っている左側、つまりお客様から遠い下座のほうを勝手付といいますが、そちらのほうに2つありますね。この棚には小さな襖がついていてかわいいんです。

この中にすでにお棗(なつめ)が入っているので、お点前のときに運び出す必要はありません。水指も置いてあるので、このまま使います」

と説明を受けた。天井から吊っているために五徳がなく炉の中の炭がよく見え、風も通り春らしい爽やかな雰囲気を醸し出すのだという。

棗や水指を運び出す手間がひとつでも省けるのは楽でいいなと喜びつつ、師匠の許可を得て、引き手にぶら下がっている短くてかわいい布をそっと引いて襖を開けてみたら、見覚えのある棗が座っていた。

シルバニアファミリーの純和風のお部屋、といった感じで愛らしいのではあるが、基本の薄茶のお点前さえちゃんと覚えられていないのに、天井からぶら下がって安定しない釜と、このはじめての棚を前にちゃんとできるかどうか不安になる。それを見越したように、師匠が、

「なぜかこの棚のお点前は、みなさんちゃんとできるんですよ。だから大丈夫」

といってくださるが、私がちゃんとできるかどうかはわからない。

水屋で運び出す茶碗に、茶巾、茶筅、茶杓を仕込んでいるときに、

「棚があるときは、竹ではない蓋置を使うので、どちらでもお好きなほうを選んでください」

と教えられた。見ると棚に、桜の花が透かし彫りになっているものと、ぼんぼりの火が灯る部分を象った蓋置きがあった。ぼんぼりのほうを建水の中に入れ、柄杓を掛けておく。

(あーあ、また立ち座りをするたびに、痛くはないけど、足からいろいろな音が聞こえてくるだろうな)

と思いつつ、水指、棗はすでに棚にあるため、茶杓などを仕込んだ茶碗を持って、炉に対して斜めではなく、棚の正面に座った。そして茶碗の右真横、左手前と持ち替えて、勝手付に割りつける。

次に右手は膝の上にのせたまま、左手で左側の襖を開け、左手を膝の上に戻して右手で右側の戸を開ける。右手で中の棗を取り出し、左手に受ける。そのまま右手で右側の戸を閉め、右手に棗を持ち替えてから、左手で左側の戸を閉める。右手の棗を棚の正面の右寄りの畳の上に置き、勝手付の茶碗の左手前、右真横、左真横を持って、棗の左横に置く。

一度に両側の襖をばっと開けて取り出さないのは、客人に襖の内部を見せないためである。取り出す所作はともかく、使わないほうの手を膝の上にのせるのを忘れてしまい、空いている手が空中でドラえもん状態になっていたり、両手で棗を持とうとしたりしてしまう。

(亭主は右手は必ず右膝の上、左手は必ず左膝の上と、教えていただいただろうがっ!)

と自分自身に腹が立ってくるが、師匠から、

「右手……」

といわれてふと気がつくとドラえもんになっているのが情けない。膝の上に手はあるが、右手が左膝の上、またその逆だったりすることもある。自分でもどうして体をねじってしまうのかはわからないが。気がつくとそうなっているのである。

お点前は薄茶と同じなのだけれど、口が細く、天井からぶら下げられている釜から、湯を掬すくうのも大変で、だんだん釜の揺れが激しくなってきた。釣釜には春の季節のゆらぎを感じさせる風情があるらしいが、それとはほど遠い、

「地震か?」

と不安になるような揺れ方だった。

「釜の口が細いから、やりにくいわね」

師匠が鎖と釜の鉉(取っ手)を持って揺れないようにしてくださった。

「申し訳ありません」

と謝りながら、湯を掬ったり、水を一杓補充したりして、やっとぶら下がるお釜との闘いは終わった。


イメージ(写真提供:photo AC)

右手と左手の鉄則


先輩方のお点前を拝見するのはとても勉強になる。なぜ闘球氏や白雪さんがお点前をすると、釜がほとんど揺れないのか。私がしたときは、師匠が止めるほどの揺れだったのに、優雅に揺れているだけである。これがお稽古の年数の差なのだろう。

御菓子は、お薄は江戸時代の禅僧仙がい和尚(せんがいおしょう)ゆかりの○□△を模した「茶果」という干菓子。お濃茶は「佐渡路(さどじ)」だった。緑色のきんとんの上に、菜の花のような黄色のそぼろが、ところどころにあしらってあるのがとても愛らしい。

梅子さんがいるときは、私が点てたお茶を飲んでくれるけれど、彼女が仕事でお休みのときは、自分で点てて自分で飲む自服になるのだが、どうもおいしくない。味が薄っぺらいのである。

さすがに先輩方が点ててくださったものは、味わいがある。いつになったら、そこまでできるようになるのやら。いつまでも手の動きすらできないようでは、道のりは遠いとため息しか出てこないのだった。

次のお稽古のときは、母のところからまわってきた木綿の薩摩絣(さつまがすり)を着ていった。といっても以前に着た笹柄の紬(つむぎ)同様、お金を出した私のところに戻ってきたものである。この着物もあまり好きではないので、お稽古用になった。

帯は京紅型(きょうびんがた)の九寸帯にした。徒然棚のお稽古の二回目だが、お釜は相変わらず天井からぶら下がっている。床の間のお軸は先代の家元の書で「花始開」と書いてあるのだと、師匠が教えてくださった。「今日」の銘が入っていた。

お花はバラの新種で、薄緑色でまるで芍薬のように花びらがたくさんついている。薄紙のような繊細な花びらが美しかった。

私は最初からお点前の段取りを忘れたうえに、やはり右手と左手の鉄則が守れず、そこに集中すると、棗を取り出すときに、右側の襖から開けようとして、師匠から、

「あら?」

と声がかかる始末である。頭の中ではわかっているはずなのに、どうして体が思うように動いてくれないのかと腹立たしい。まあ年齢的にいって、どこかの配線が切れているのだろうが、もうちょっと何とかなって欲しいものだ。

そのうえやはり着物だと立ち座りがうまくできず、もっと下半身にゆとりをもたせた着付けができないといけないのがよくわかった。

帛紗捌きをしているときも、

「ちょっと待って。帛紗はそれで大丈夫ですか」

と師匠からストップがかかり、広げてみたら持っていた帛紗のわさの位置が違っていたことが判明した。懐中するときのたたみ方から間違っていたらしい。それと柄杓の持ち方が、この場合は上から持つのかそうでないのかが、まだいまひとつ理解できていない。

釜の蓋を取る前に、カニばさみの手つきで、左手で柄杓と帛紗を持って、右手で帛紗を取り、つまみにかぶせて蓋を持ち上げ、蓋置に置くのだけれど、いくら右手でひっぱっても帛紗が取れない。

「あのう、帛紗が取れないんですけど」

そう小声でいったら、師匠が、

「えっ、あら、どうしたのかしら」

とつつつと寄ってきて、

「もう一度やってみましょう」

と傍らで見ていてくださった。正しくは左手の人差し指と中指で帛紗をはさんで、親指と人差し指で柄杓の柄を持つのに、私はその両方を親指と人差し指で持っていたので、帛紗が取れるわけがないのだった。

(くくーっ)

前にできたことができない。これがいちばん悔しい。三歩進んで四歩下がっている気分になる。

※本稿は、『老いてお茶を習う』(著:群ようこ/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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