群ようこ68歳にしてお茶を習う。4カ月経ち、格式の高い濃茶に挑戦。いろはを唱えて練った初の濃茶は、折れた茶筅の穂先が二本入っていた
2024年5月4日(土)12時30分 婦人公論.jp
イメージ(写真提供:photo AC)
文化庁の生活文化調査研究事業(茶道)の報告書によると、茶道を行っている人が減少する中、平成8年から28年の20年間で70歳以上の茶道を楽しむ人は増加し続けているという。人生100年時代の到来で、趣味や習い事として茶道に触れる機会が増えていると考えられる。そんな中、68歳にしてお茶を習うことになった、『かもめ食堂』『れんげ荘』などで人気のエッセイスト・群ようこさん。群さんが体験した、古稀の手習いの冷や汗とおもしろさを綴ります。お稽古に通い始めて4カ月。茶道を学ぶことを許可してもらう「許状」の申請も行い、いよいよ格式の高い「濃茶」にチャレンジすることに——。
* * * * * * *
いきなり濃茶がきた
何だかやたらと気温が高い日が多くなって、梅雨時で湿気も多く、鬱陶しい日が続いているが、お稽古に通うのは楽しみだった。その日、お稽古にうかがうと、師匠が、
「今日からお濃茶をやってみましょうか」
とおっしゃった。
「えっ、まだお薄もあれこれ間違っているのにですか?」
「大丈夫、やってみましょう」
師匠が膝ひざをつきあわせて、お茶入が入っている仕覆の扱いについて教えてくださった。仕覆の紐が想像していたよりもずっと固い。そうでないと、結んだときに横8の字の形がきれいに決まらないからかもしれない。
結んだ仕覆の紐をひとつほどいて、横8の字の輪の右を右手の人差し指で引いて手首を右に返すと、正しく結んであった場合は、紐がほどけるのだが、そうでない場合は捻れてしまう。練習のときには捻れてしまったので、最初の結び方が間違っていたらしい。
やっと紐をほどいたと思ったら、お茶入が入ったままの仕覆を、畳の上で横にしたり左手の手のひらの上で縦にしたりする。これは闘球氏や白雪さんがお点前をなさっているときに、何となく見て覚えていた。あっちこっちに動かして面倒くさそうと思っていたが、やってみるととても合理的なのだった。
「お濃茶になると、帛紗の四方捌きがありますからね」
「闘球さんや、白雪さんがやっていた、帛紗を広げてじっとみる、あれですか」
「そうです」
帛紗を広げて四辺を確認し、それからお茶入を清めるために、薄茶のときと同じように帛紗を捌くのである。私の帛紗には柄があるので、それで裏表もわさの位置も確認できるのだけれど、師匠や先輩方の帛紗は無地なので、よくあれでわからなくならないなあと失礼ながら感心するばかりだ。
「お濃茶には必ず拝見がありますからね。重要なセレモニーなので」
カジュアルな薄茶でさえうまくできないのに、そんな重要なお点前が覚えられるのだろうかと不安になってくる。あまりに緊張しすぎて、干菓子をいただく際に、今まで何回もやってきたのに、懐紙のわさが手前になるのか向こう側になるのかわからなくなり、師匠にそっと聞いてしまった。こんな超初心者の私が、濃茶のお点前を習っていいのだろうかと心配になってきた。
先輩がたが揃うのを待って、濃茶のお点前を教えていただいた。濃茶ではお茶を入れる際に、最初に茶杓で三杓掬いだしたあと、お茶入を傾けて残りの抹茶を回し出しする。お茶入は筒状ではないものが多いので、スムーズに出てこない。
つい全部だそうと、茶碗の上で振りたくなってしまうのだが、そういうことはしてはいけない。あまりに傾けるとお茶入を茶碗の中に落としそうになるし、緊張の連続だった。そっとのぞくとお茶入の中に残って、うまく回し出せなかった。
『老いてお茶を習う』(著:群ようこ/KADOKAWA)
イメージ(写真提供:photo AC)
「薄茶は点てる、お濃茶は練るといいます。いろは四十八文字を心の中でいいながらゆっくり練るとよいといわれていますけれど」
操り人形のように師匠に指導されるまま、
「このくらいでいいでしょうか」
と楽茶碗に入れたお湯の量も確認していただき、
(い、ろ、は……)
と心の中でいいながら茶筅(ちゃせん)を動かしてはいたが、その練るという感覚がまったくわからなかった。闘球氏や白雪さんのお点前を見ていると、たしかに、
「練ってる」
という感じはするのだが、具体的にどのようにすればいいのかわからず、とにかくとろりとするように抹茶を混ぜたといったほうがいい状態だった。おそるおそる茶筅を上げると、茶筅に残った抹茶の色が薄かった。おまけに茶筅の穂先の細い竹が数本折れていた。力を入れすぎて、折ってしまったらしい。
正面を正客に向けて出そうとしたら、私の体に近い部分の茶碗の内側に、抹茶の粉が溜たまっているのに気がついた。全体的に練らなくてはいけないのに、その部分だけ茶筅が届いていなかったらしい。
「あの、中に抹茶がそのまま溜まっているところがあります。そのうえ茶筅を折ってしまいました。きっと中に入ってます」
焦って報告すると、闘球氏も白雪さんも、
「はい、わかりました」
とにこにこしている。きっとおいしくないであろう、最初のお濃茶を飲んでいただくのは本当に申し訳なかった。先輩方がそっと口の中から何かを取りだして懐紙に包んでいるのを見て、きっとあれが私が折った茶筅のかけらだろうと思うと、何度頭を下げても足りないくらいだった。最後に私も飲んでみたが、何の感動もない味で、折れた茶筅の穂先が二本入っていた。
「本当に申し訳ありません」
みなさんに謝ると、
「いえいえ、人生ではじめて点てた濃茶をいただけてうれしいですよ」
などといってくださる。
「ああっ、本当に申し訳ないっ」
頭を掻きむしりたくなった。
そして濃茶には必ず拝見があるので、お茶入の形、窯元、仕覆の裂地についても聞かれる。何もわからないので、前もって師匠から、濃茶のお茶銘、お詰もうかがい、そのうえ、
「お茶入の形は肩衝(かたつき)、窯元は瀬戸、お仕覆は紹鴎緞子(じょうおうどんす)ですよ」
と教えていただいたのに、いざ拝見の問題のときには忘れて、
「えーと、えーと」
とあわてていたら、先輩方がそれぞれその場で教えてくださったのがありがたかった。闘球氏の濃茶点前のとき、拝見の際にかわいい柄だなと見ていた仕覆の裂地が、「駱駝文苺手錦(らくだもんいちごでにしき)」という名前だとわかって、なぜかとてもうれしくなった。
白雪さんはひさご棚で薄茶のお稽古をなさっていたが、天板の上に棗を荘(かざ)り、柄杓も掛釘に掛けていた。へええと見ていたら、
「持ち帰るのは建水だけという、総荘りのお点前もあるんですよ」
とお点前を終えて戻ってきた彼女が教えてくれた。
先輩方は小さなお盆の上に香合(こうごう)をのせた盆香合のお稽古の準備をしていた。いつも1人3パターンずつ、お稽古をするのである。客人役の私はそれを眺めながら、
(お香が練香ではなく香木になるので、お香元は聞かなくてよかったのだな)
と何度も頭の中でシミュレーションしていた。すると霊芝(れいし)を象った香合が、若狭盆という小ぶりな正方形のお盆の上にのせられて登場してきた。そのお盆の向かい合う二辺を両手で持って、90度ずつ回転させる手順がものすごく難しそうだ。右手で右上角を持ったり、真ん中を持ったりする。正面を相手に向けるのに、一度でぐるっと回すわけではないのだ。それを見ながら、
(もしかして、あれを私もやるのかも)
と気がついた。こちらに正面を向けるのは、私が香合の拝見をするためである。拝見し終わったら、今度はこちらが亭主に対して、正面を向けなくてはならないので、同じことをしなくてはならない。
(ええーっ、全然、わからん)
焦っていると、師匠が、
「はい、右手で右上角、左手は左下角……」
と遠隔操作してくださり、何とか正面を向けて亭主にお戻しできた。
(本当にいろいろと出てくるなあ。私のこの、前期高齢者の脳で覚えきれるのか)
と不安になってくる。覚えられなくてもいいけど、忘れなければいいかと思ったが、現状としては教えていただいたことをぼろぼろと忘れているので、今度、いったいどうなるかわからない。少しでも記憶がとどまるように努力するだけである。
※本稿は、『老いてお茶を習う』(著:群ようこ/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
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