殺人を犯し、追われる身となっても絵を描き続けたカラヴァッジョ…しかしその表現には大きな変化があった

2025年5月17日(土)8時0分 JBpress

1606年5月29日、ついに殺人を犯してしまったカラヴァッジョはローマから脱出し、生涯戻ることはありませんでした。壮絶な逃亡生活のなかでも、数々の傑作を残しています。しかし、その表現はしだいに闇を強めていきます。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)


深く濃く広がる闇

 まずは2枚のマグダラのマリアを描いた作品を比べてみてください。

《悔悛のマグダラのマリア》(1595年頃)は初期の宗教画で、新約聖書にあるイエスの足に接吻し、香油を塗って回心した元遊女マグダラのマリアを描いたものです。のちにイエス復活の最初の目撃者にもなりました。マリアのモデルは娼婦だったアンナ・ビアンキーニという女性で、《エジプトの逃避途上の休息》(1595年頃)の聖母マリアもアンナがモデルと言われています。床に置かれた香油壺はマグダラのマリアのアトリビュート(特定の人物を象徴する持物)でスカートにもその模様が描かれています。

 斜めに差す光はカラヴァッジョを象徴するものですが、劇的というより抒情的な作品です。聖女であるマグダラのマリアに当時のローマの庶民のファッションをさせ、普通の少女として表現している点はまさにカラヴァッジョらしいでしょう。床に散らばっている装身具に細部表現が見て取れます。

 一方の《マグダラのマリアの法悦》(1610年)はローマから逃亡し、ラツィオ地方の山中に身を隠していた頃に描いたとされています。いつも持ち歩き、死の直前まで手放しませんでした。この絵のマリアの表情をみてください。《悔悛のマグダラのマリア》の俯く姿とは全く違います。法悦とはエクスタシーのことですが、この時代の宗教の考え方に神と一体になる喜び=精神的法悦がありました。17世紀に法悦というテーマが流行しますが、カラヴァッジョがそのきっかけとなりました。

 ここでは官能的なマリアの顔や肩に光が当たっていますが、背景は漆黒です。逃亡生活を送っていたカラヴァッジョが描いた闇は、深く濃く広がっていったのです。

 1601年と1606年の《エマオの晩餐》を比べてみましょう。復活したキリストがエマオで弟子たちと出会い、夕食を共にするという「ルカによる福音書」の場面を描いた作品です。1601年の絵はデル・モンテ枢機卿の邸宅を出た後、しばらく世話になっていたマッテイ家の依頼で描いたもので、光と影のコントラストが見事です。キリストと知らずに食事をしていた男が驚いて広げた左腕や立ち上がろうとしている男の肘、椅子の角、テーブルの果物籠に「突出効果」がみられます。キリストの向かいの席が空いていることから、観るものがここに参加しているような、奇跡が目の前で起こっているように思わせる効果があります。

 1606年の絵は《マグダラのマリアの法悦》同様、ローマから逃れナポリに移るまでの4か月間、身を潜めていた山中で描いたものです。前作に比べると人物の動きは抑えられ、筆致も荒くなっています。ここでも差し込む光はなく、漆黒が広がっています。得意とした静物の細部表現もありませんが、広がる闇が精神的な深みや瞑想性を感じさせる作品です。以後、このような様式の作品が亡くなるまで続いたのでした。


最大の作品と最後の作品

 カラヴァッジョの逃亡生活での大きな転機は、マルタ騎士団の存在でしょう。1607年、ナポリからマルタ島に向かい、騎士団長の肖像画《アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像》(1607-08年頃・第1回参照)や騎士たちの求めに応じた絵を描き、翌年には騎士団の依頼でサン・ジョヴァンニ大聖堂のオラトリオ(祈祷所)の祭壇画に取り組みます。完成したのが361×520cmというカラヴァッジョ最大の力作《洗礼者ヨハネの斬首》(1608年)です。

 カラヴァッジョはこれまでの絵画には描かれなかった、ヨハネの斬首の最中の場面を描きます。マルタ騎士団はイスラム勢力に対するキリスト教の防衛隊でした。洗礼者ヨハネはマルタ騎士団の守護聖人であり、オラトリオにはヨハネの右手が聖遺物として祀られていました。ヨハネの右手はその聖遺物の特徴をしています。

 また、この絵の上部には1565年に大軍が攻めてきた「マルタ大包囲」で、多くの騎士が虐殺されている絵があり、戦死した騎士たちの犠牲への鎮魂も込められています。カラヴァッジョの絵の画面右で斬首を見守る2人の囚人は、逃れた騎士が捕虜になった仲間のために引き返し、2人とも囚われたという美談を表しているとも言われています。

 闇が支配する広い空間で、人物だけに光が当たるなか、静かに斬首が行われているという構図も見事で、まさに集大成と言える作品でしょう。

 騎士団長はこの絵を気に入り、金の首飾りと奴隷2人を与え、1608年、カラヴァッジョは騎士の称号を得ます。ヨハネの首から流れ出ている血のそばに騎士団の一員であることを示す「F・michelangelo」とカラヴァッジョ唯一のサインがあります。

 騎士の栄誉を得たにも関わらず、高位の騎士を襲撃して再び追われる身となったカラヴァッジョの以後の作品は、さらに暗く、筆致は荒くなります。そんななかでも教会や貴族からの注文があり、《聖ルチアの埋葬》(1608年)や《生誕》(1609年)など、数々の名作を生み出していきました。

 ただその表現は、逃亡生活の焦りと重なるかどうかはわかりませんが、細部を正確に描く写実主義から、感情や内面の表現を重視する表現主義的なものになっていったようにも思われます。

 カラヴァッジョの最後の作品となったのが《ダヴィデとゴリアテ》(1610年頃)です。旧約聖書にある少年ダヴィデが敵の巨人ゴリアテを倒したという物語の一場面です。

 斬首されたゴリアテの顔はカラヴァッジョの自画像で、うつろな目をして自分の死を予感しているような表情をしています。またダヴィデもゴリアテを倒して誇り高い顔をしているはずですが、顔をしかめ、敵であるゴリアテを憐れんでいるようです。

 ダヴィデの上半身とゴリアテの首に光が当たっていて、背景は闇に沈んでいます。教皇の甥であるボルゲーゼ卿に贈って恩赦を願おうとした作品だと言われています。その願いは叶わず、1610年7月18日、ローマへ向かう途中、熱病によって38歳で絶命したのでした。呪われた天才と呼ばれたカラヴァッジョの壮絶な絶筆です。しかしカラヴァッジョの功績は後世に渡って消えることはないでしょう。

参考文献:
『西洋絵画の巨匠11 カラヴァッジョ』宮下規久朗/著 小学館
『もっと知りたい カラヴァッジョ 生涯と作品』宮下規久朗/著 東京美術
『カラヴァッジョ巡礼』宮下規久朗/著 新潮社
『カラヴァッジョへの旅——天才画家の光と闇』宮下規久朗/著 角川選書
『1時間でわかるカラヴァッジョ』宮下規久朗/著 宝島社
『カラヴァッジョ』ティモシー・ウィルソン=スミス/著 宮下規久朗/訳 西村書店
『カラヴァッジョ』ジョルジョ・ポンサンティ/著 野村幸弘/訳 東京書籍
『芸術新潮』2001年10月号 新潮社
『日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展』(カタログ)国立西洋美術館・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社/発行

筆者:田中 久美子

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