「何歳からでも人生は輝く」84歳になった田嶋陽子が“今さら始めても遅い”を一刀両断するワケ

2025年5月21日(水)12時0分 文春オンライン

〈 「お前のような顔はうちの家系にいない」と罵られ…田嶋陽子(84)が振り返る“厳しすぎる母”からのいじめ 〉から続く


「フェミニズム」という言葉が当たり前のように使われるようになった昨今。1990年代に、フェミニストとして『笑っていいとも!』や『ビートたけしのTVタックル』に出演した田嶋陽子さん(84)が受けた逆風は、現在とは比べものにならないほど酷いものでした。


 テレビの世界から距離を置き、60代で歌手デビュー、80代からダンスを習い始めた田嶋さん。「何歳からでも人生は輝く」という田嶋さんの人生論を、著書『わたしリセット』から一部抜粋して紹介します。(全3回の2回目/ 最初から読む )



田嶋陽子さん ©文藝春秋


◆◆◆


何歳になっても学ぶことで成長する


 シャンソンと書アートに加え、80歳をすぎてからはダンスを再開しました。ダンスは今から20年ほど前に、ウッチャンナンチャンの『ウリナリ芸能人社交ダンス部』という番組に引っ張り出されて以来でした。


 あの番組ではプロの先生が創作したモダンダンスを踊りましたが、私はダンスのことなんて全然知らなくて、ステップひとつろくに踏めません。しかもレッスン期間が10日あまりしかない。先生はこっちに基礎能力がないと分かっていますから、背中をそっくり返すような派手な見せ所だけを教えてくれました。


 あのとき、自分の姿を鏡で見たらお腹が出ちゃってて、がんばって5キロ痩せましたが、あとからお医者さんに「急に痩せると糖尿病になるからダメだ」って怒られてしまいましたね。


 ダンスの競技では最初ビリでしたけど、共演者の勝俣州和さんが「先生を女にしてやる」と言って一緒にペアを組みました。ペアでは予選を無事に通過し、武道館で踊れてうれしかったですね。


 その後、軽井沢のリサイタルで何度かワルツやタンゴを踊りましたが、ダンスはそれっきりになっていました。そしたら、引っ越した軽井沢の家の目の前にダンスの先生がいて、誘われてまたはじめることになりました。


 参加している人は同年代の女の人ばかりで、私が「わが・ままの会」と名づけました。毎週1時間のレッスンがあるけれど、いつ休んでもいい。だから「わが・ままの会」です。


 とはいえ、目標がないとなかなか上達しませんから、最近はコンサートでも踊ることにしています。先日の三越劇場のコンサートでも、歌手の野田孝幸さんとワルツを1曲披露しました。今年(2024年)はタンゴです。


 人には可能性がいくらでもあります。たしかに年をとると体力が衰えてきたり、ものの名前が思い出せなくなったりと、足し算だった人生が引き算になってきました。


 でもその一方で、新しく勉強したり、教わったりしたことはちゃんと身についています。何歳になっても学ぶことで少しずつ成長する自分がいるのです。学ぶことで明日が少しでも豊かになればいいのです。


日本の女性は60代から花開く


 何ごとも年齢制限はありません。思い立ったが吉日ですよ。日本人はすぐ年齢を気にして、「今さらはじめても遅い」などと言いますが、そんなことはありません。


 アメリカにグランマ・モーゼスという画家がいました。農家に生まれ、主婦として人生の大半を過ごしてきた彼女は、75歳から本格的に絵を描きはじめます。自然や農村の暮らしを描いた作品は多くの人を惹きつけ、アメリカの国民的画家として親しまれました。彼女は101歳で亡くなるまで描き続け、1600点以上の作品を残しています。だから、けっしてあきらめてはいけません。


 女の人はずっと「小さく小さく女になあれ」と育てられてきましたから、自分に自信がもてないのでしょう。なかなか一歩を踏み出せない人が多い。でも、自分を解放したら何でもできます。


 私は46歳のときに自己解放ができたから、いろいろな表現に挑戦できているのだと思う。自分を解放してない表現ほどつまらないものはないですから。これはフェミニズムにも言えることです。誰かの言葉をこねくりまわしているだけではダメで、やはり自分の魂から出てくる言葉でなければ自由になれませんし、また相手に伝わりません。


 とくに性別役割分業に縛られていた日本の女性たちは、60代から花開くと思う。シングルの人は定年を迎えて仕事が一段落するでしょうし、離婚や死別を経験した人は夫から解放されたわけでしょう。


 シャンソンを習っている人のなかには、夫を亡くしてから、「やっと自分の好きなことができる」と教室に通いはじめた人もいます。せっかく自由になったのだから、誰にも気がねなく、したいことを思い切りやって、自分の人生を生きればいい。これから第2、第3の人生がいくらでも待っています。


 たとえ仲良し夫婦であっても、夫が定年を迎えたのなら、当然、妻の主婦業も「定年」です。それからの家事は半分ずつ分担すべきでしょう。


 私は定年退職した男には、せめて料理は習いに行きなさいと言っています。夫が毎日家にいるからといって、妻に朝昼晩と料理をつくらせるのは残酷です。夫と妻が交替で台所に立つようになれば、不公平感がなくなって、夫婦仲も良くなるかもしれません。そして、妻は自由な時間でやりたいことをやるのです。


 せっかく自由に生きられるようになっても、「いい年だからもう無理」とあきらめるのはもったいない。時間の使い方次第で、人生はいくらでも輝きます。「もったいない」は、人生にこそ使ってほしい言葉です。

〈 「死んでもお墓なんていりません」安楽死も議論すべき…田嶋陽子(84)が提唱する《健康な死に方》とは? 〉へ続く


(田嶋 陽子/文春新書)

文春オンライン

「田嶋陽子」をもっと詳しく

「田嶋陽子」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ