ヤマザキマリ 漫画の仕事が忙しくなり肌艶も消失した40代のころ「シニョーラ」と呼ばれるように。相手の態度や言葉遣いにさらにへりくだった丁寧さを覚えるようになった今、そのワケを夫に聞いてみると…。
2025年5月21日(水)12時30分 婦人公論.jp
イタリア語で既婚者の女性向けの敬称“シニョーラ”。マリさんに向けられるその言葉のニュアンスが最近変わってきたそうです。その理由はというとーー。(文・写真=ヤマザキマリ)
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女性の敬称の変化
イタリア語で未婚の女性の敬称を“シニョリーナ”(お嬢さん)というが、スペイン語の“セニョリータ”、フランス語の“マドモアゼル”といった同類の敬称も英語の“ミス”よりロマンティックな響きがあるのは、イントネーションが音楽的だからだろうか。地面にいた男性が、窓のバルコニーに佇む若くて麗しい女性に向かって両腕を広げ、朗々と愛の告白をしている姿を連想してしまう。
イタリアに暮らしはじめた頃の私も、まだ17歳の小娘でありながら、出会う人に「シニョリーナ」などと恭しく呼ばれると、特別扱いをされているような気持ちになったものだった。
日本人をはじめアジア系の女性は、欧米人に比べると年齢よりも若く見られがちなので、こうした国々では割といくつになっても“シニョリーナ”で通ってしまうことが多い。特に美容医療が発達し、化粧品の効能も優れているからなのか、昨今のアジア系女性は以前にも増して若々しく見える。
下手をすると40、50代までは悠々“シニョリーナ”でいける人もいるだろう。私のような、髪もボサボサでろくに化粧すらしないガサツなありさまの女ですら、“シニョリーナ”は40歳あたりまで続いた。
40代になって変化
40代になって漫画の仕事が忙しくなり、睡眠不足のせいで肌艶は消失し、子どもや夫と行動することも多くなったからか、ある時期を境に、徐々に“シニョリーナ”が既婚女性向けの“シニョーラ”へと変わった。
“シニョーラ”はフランス語の“マダム”と比べてどこか庶民的な印象がある。イタリアでも自分の妻をおだてる時、わざと妻をフランス語で「マダーム」などと呼びかける夫もいる。
当然こうした敬称は見た目で判断するものではない。どんなに若くても、既婚者であれば“シニョーラ”だが、判断が難しい場合もある。50代の独身の友人もふだんはシニョーラ扱いだが、「失礼ね、私はシニョリーナよ!と言い返すのもねえ」と苦笑いをしていた。
加齢の美徳
私はといえば、ここ最近どこへ行っても向けられる“シニョーラ”という言葉のニュアンスが、今までと違うことに気がついた。相手の態度にも言葉遣いにもへりくだった丁寧さがあるように思えたのだ。
気のせいかと思ったが、夫にその話をすると、「それは、君に年配女性としての貫禄が出てきたからじゃないの」とのことだった。彼の言う貫禄とは、自らの加齢をそのまま受け入れて堂々としている、という意味らしい。
イタリアにおいて、ある程度年齢を重ねた人に対し、敬意を込めた向き合い方をするのは一般的な礼儀である。女性に対しては特にそうだ。夫の100歳近い祖母2人も、最後はほとんど寝たきりだったのに、来客から名前の呼び捨てではなく「シニョーラ」と声をかけられると、嬉しそうにしていたものだった。
ミラノやパドヴァの街角を颯爽と歩く高齢の女性たちが勇敢で美しく粋なのは、彼女たちが周りからリスペクトを込めて“シニョーラ”と呼ばれることで、あるがままの自分を堂々と受け入れられるからなのだろう。
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