統合失調症の兄が認知症を発症、途方にくれた私に救世主が現れた。死期が近づいた兄は「おまえは俺の妹だ。可愛いよ」と言った【2023編集部セレクション】

2024年5月24日(金)7時0分 婦人公論.jp


写真提供◎photoAC

2023年に配信したヒット記事のなかから、あらためて読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年09月12日)。
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日本の統合失調症の患者数は80万人ともいわれ、人口の0.7%、100人に1人弱いると言われています。原因はよくわかっておらず、仕事や人間関係のストレスや、人生の大きな転機などでストレスや緊張が増したとき、発症するのではと考えられています。統合失調症を患う人を抱えた家族の苦悩とは…

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前編 統合失調症の兄との40年。知人には「あなたは人生を無駄にした」「死んで良かったわね」と言われたが はこちら

統合失調症に認知症が加わった


統合失調症に加え認知症を発症した兄。平成24年頃に、兄の病状が変化してきた。兄は病院のすすめもあり、精神障害のある人たちを集めてリクリエーションや軽作業をする作業所に通っていた。ところが、「作業所の所長が精神科病院に来ていた。俺のことを医師に何か言いつけたのだ」と母に話し、以前は所長を「良い人だ」と言っていたのに、悪口を言うようになった。そして、作業所をたびたび休むようになったのである。

所長は兄の病状が悪いので相談しに来たのかもしれないし、兄の妄想かもしれない。兄は、病院はもちろん作業所にも、家族が連絡することを嫌っていたので、母も私も本当のことは確認ができなかった。近所の人たちが、「お兄さんが、お母さんを怒鳴りつけているのが、たびたび聞こえる」「お兄さんが2階からマットレスを投げ落とした。ものすごく汚いマットレスで、おもらしをしたようだ。お母さんが家に入れていた」などと、私に言ってきた。私は会社にいたので分からなかった。

この頃、母の認知症がひどくなりヘルパーを頼んだ。ある日、ケアマネジャーが訪ねて来た時、兄が母を怒鳴りつけているところに遭遇した。ケアマネジャーは私に、「お兄さんは、統合失調症に認知症が加わっているのかもしれない。私にはお母さんを守る義務がある。なんとかする」と言って帰った。

ケアマネジャーが地域包括支援センターに報告した。兄には別のケアマネジャーがつくことに決まった。兄はデイサービスに行くことになったが、昼夜逆転生活なので、兄を起こすためにヘルパーが来た。兄は2階で寝ていたが、ヘルパーは怒鳴られて苦戦していた。

兄は精神科病院に診察に行ったきり、帰って来なくなった。帰り道が分からなくなったのだ。私が警察に連絡し、兄は発見されるようになったのである。

兄はヘルパーとタクシーで病院に通院した。

地域包括支援センターの所長は私に、「あなたは働かなくてはならないし、認知症のお母さんを抱えている。お兄さんは入院させて、後見人をつければ良い。金銭の管理だけでなく、転院する時もやってもらえる」と言われた。私は驚いた。後見人とは大金持ちの人につくものだと思っていたのである。成年後見制度を全く知らなかった。

兄の担当医師、地域包括支援センターの所長、兄のケアマネジャーとヘルパーと私が精神科病院に集まり、兄の入院に向けた会議が開かれた。

医師は、「お兄さんが私を信頼しているうちに入院させたい。妹さんがいたら、お兄さんは何かあるのかと疑う。妹さんは何処かに隠れていなさい。私がお兄さんに入院をすすめて承諾したら、妹さんの携帯に電話する。入院棟で他の医師が診察した後、入院承諾のハンコを押して欲しい」と言った。

一人の医師の判断だけでは入院はできない。他の医師も診察して、入院が決定する。患者が同意して入院するのを「任意入院」、家族が同意するのが「医療保護入院」と言うのだとその時学んだ。

通院日、兄がヘルパーとタクシーで出発した後、私はタクシーを呼んだ。電車が故障や人身事故で遅れたりしたら、作戦が失敗すると思ったからだ。運よく知り合いのタクシーの運転手が来た。兄の入院作戦を話すと、運転手は、病院の中よりタクシーの中に潜んでいた方が見つからないと言った。私も同感でタクシーの中に潜んでいた。しかし、担当医師から電話があり、「入院を拒否された。お兄さんが疑うといけないから、1ヵ月後の通院日にまた隠れていてくれ」とのことだった。

「あなたが妹さんなの?」


1ヵ月後、またタクシーに潜んでいたら、兄が入院棟に行ったと担当医師から電話があった。私が入院棟に駆けつけると、兄はこれまで兄を診察したことのない医師と話をしていた。その横の椅子には兄のケアマネジャーと兄と一緒に病院に来たヘルパーが座っていた。兄は私が部屋にいることに気づかず、血液検査のために部屋を出た。

そのとたんに医師は、「困った。この人、普通に会話ができる。僕の質問にちゃんと答えられるんだ」と言い、入院の必要があるのかと頭を抱えて悩みだした。

ケアマネジャーとヘルパーが、「認知症のお母さんが危険なんです」「お母さんをぶったりするんですよ」、「入院させてください」と、お願いを始めた。

その時、入院の担当者が入院費の見積もりを持ってきて私に差し出した。高額に私は頭に来て、「こんなの払えないよ」と言い、担当者に書類を突き返した。もっと入院費が安い病院はあるが、兄が気に入っているのでしかたなかったのである。

それを見て、医師が驚き、私に言った。
「あなたが妹さんなの?」
医師はケアマネジャーとヘルパーを妹だと勘違いしていたのだ。

それが分かったとたんに医師は言った。「妹が危険だ。12時45分入院」。私がいかにも兄と喧嘩しそうなので、入院と判断したのだろうか?いまだに謎だ。

私はその日、私が買った新品の兄の衣類を持って来ていた。なぜ新品かというと、兄の部屋の衣類が臭かったからだ。6畳一間の兄の部屋は、本、衣類が積み上げられ、その山の中に電気ストーブが埋め込まれていた。天井、蛍光灯、少しだけ見える壁、カーテン、本もタバコのヤニだらけで茶色に変色。マスク2枚を重ねても、耐えられないほどの悪臭だった。

救世主が現れた


入院した次の日に、もう病院から会社に電話があった。兄は私が渡した衣類をおもらしをした衣類と混ぜてしまい、全部洗濯になったそうだ。「2週間分くらい持って来てください」と言われた。洗濯は病院に頼んでいたが、病院からパジャマなどを借りる料金は高かった。

兄の衣類を再度用意し、病院に行こうとしたが、大量の荷物を運ぶのにタクシーを呼んだ。すると、兄の入院の時と同じ運転手がきた。彼は、認知症や障害のある人をタクシーに乗せて病院に連れて行くNさんという良い人がいるので、兄のことを相談してみたらどうかと言い、電話番号を教えてくれたのである。

兄は隔離病棟にいるので、インターフォンで看護師を呼んで、ドアを開けてもらわなくてはならない。荷物の検査を経て、私は兄のいる個室に行った。

兄は、「お母さんはどうしている?」と聞き、私が「元気だよ」と答えると、また「お母さんはどうしている?」と聞いた。同じことを聞かれるのは、同じことを答えれば良いので楽だ。統合失調症が悪い時に返事をするのは、緊張して大変だったのである。


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兄を入院させたものの、兄は治る見込みはなく、認知症の病棟に移れば、さらに入院費は高額になる。私は途方にくれた。

私は運転手が教えてくれたNさんに相談することにした。社会福祉士と介護福祉士の資格をもち、ヘルパーの経験もあり、後見人を専門にしている人だった。  

私は、Nさんに兄に会ってもらった。面会後、彼女は兄の今の状態を言い当てた。私は、兄の後見人はNさんしかいないと思い、強引に頼んだ。

成年後見制度のうちの法定後見制度は、家庭裁判所に申立てをして、審判後、後見人(補助、保佐)を選任する。本人の判断能力により後見人、保佐人、補助人が決まる。私が申立人になり、Nさんを候補者として、必要書類を提出した。家庭裁判所の担当者が兄に面接するなどを経て、Nさんは「保佐人」に決定。その後、兄の病状が悪化したので「後見人」になった。

Nさんは金銭の管理だけでなく、その知識の豊富さと頭脳の明晰さを兄のために発揮してくれた。平成24年に兄は腹部大動脈瘤が見つかったが、統合失調症のため、どの病院にも手術を断られた。やっと手術をする病院を見つけたが、兄は入院を拒否した。

精神科病院に入院後、兄の腹部大動脈瘤は命が危険な状態まで大きくなっていることが判明した。Nさんは兄を説得して、知っている病院に連れて行き、手術ができた。

兄がNさんに従っていた理由が分かった


その後、兄は認知症がひどくなり、老人ホームに入居し、そこから入院していた精神科病院にNさんが付き添って通院した。Nさんは診察の予約をお昼前にし、兄が街の食堂で好きなメニューを選んで食事ができるようにした。食べるのが大好きな兄は嬉しかったことだろう。私も一緒に食事をして、今では貴重な思い出になっている。

兄は下血などがあり、老人ホームから一般の総合病院に入院。そこから、精神病で身体の病気もある人を受け入れる病院に転院した。Nさんは兄に説明し、転院をスムーズにしていた。当時、私は血管の詰まりが分かり、会社に勤めながら、入退院を繰り返していたので、Nさんがいてくれて本当に助かった。

私は、兄がNさんだと従うのが不思議だった。彼女に聞くと、「私は修羅場をくぐっていますからね」と答えたので、経験がものをいうのだと思っていた。

最近になって兄がNさんに従っていた理由が分かった。統合失調症や認知症があっても、その病状だけを見ずに、それまでの人生、本来の性格、人間全体を見て、その人に最善のことを考え、それを実行しているのだと思った。それが兄に伝わったのだろう。

そう思った時、母が認知症になる前に私に、「お兄ちゃんは良いところがある。おいしいものを買ってきた時、妹の分はあるのかと必ず聞く。二つ食べて良いと言っても、妹に食べさせると言って残す。病気が悪い時もそうだった」と、話していたことを思い出した。

私は兄の病気の部分だけを見て、兄の良いところを探すことをしなかったのだ。

兄が亡くなった時、知人たちに「良かったわね」「お兄さんのために、あなたは一生を無駄にした」と言われた。

兄が気管支炎で亡くなる1週間前に私は面会に行った。私は兄の顔色などから死期が近いのが分かった。その時、兄は照れたような顔をして、「おまえは俺の妹だ。可愛いよ」と言った。統合失調症の兄との長い旅の終わりに、その一言が聞ければ、私は十分だった。                                   

(おわり)

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