夫の趣味に大迷惑 「死滅回遊魚を飼おう!」と夫 巨大化する水槽、1日がかりの水換えに妻は......
2022年5月27日(金)22時58分 キャリコネニュース
筆者宅の水槽。魚は可愛いが……
家族がせっかく楽しんでやっている趣味は、できれば否定したくない。ただ、一緒に生活する側にとって「我慢の限界」もある。
先日、ガールズちゃんねるの「やめてほしい夫の趣味」トピックで、夫の趣味を迷惑がる妻たちが盛り上がっていた。トピ主からの「夫が狩猟免許を取ろうとしている」という相談を皮切りに、「一晩中ゲーム」とか「リビングで大量の虫を飼う」といった趣味が続々。確かに嫌だろうなあと、筆者も妻の立場で共感してしまった。
というのも、私の夫も昔、突然めちゃくちゃ面倒を見るのが大変な「海水魚」にはまったことがあり、あのときは心底はた迷惑に思っていたからだ。(文:篠原みつき)
きっかけは、潮干狩りの「やどかり」だった
きっかけは当時5歳だった息子を連れて行った「潮干狩り」だった。そこで、いままで見たこともないような握りこぶし大の巨大なヤドカリを見つけて数匹捕獲した夫は、突然思い立ったかのように、それを海なし県の我が家に連れ帰ってきた。
本当に飼う気なのか?という私の心配をよそに、夫はアクアショップで幅20センチ程度のアクアリウム用水槽を嬉々として購入し、飼育を始めた。
しかし、ご存知の通りヤドカリは海に住んでいる生き物で、その環境を水槽内に再現するのは難しい。お世話もむなしく次々と死んでしまい、水槽がカラになるのに時間はかからなかった。
それで諦めればいいのに、なんと夫は「海水魚を飼おう」と言い出した。しかも、どこで調べたのか「死滅回遊魚(黒潮に乗って流されてきた温帯地域の魚)を捕りに行こう!」と大張り切りで、千葉の海まで家族で遠征にも出かける始末だ。
「海に遊びに行く」といえば楽しそうだが、これが意外と気疲れする。珍しい魚を追い求めてはしゃぐ夫、海で興奮している幼児と一緒に、岩場をめぐればどうなるのかを想像してほしい。実際、夫は網を持ってどこぞに消えてしまい、私は息子の安全確保にヒヤヒヤしていた。「磯遊び」というよりも、夫や息子がケガをしないか、心配していた思い出のほうが強いぐらいだ。
5000円する美しい海水魚が、数日で天に召される
さて、海水魚だが、すでにご想像の通り家庭で育てるのは簡単ではない。小さな水槽の中を「海っぽく」つくり込むためには、専用の塩を買うだけでなく、塩分濃度計や温度管理のクーラー、照明に濾過装置などなどが必要。けっこうな費用が必要なだけではなく、それなりの技術も要するのだった。一言でいうと、かなりの「道楽」なのである。
捕まえてきた可愛らしいチョウチョウウオ数匹は、たしかに素敵だった。きれいな水槽で泳ぐ姿は可憐で、気持ちがほっとすることもあった。しかし、そこは繊細な小魚たち。自由に泳いでいたかと思いきや、突然元気をなくし、次々と天に召されていく。その様は見ていて辛いものがあった。
その後もアクアショップで購入した5000円くらいする美しい海水魚が数日でお亡くなりになる、という事態が頻発。心やお財布が痛むだけでなく、我が家の狭い花壇は一時期海水魚の共同墓地と化してしまった。やはり、大海原で生きている魚を自宅水槽で買うのは、一筋縄ではいかない。
「死んでしまうのは水槽が小さいから」どんどん水槽を大きくしていく夫
ところが夫は懲りなかった。「死んでしまうのは水槽が小さいから」と、どんどん水槽を大きくしていき、最初は幅20センチほどだった水槽を約50センチのものに買い替え、しまいには狭い玄関の三分の一くらいを占拠する60cmワイド(60x45x45cm)の水槽を導入。それを置くための台まで手作りするという凝りようとなってしまった。
ちなみに、この水槽には110リットル以上の水が入る。一般的な風呂の湯量が約200リットルと言われているが、その約半分の塩水が玄関にあるとなると、存在感も大きい。
そのおかげもあって確かに、魚は長生きするようになってきた。しかし、我が家の日常はしだいに「魚中心」に。たとえば、水質をきれいに保つためには水替え清掃が不可欠なのだが、実際やると1日がかりで休日がつぶれてしまうこともしばしばだった。
仮に子どもが成長した今なら、まだ温かく見守ったのかもしれないが、息子は当時パパと遊んでもらいたい盛りの手がかかる時期。休日も家族をよそにアクアリウム構築に没頭する夫に、私と息子の不満は溜まっていった……。
と、ここまで書くと破綻への序章という感じだが、驚くべきことに、夫の趣味は10年以上経った今も続いている。
イライラしていた私も、いつしか諦めてしまった。ほとんど飲みにもいかず、タバコも吸わず、ギャンブルもしない夫の趣味なのだから、「これくらいは仕方ない」と思うようになったのだ。息子もとっくにパパと遊びたい時期は通り越している。
重労働になる水替えの億劫さからか、だんだん「加減」がわかるようになったからか、夫もかつてほど真剣に水槽と向き合っているわけではない。しかし、玄関の水槽を見ると、もう何十代目にあたるか分からない魚たちが元気に泳いでいるし、夫はこまめな餌やりも続けている。
もし、あのとき、偶然「ヤドカリ」を捕まえていなかったら、そして気まぐれで連れ帰っていなかったら、ウチの玄関はどうなっていたのだろうか。もはや想像が難しいぐらい、水槽は我が家の一部になってしまっているのだけれど……。