ヴィジュアル系の原型といえるZI:KILL、洋楽ファンにも支持された音楽性と唯一無二のボーカルがシーンに残したもの
2024年7月16日(火)6時0分 JBpress
(冬将軍:音楽ライター)
90年代から現在までの、
ヴィジュアル系の原型そのもの
ヴィジュアル系を語る上で絶対外すことのできないバンドといえば
BUCK-TICK、X JAPAN、LUNA SEA、黒夢……もちろん、世代や誰に訊くのかによってその答えは異なるだろう。1990年頃からのヴィジュアル系黎明期をリアルに体感した者に問えば、必ず名前が上がるであろうバンド、それがZI:KILLだ。
YOSHIKIを大将とする体育会系ノリのバンドが多いエクスタシーレコード所属の中では珍しく、文系の雰囲気を醸すバンドであり、イギリスのゴシックロック、ポジティヴパンクを基調としたサウンドとその佇まいは、“黒服系”などと呼ばれたヴィジュアル系の原型そのものであると言っていいだろう。そうしたイギリスからのゴシックロック、ポジティヴパンクが日本で“ポジパン”の略称で親しまれ、そこからヴィジュアル系として発展していくシーンの代表格バンドであり、さらにはオルタナティヴロックへと多様化していく時代の真っ只中に居たバンドである。
残念ながら2024年7月現在、ZI:KILLの音源や映像は音楽ストリーミングサービスでの配信やYouTubeなどでの動画公開はされていない。だからこそ、今あえて、ZI:KILLについて語っていきたい。
ヴィジュアル系シーンに打ち立てた金字塔『CLOSE DANCE』
ZI:KILLの名が一気に広まったのは1990年3月にリリースされたアルバム『CLOSE DANCE』だ。本作はインディーズでのリリースながらオリコンのメジャーチャートに食い込むという、当時としては異例のヒットとなった。
1990年は、1月21日にD’ERLANGERが「DARLIN’」でメジャーデビュー。そして3月にメジャー1stアルバム『BASILISK』をリリース。D’ERLANGERのメジャーデビューの3日後の24日にBUCK-TICKがシングル「悪の華」、2月1日に同タイトルのアルバムをリリースしている。『CLOSE DANCE』はインディーズながら、そうしたメジャー2バンドのアルバムと並んで、“黒服3大アルバム”というべきほどの完成度を誇り、その影響力は計り知れない。
『CLOSE DANCE』のジャケットアートを手がけたのは、漫画家の楠本まき。当時『マーガレット』に連載されていた楠本の作品『KISSxxxx(キス)』は、多くのヴィジュアル系バンドマンとそのファンに広く親しまれていた。楠本特有の細い線で研ぎ澄まされた作画はZI:KILLの描く音楽性との親和性もバッチリで、『CLOSE DANCE』はそのアートワークともに、黒服系〜ヴィジュアル系シーンに打ち立てた金字塔アルバムになった。
ZI:KILLは1987年11月に結成。翌1988年2月にボーカル、TUSKが加入し、G-KILLからZI:KILLへと改名した。その後、XのHIDEに見出され、1989年3月、YOSHIKI主宰のエクスタシーレコード内に彼らの専用レーベル「GHOST DISK」を設立するほどの力の入れ具合で、1stアルバム『真世界〜REAL OF THE WORLD〜』をリリースする。
時代はニューウェイヴがシーンに押し寄せていたが、ジャパメタブームの余韻もあった。そうした背景のなか、『真世界〜REAL OF THE WORLD〜』は、“ポジティヴパンク×スラッシュメタル=ポジティヴメタル”と言われるほど刺激的で斬新なものだった。
メタリックなリフであってもディレイや空間系のエフェクターを多用した、ポジパンでニューウェイヴな空気感を醸すギター。そして、大砲のごとく撃ち鳴らされるツーバスは攻撃性の高さと同時に、斬新な音楽性を象徴するものだ。ZI:KILLはのちに、yukihiro(L’Arc~en~Ciel, ex.DIE IN CRIES)、TETSU(D’ERLANGER)、EBY(のちにex.AUTO-MODほか)と、シーン屈指のテクニカルドラマーが在籍することになるのだが、本作で叩いているMASAMIは、歴代ドラマーの中でもっともメタル度の高いドラミングで攻めている。
そして、シーンにおいてZI:KILLの存在を決定づけたのが先述の『CLOSE DANCE』だ。前作で強かったメタル色は影を潜め、ゴシックでニューウェイヴの雰囲気が支配している。KENのギターは「LAST THIS TIME」でのイントロのディレイギター、「HYSTERIC」のエッジの効いた裏打ちなど、そのままヴィジュアル系ロックギタースタイルの雛形になるスタイルを聴かせ、SEIICHIの硬派なスタイルと硬質なサウンドのベースは、ロックバンドにおける土台としてその存在感を強くしている。
そうしたギターとベースがその独特な雰囲気を作り出す中で、無機的で人間業とは思えぬyukihiroのドラミングが、ZI:KILLというバンドならではの音像空間を作り出している。D’ERLANGERのギタリスト、CIPHERがタイトルを付けた「I 4u」(読み方:アイ・フォー・ユー)の浮遊感は、本作を象徴するものだろう。
男の哀愁を歌う、唯一無二のボーカル、TUSK
そして、ZI:KILLを大きく象徴するもの、それはTUSKのボーカルだ。色気のある低音を響かせていたと思えば、突然人を喰ったように
加えて、言葉を吐き捨てるように歌うTUSKのしゃがれ声は、男の哀愁にぴったりだった。非日常的世界観を歌うバンドがほとんどのシーンで、リアルな男の弱さを歌う独特の言い回しのTUSKの詞に共鳴させられるリスナーも多かった。
失望に傷ついた おろか者を笑おう
——「憂欝」
そうしたTUSKの作詞家性と野太いボーカルスタイルは、長渕剛やSIONといった、人生を赤裸々に歌うシンガーソングライターに例えられることも多い。ゴシックな音楽性を持ったバンドのボーカリストながらも、真反対の孤高感を放つシンガーソングライターというべきTUSKの存在は、ZI:KILLの特異性そのものだった。メジャー1stアルバム『DESERT TOWN』収録の「少年の詩」は、素直すぎる男の弱さを歌ったTUSKの真骨頂といえるものだ。このとき、TUSKはまだ21歳である。
どん底に堕ちていくこの俺が見えるか
決してやさしい奴なんかじゃない
情けないほど 情けないほど
素直に生きていきたい
——「少年の詩」
1991年3月にリリースされた『DESERT TOWN』は、BOØWYを手掛けた佐久間正英のプロデュースでBOØWYと同じ東芝EMIからのリリースである。それゆえに“ポストBOØWY”としての狙いがレコード会社にあったのかもしれない。確かにビートロックの毛色も感じられるが、いい意味でのメジャー感を得た洗練されたサウンドが、ZI:KILLのこれからの方向性をより明確にしている作品である。
そうした、まさにこれからというべきときに、バンドは最大の危機を迎える……。
バンドを急成長させたサウンドへの追求
『DESERT TOWN』レコーディング中にyukihiroが脱退。3月から
流行り廃りで奏でてく物の全てが
人を傷つけて手に入れた物の全てが
俺には無価値なものに見える
——「SLOW DOWN」
1992年10月、ヴィジュアル系史に残る名バラード「SLOW DOWN」で、キングレコードから再メジャーデビュー。
アルバム『IN THE HOLE』(1992年10月リリース)は、ホッピー神山のプロデュースにより、これまでとガラリと変わった明るさを持ったサウンドプロダクトであった。
煌びやかなホーンセクションや鍵盤楽器の導入は、これまでZI:KILLが持っていたダークで退廃的な世界観とはまったく異なるものであり、“ノー・シンセサイザー”といったメンバー以外の楽器が入ることを嫌った当時のバンドが多く持っていた思想とも真逆を行っていた。しかし、そうしたサウンドへの追求がZI:KILLを急成長させることになる。そして、本作を引っ提げて1993年2月、バンド初となる日本武道館公演を行った。
そうした彼らの音楽探求が爆発しているのが1993年6月リリース、結果的にラストアルバムとなった『ROCKET』だ。この年はBUCK-TICKやソロ活動を開始したhideが、海外のオルタナティヴロックからの影響により前衛的な音楽探求を始めた作品をリリースした年でもあったが、本作もまたそうした気鋭な音楽で独自性を見せた重要作である。
タイトルからしてTUSK節全開の「あえげ!メス豚」、ダーティなギターリフと変幻自在のボーカルが絡み合い掴みどころのないオルタナティヴロックが炸裂する「Bad Man」をはじめ、まだブリットポップなんて言葉が確立していない頃からそのにおいを漂わせていた「I LOVE CAT」、ホーンを豪快に取り入れたハードロック「PEOPLE PURPLE」などなど、KENのソングライティングセンスが豪胆なギタープレイと共に大爆発しており、ヴィジュアル系に偏見を持っていた洋楽ファンに大きく支持される作品となった。
そんな名盤を提げ、1994年1月11日、2度目の武道館公演を成功させる。ヴィジュアル系の礎を築いたバンドは、これからどこへ向かおうとしているのか……。そう誰もが注目していた矢先、1994年3月、ZI:KILLは突如解散を発表する。
ラストライブはなく、TUSKの「ZI:KILLはただのROCK BANDでした」というファンクラブ会員への言葉を残しただけだ。あまりに唐突であり、そっけなさも感じる最後だった。だが、それもZI:KILLらしくあり、レジェンドと言われるに相応しい最後だったのかもしれない。
筆者:冬将軍