明治維新でも複雑に領地が入り組んだ房総―千葉県誕生が2年遅れた理由とは

2023年10月11日(水)6時0分 JBpress

(町田 明広:歴史学者)

複雑に領地が入り組んだ房総(安房・上総・下総)

 2023年は、千葉県が誕生してから150年目である。千葉県は明治6年(1873)に誕生しており、明治4年(1871)に断行された廃藩置県から遅れること2年である。実は、それには事情がある。

 そもそも、千葉県領域は房総と呼称され、安房国・上総国・下総国から成り立っていた。その房総は、様々な領地がモザイク状に入り組んでおり、非常にまとまりがなく、全国でも希有な地域であったのだ。

 今回は、千葉県の誕生史をひも解き、明治維新を迎えた段階での房総の実態から、廃藩置県前後の房総の変遷を明らかにし、どのようにして千葉県が成立したのかを、2回にわたって追ってみたい。


明治維新と房総

 江戸時代の房総であるが、江戸から至近であるという地理的な条件から、江戸幕府(徳川家)の直轄地や旗本領(知行地)が多数存在し、その上、藩領も複雑に配置されていた。幕末には、佐倉藩・大多喜藩・館山藩など17の藩が存在していた。

 なお、明治元年(1868)に請西(じょうざい)藩は廃止されているが、その事情を説明しておきたい。そもそも請西藩とは、上総国望陀 (もうだ) 郡貝淵村(今の木更津市)に陣屋を置いた譜代小藩である。初代藩主の林忠英 (ただふさ)が側衆から昇進し、文政8年(1825)に若年寄となり、加増を受けて1万石を領し大名となったのだ。

 嘉永3年(1850)、2代藩主の忠旭 (ただあきら)は陣屋を同郡請西村に移し、請西藩と改称した。幕末に至り、最後の藩主忠崇 (ただたか) は戊辰戦争において、房総諸藩のうちでただ一つ、官軍に抗戦して小田原、会津、仙台などに転戦した。しかし、降伏して領地没収されて廃藩となった。

 また、明治元年に駿河や遠江(現在の静岡県)から房総に領地を移された鶴舞藩・長尾藩などの7藩と、その他から移された曽我野藩・大網藩が加わり、房総には25藩が存在することになった。様々な領地が入り組んで、極めて複雑な様相を呈したのだ。


府藩県三治制と県の誕生

 江戸幕府の崩壊により、徳川家直轄地・旗本領などの幕府領は、新政府によって没収された。慶応4年(1868、明治元年に9月8日改元)閏4月、新政府は政治組織ならびに綱領を記した政体書を発布した。これにより、地方は「府」「県」「藩」で統治する府藩県三治制に移行した。

 旧幕府領のうち、奉行所が置かれていた場所や開港場などの重要地域には府が、それ以外の地域には県が置かれた。一方で、1万石以上の大名領である藩の支配は、継続することになった。各府県のトップには、「知府事」「知県事」が任命され、新政府の出先機関として機能したのだ。

 房総地方にも、慶応4年7月に「房総知県事」が任命され、8月には「下総知県事」が赴任し、今の県庁に当たる知県事役所が活動を開始した。それぞれの知県事管轄地には、当初は県名が付けられていなかった。明治2年(1869)に至り、ようやく各県庁所在地にちなんだ宮谷(みやざく)県、葛飾県という県名が付与された。

 発足した県の管轄地は、藩の領地の間を縫うようにモザイク状に分布していたが、県の管轄地として集約された。しかし、県名がそのまま地方行政区画となるのは、廃藩置県を待たなければならなかった。


宮谷県と葛飾県

 房総知県事管轄地として誕生した宮谷県について、慶応4年7月2日に久留米藩士・柴山典(文平)が「上総房州監察兼知県事」(房総知県事)に就任して役所である「房総知県事役所」を開設し、翌年早々に「宮谷県」の県名が付与された。

 柴山典(1822〜1884)の人物像であるが、文政5年生まれの久留米藩士で、尊王志士の池尻茂左衛門に師事し、即時攘夷派の中心人物であった真木和泉らと活動をともにした。明治2年(1869)に宮谷県の権知事、4年に知事となり、利根川治水などに尽力した。明治17年に63歳で亡くなった。

 宮谷県の管轄地は、安房・上総の両国と下総国東郡および常陸国東南4郡の旧幕府直轄地・旗本領などであった。対象4ヶ国内には、藩領がモザイク状に存在しており、複雑な状態のままであった。なお、「房総知県事役所」は2ヶ所の仮役所を経て、山辺郡(今の大網白里市)の宮谷に定着した。

 下総知県事管轄地として誕生した葛飾県について、慶応4年8月8日、熊本藩士・佐々布貞之允が「下総知県事」に就任して役所を開設し、翌年早々に「葛飾県」の県名が付与された。

 葛飾県の管轄地は、下総国内6郡の旧幕府直轄地・旗本領などであった。6郡内には藩領がモザイク状に存在(この他香取郡も一部管轄地に含有)しており、こちらも複雑な状態のままであった。なお、「下総知県事役所」は東京・薬研掘の仮役所を経て、葛飾郡加村(今の流山市)に定着した。

 次回は、版籍奉還、廃藩置県を経て、千葉県が誕生した具体的な変遷について、詳しく説明をしていこう。

筆者:町田 明広

JBpress

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