梶裕貴「実物を見るのは初めて」 舌が回りまくる薬でおなじみ「ういろう」が、実在するって知ってた?

2021年11月13日(土)17時0分 Jタウンネット

「拙者親方と申すは、お立会いのうちに御存知のお方もござりましょうが......」

この口上を、懐かしく思い出す人もいるだろう。

歌舞伎「外郎売(ういろううり)」の、とても長いセリフだ。

滑舌の練習のために、俳優、声優、あるいはアナウンサーは、このセリフを繰り返し唱えると聞く。

さて、「外郎売」というのだから「ういろう」を売っているのだろうが、それっていったい、どんなもの?

「何気に実物を見るのは初めて」

おそらくこれまで、何度も何度も「外郎売」を口にしてきたであろう、人気声優の梶裕貴さんが2021年11月3日、そんなツイートを投稿し、話題になっている。

「お菓子のういろうだと思ってた...」

投稿されたのは、2枚の写真。

パッケージには「透頂香(とうちんこう) ういろう」。開けると個包装の中に、銀色の粒が入っている。

「これを一回につき10〜20粒ほど飲むそう。
ドキドキするな...」

そう呟く、梶さん。スタジオに来るたびに声をからしている梶さんをみたスタッフが「自分にとってはおなじみの万能薬」とすすめてくれたものらしい。

するとツイッターには、こんな声が寄せられた。

「自分演劇部でよく外郎売やってました!外郎の実物ってこんな感じなんですね〜!僕も初めて見ました!」
「えっ...外郎って存在したん...?知らなかったんですけど...笑 私も、フル暗記するくらいには売ったなあ(架空)」
「ういろうってずっと和菓子の事だと思ってた笑」
「外郎ってこんなんなんですね、初めて見ました てっきりお菓子のういろうだと思ってた...」

梶さん同様、ういろうを初めて見たという「外郎売」経験者が続出しているのだ。

この小さな丸薬「ういろう」とは、どんなものなのか。口上では、飲むと体調がよくなり、なぜか舌もよく回るようになるというシロモノ。それを売るために、言いにくい早口言葉をこれでもかというほど喋りまくるのだが......。

Jタウンネット記者は、販売元のういろう(神奈川県小田原市)に、改めて聞いてみることにした。

舞台に立てなくなった歌舞伎役者が全快

Jタウンネット記者の取材に応じたのは、ういろうの広報担当者だ。

ういろうの歴史について、まず次のように語った。

「外郎(ういろう)は家名であり弊社の商品名にはございません。
『ういろう』とは外郎家が作る薬と菓子のことで、愛称で『ういろう』と呼ばれたことが始まりです」

では薬の「ういろう」には、どんな歴史があるのか。

「650年前、中国の元王朝が滅んだときに役人であった陳延祐が日本の博多に来て帰化し、中国での官職名に因んで『外郎(ういろう)』を名乗りました。
その後、室町幕府に招かれて、優れた医術の知識、特に大陸由来の家伝薬が朝廷に重宝されました。
これが薬の『ういろう(透頂香)』の起源です」

効用を尋ねると、

「主にお腹と喉に作用する小さな銀の丸薬です。自律神経を整えるなど幅広い薬効から多くの逸話を残しています」

とのこと。

たとえば、咳と痰の病でセリフが言えず、舞台に立てなくなっていた江戸時代の歌舞伎役者・二代目市川團十郎は、丸薬「ういろう」を飲んで全快。そのことへの感謝として、歌舞伎の演目「外郎売」は創作されたという。

薬のういろうは、対面販売のみ

そんな丸薬「ういろう」は、小田原のういろう本店での対面販売でしか購入することができない。

「薬のういろうは、年配の方が多くご利用されてますが、何世代にも亘って愛用されてるご家族、口コミや知り合いの薦めでという方もいらっしゃいます」(広報担当者)

なお、同社では薬だけでなく「和菓子のういろう」も製造・販売している。

こちらも幅広い世代に親しまれており「かながわの名産100選」に選ばれるほど。本店、支店、小田原駅名産店、ミナカ小田原で購入できる。

もっちりとした食感とほのかな甘さが特徴のお菓子で、こちらにも室町時代から続く、長い歴史がある。考案したのは、陳延祐の息子・大年宗奇だ。

「砂糖の精製技術がまだ無かった時代に薬の品揃えの一つであった高価なサトウキビ(黒砂糖)と米粉を蒸した棹菓子を国賓のもてなし用に作ったのが、お菓子の『ういろう』です。
(外郎家は)医術の面で活用する他、中国と交易するための外交官の役、文化人としての知識の高さを発揮して、京都で歴史を重ねました」(広報担当者)

どうして「小田原」の名物に?

しかし、室町時代中期におこった応仁の乱により京都は荒廃。伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)の「小田原で新しい国造りを」という思想に呼応する形で、五代目が薬の製法と共に小田原に移住したという。

「北条五代の約100年間は、外交力と知識を兼ね備えた重臣として北条家を支える一方、医薬師として領民の健康に寄与しました。豊臣秀吉による小田原攻めで開城した後は、武士の身分を捨て、医薬、商人として街づくりに尽力し、初祖より25代に亘り薬と菓子の伝統を守り現在に至ります」
「和菓子も家伝薬もすべて自社製造で、手間と時間をかけて丁寧に作っているため大量生産ができません。目の届く範囲での少量販売を基本としております」(広報担当者)

薬もお菓子も、少量生産・少量販売が基本。

ツイッターで、実際に売られている薬だと知らない人が多かったのも、納得かもしれない。

広報担当者を通じて外郎家の現当主に、今回話題になったことについて感想を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「外郎売の台詞は滑舌の練習に広く親しまれている一方で、弊社は昔ながらに品質重視のモノ造りに徹しているので販路を拡大せず、存在も口コミでの拡散に限られています。
告知不足で申し訳ありませんが、意外性も当家の醍醐味として、是非観光を兼ねて小田原へ、そして外郎博物館へお越しください。お待ちしています」
「外郎売という言葉の文化を通じて、皆様とご縁が広がることは大変嬉しいですし、先祖も喜んでいると思います。多くの方に話題にしていただき感謝します」

一度でも「外郎売」になったことがある皆さん、本物の「ういろう」の効果を体感するために、小田原まで行ってみてはいかが?

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