認知症の母の不審な行動。観察してみるとだんだん謎が解けてきた。なんでも右から左にさっとなぞる母の真意は…
2024年12月31日(火)12時0分 婦人公論.jp
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連載「相撲こそわが人生〜スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間務めながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります
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デイサービス拒否の母に幼稚園の弁当を思う
人はこれまで自分が経験したことのないことを、思わぬ時に経験することがある。
私は子供を育てたことがないので、自分の子供が他の子供と同じことができないことに対する悩みやイラ立ちを味わったことがない。それを認知症になった母から味わうとは思ってもみなかった。
私の友人たちは、「うちの母はデイサービスに通って楽しんでいる」、「洋服を回りの人に褒められてから、デイサービスの日はそればかり着たがる」と言い、「あなたのお母さんは何でデイサービスに行かないの?会社にいる間、預かってくれるのよ」と言われた。私は焦り、傷ついていた。
母の認知症がひどくなってきたので、介護認定を受け、ヘルパーさんが家に来るようになった。ところが、母はドアに鍵をかけてしまい、ヘルパーさんを家に入れなかった。会社にいる私に「入れないのですけれど」と、訪問介護の会社から電話が入るようになった。ケアマネジャーさんも私も、デイサービスに行くことを母に薦めたが、母は拒否し続けた。
「何でデイサービス行かないのよ!」と、私は母に怒鳴るようになった。しかし、自分が通っていた幼稚園のことを思い出して、怒鳴るのをやめたのである。
その幼稚園は名門でもなんでもない、近所にある幼稚園だった。しかし、園児の教育や生活態度に厳しく、折り紙がうまく折れない、歌をうまく歌えないなどの場合は、母親を幼稚園に呼び、母親に折り紙を折らせ、歌を歌わせた。当時は専業主婦が多くて、自宅で母親が教えて、他の園児と同じレベルにしろ、という方針だった。そのため母親たちは、子供を他の子供と同じようにしようと必死だった。
私の母も園長先生に呼ばれた。私のお弁当の食べ方が変なのだそうだ。「ご飯とおかずを交互に食べるのが正しいのに、おかずだけ先に全部食べて、その後にご飯を食べるのは、なにごとだ」と、園長先生は言うのである。母は、園長先生の前でお弁当を食べる訓練をさせられたわけではないが、家に帰ってきてから「何でそうなるのか?」と私に聞いた。
私は母にはっきりと言った。「デンプ(ご飯の上にかけるふりかけ)が好きで、それを後でゆっくり味わいたいから、ご飯は後なのだ」と。次の日から、私は園長先生の推薦する皆と同じ食べ方をするようになった。なぜなら、母はご飯の上にデンプをかけるのを止めたからだ。デンプは自宅で食べる夕飯のご飯の上にかけられていた。
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母の観察を開始
認知症は進むばかりで、母は「夕食は何を作ったら良いの?」とか「寒い。石油ストーブの灯油が切れた」などと、会社にいる私に電話をかけてくるようになった。エアコンがあり、スイッチの押し方をエアコンの傍に図解して貼っておいても、エアコンは使わなかった。会社の電話番号を書いた紙を隠したら、母は番号案内に電話してかけてきた。
その頃から、兄は統合失調症に加えて認知症も患っていたようだ。ただし、母と兄の認知症の症状は全く違い、その一つを上げると、兄は夏場でも一カ月は風呂に入らず、兄が動くと悪臭がした。母は「お兄ちゃんが臭い」と泣いて私に訴えた。兄はすぐに怒るから、私は兄に何も言わなかった。
母はお風呂に入りたがり、私は「私の監視のもとで入浴して」と言っても待てなかった。洋服を着たままシャワーを浴び、びしょびしょで私を待っていたこともあった。母は「お兄ちゃんみたいに臭くなると困る」と言うのだ。
作詞家の阿久悠さんが、かなり前に問題のある子供についてエッセイに書いていたことを思い出した。親は子供のことをよく観察することだ、としていた。私は母を観察した。母は文字に反応していた。私は、以前から漫画のような猫の絵を描いていて、その猫が話す形にして、いろいろなことを伝言することにした。「ヘルパーさんが夕食を作りに来る」、「お風呂は、マーサが帰ってから入ること」などだ。これは功を奏したが、エアコンをつけないのはそのままだった。
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不可思議な行動には意味があった
ケアマネジャーさんが、母の認知症が悪くならないように、訪問で認知症のリハビリをする人を介護のメンバーに入れた。その時から、母は変な仕草をすることになった。
私が「ケーキを買ってきたよ」と母に差し出すと、人差し指でケーキの上を左から右にさっとなぞるのである。私が母の好きなカレーライスを作り、テーブルに置くと、カレーライスの上を人差し指でさっとなぞり、「アチッ」と言い、火傷しそうになっている。私がテレビを見ていると、私の額を人差し指でさっとなぞるのである。
これは祝日に謎が解けた。私は家にいて、ドアの隙間から、認知症のリハビリはどうやってやるのかをこっそりと見ていた。療法士(リハビリ専門職)は若い男性で、iPadを母の前に置き、母に指で操作させ、いろいろ見せていた。そして航空写真から「ここが、しろぼしさんのおうちですよ」と示していたのである。その指の動きを覚えた母は、なんでもかんでもスクロールしようとするようになったのだ。
さて、兄の統合失調症に認知症が加わり、兄は入院した。母は兄の入院が分からず、しばらくは家にいると思っていたが、そのうちいないことを理解した。すると、母はデイサービスに行くようになった。母親の責任として、兄に食事を作らなくてはいけないとか、通院日の朝には起こさなければと思い、出かけられなかったのである。
母が亡くなってから、私は母がいつも坐っていた場所に坐った。するとエアコンの風が顔にあたり辛かったのである。認知症の家族を抱えることは大変なことだが、認知症の立場になってみないと、分からないことが分かった。