なぜ60年前の少女は「ピンクの壁紙」を選ばなかったのか?
2025年2月11日(火)6時0分 ダイヤモンドオンライン
なぜ60年前の少女は「ピンクの壁紙」を選ばなかったのか?
お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失った。ついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるのが楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
Photo: Adobe Stock
初めての自分の部屋
初めて自分の部屋を持たせてもらったのは、もう60年も前のこと、小学校高学年のときでした。当時、父の会社の経営がどんどん上向きになり、木造の家から鉄筋コンクリートの家に移り、リビングにはピアノやマントルピースが入りました。
家が豊かになっていくというよりも、子どもである自分が1年1年成長していくように家も成長していくんだろう、くらいに思っていたのですから、ぼんやりした子どもだったのだと思います。
壁紙選びの楽しさ
自分ひとりの部屋を持つことになり、壁紙を選ばせてもらえることになりました。今考えると、ありがたいことですよね。母はただ父に従う人だったので、インテリア好きな父が主導して、珍しく「ここはひとつ、娘の好きにさせてやろう」ということになったのでしょう。
当時としてはとても珍しかったコルクの壁紙を選びました。私の少女時代といえば、欧米文化を何よりも尊ぶ時代です。一般的な女の子であれば、ピンクの花柄の壁紙などを選ぶのでしょうが、私には当時から「少女趣味なものは自分に似合わない」という思いが、なんとなくありました。
で、コルクの壁紙です。けっこうな金額だったらしく、父に「ジュンコはずいぶん高いものを選ぶんだな」と、まんざらでもなさそうに言われたことを覚えています。
部屋ができていく喜び
これが私のインテリア初体験で、部屋ができあがっていくのがうれしくて、しょっちゅう工事中の部屋を覗きに行ったことを今でも覚えています。
床は、これまた当時最先端だった「敷き込みカーペット」です。コルクの壁色に合わせて、茶色とベージュの中間のようなシックな色を選びました。
唯一の心残り
ただ一つ残念だったのが、デスクの色です。これで木目が透けて見えるような塗りのデスクだったら言うことなしだったのですが、父が大手オフィス家具メーカーの役員を兼任していた関係で、味気ないグレーのスチールデスクにされたのです……。
当時、個室を持たせてもらえて、しかも内装を好きにさせてもらえる子どもはそう多くなかったと思うので、その点は感謝を惜しまないのですが、すでに「色は質感を合わせる」ということに美意識を見出していた私には、残念な出来事でした。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。