「れいわ新選組」木村英子参院議員は24時間介護でも連日予算委質疑 国会のバリアフリー化は進んだのか

2025年4月19日(土)13時0分 J-CASTニュース

「れいわ新選組」の木村英子参院議員(59)は、2025年3月の終わり、参院予算委員会などで連日のように6回、質疑を重ねた。高額療養費制度の見直し、投票所での介護者同行拒否問題、重度訪問介護の支援拡張問題など、石破茂首相とやりあった。

木村、舩後議員の当選で参院施設の改善が進む

木村さんは、生後8か月で歩行器ごと玄関から落ちて、頚椎を損傷。以後24時間介護が必要になった。2019年に同期で当選した舩後靖彦さん(67)も同月末の参院予算委で医療的ケア児支援の現状などを質問した。42歳の時にALS (筋委縮性側索硬化症)のため、手足を動かせず、言葉を発することができなくなったが、口に入れたチューブを歯で噛み、文字盤の字を指定しながらパソコンで原稿を書き、介助者が代読した。2人とも大型車いすを必要としたため、階段だらけの議場のスロープ整備など、参院施設の改善が進んだ。

ただ、トイレは、これ以前の1977年に八代英太氏(後に郵政相、舞台から落ちて車いす生活に)が参院に当選して初めて、車いす用に改修されていた。国会議事堂が昭和11年(1936年)に完成して以来、「権威の象徴のようなもの」に初めて工事が入った。

「そのころの国会は階段だらけ。傍聴も車いすは許され」なかった。八代さんは当時、J-castのインタビューにそう語っている。当選前に議員会館へ陳情に行ったら、「正面からは入れないから、裏にまわって貨物用エレベーターに乗った」。

八代さんは参院と衆院合わせて28年間議員活動を続け、障がい者雇用制度の整備などに尽力した。2019年に木村さんらが当選後、参院本会議場にスロープが設置され、車いすで演壇に上がり、投票ができるようになった。

一方で、会期末の与党の採決強行をめぐっては、野党の抵抗で「深夜国会」になだれ込んだ。車いすの議員らは休憩と再開のたびに介護者と、本会議場と議員会館の往復を繰り返した。朝日新聞によると、舩後氏は、「深夜にわたる国会は、難病のある私だけでなく、子育て中の方、介護をされている方にとっても疑問だ」とツイッター(現X)に書いた。

押しボタン採決実現を遅らせた野党の「牛歩戦術」

船後議員や木村議員は、深夜国会やコロナ禍の経験も踏まえて、国会審議の「オンライン化」を求めているが、なお実現していない。ただ、採決で言えば、参院が1998年に導入した「押しボタン投票」を一歩進めれば、実現はそう難しくない。

しかし、この押しボタン採決は、衆院では昭和30年(1955年)頃から導入が検討された経緯がある。野党の伝統的な抵抗手段である「牛歩戦術」ができなくなるとの事情で実現しなかった。

「牛歩」とは、議場をゆっくり歩いて、投票に時間をかけ反対意思をアピールする戦術だ。昭和の時代にはしばしば行われたが、最近では「れいわ新選組」が5回実行した。参院の採決は原則「押しボタン式」になったが、出席議員の5分の1の賛成があれば、一人一人が演壇に上がって札を渡す「記名投票」にできるルールが残されており、なお「牛歩」は可能だ。

「牛歩は認められるべきだと思います。国会のオンライン化との調整は?難しいですね」木村さんの答えはまだ、出ない。

(ジャーナリスト 菅沼栄一郎)

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