旧足尾銅山近くに立つ「孤高のブナ」 煙害で消失した森を再生する懸命の試み【風をよむ・サンデーモーニング】
2025年5月4日(日)14時31分 TBS NEWS DIG
国連が定めたSDGs=持続可能な開発目標では、「陸の豊かさを守ろう」として、森林の保全や回復を訴えています。日本の「公害」の原点ともいえる場所での、森の再生の取り組みを取材しました。
森の再生は…旧足尾銅山の“公害”
緑に覆われた山々。その中で異様な存在感を放つ、一面、黒く塗られたような斜面があります。表面を覆うのは、銅の製錬過程で発生した廃棄物です。
栃木県・旧足尾銅山の製錬所にほど近い場所で、明治から昭和にかけて、製錬所から放出された有毒な煙の影響で、木々が枯れ、現在、山肌は岩と砂に覆われています。
稜線に沿って登っていくと、姿をあらわしたのは一本のブナの木。もともとブナの林が広がっていたとみられますが、次々と枯れ、唯一生き残ったこの木は「孤高のブナ」と呼ばれるようになりました。
このブナが立つ稜線の左側には森が広がっていますが、煙害を受けた右側は、木がないため、雨で土壌が流され、岩と砂だけになってしまいました。
「孤高のブナ」を見た人
「(人間は)なんてことしてしまったんだって感じ。岩だけですもんね」
「実際に来てみると、環境破壊のすごさみたいなものを実感できる」
資源の採掘がもたらした傷跡。それに抗うかのように立つ1本のブナ。ここ足尾は、森と私たち人間の関係を今、改めて問いかけています。
痛ましい「公害」の跡 100年以上経っても…
今から140年前の明治20年頃。足尾銅山では、当時の最先端技術を導入し、積極的な銅の採掘・製錬を行っていました。ところが、亜硫酸ガスの煙害で、山の木々が枯れていきます。
この惨状を告発し、天皇に直訴したのが政治家・田中正造。その被害は世間に知られ、日本初の「公害」とされました。
しかし、それから100年以上経っても痛ましい「公害」の跡は残ります。現在も、閉じた鉱山や廃棄物の堆積場などから出る水の浄化処理や、下流域で水質のモニタリングが続けられています。
一方で、煙害によって消失した森林面積は、2400ヘクタールにおよび、山手線内側のおよそ4割に達します。
「山と心に木を植えよう」20年にわたる植樹活動
この森を復活させようと20年前、ある民間団体が植樹活動を始めました。岸井成格さんらが立ち上げた、民間ボランティア団体「森びとプロジェクト」です。
森びとプロジェクト 岸井成格 理事長(2005年5月)
「山と心に木を植えようと。『心に木を植える』という中には、足尾の歴史も一緒に学んでいこうと」
この荒れ地で「森びとプロジェクト」は20年に渡り、栄養分が高い黒土を運び、苗木を植え育ててきました。ウサギや鹿などに苗木が食べられないよう網を張り、雑草を取り除く作業も行ってきました。
4月29日に行われたのは「孤高のブナ」の保護活動。自然分解する袋に入れた、草の種子が混じった黒土を根元に置きます。草が生えることで、土壌が雨に流されなくなります。
さらに「孤高のブナ」の種子から、新たなブナを育てる取り組みも。約100個ほどの実から発芽したのはわずか2つ。7年かけて苗木に育て、そのうちの1つを「希望のブナ」と名付け、ようやく2年前に植えることができました。
「未来を生きる子どもたちのために」各地で進む森林の破壊
森を再生する懸命の試み。その一方で、今、日本各地で進む森の破壊。その影響はさまざまなところにあらわれています。
▼過剰な伐採などで、森の機能が弱まって招く「土砂崩れ」
▼人の手が入らず放置された森に広がる「山火事」
▼森につながる里山の荒廃で、人里にクマが出没するなどの「獣害」
しかし、森の再生には途方もない時間と労力が必要です。
足尾の森はNPOや企業などによって一部が再生され、野生動物も戻ってきました。
ところが、20年かけて「森びとプロジェクト」が再生した面積は、わずか5.6ヘクタール。禿げ山となった地域の0.2%にすぎません。実際、「希望のブナ」の成長も遅々としたものです。
森びとプロジェクト 清水卓 副代表
「1年で10センチ。あれ(親木)が12メートルですから、10センチずつ1年で伸びていっても、100年ですもんね」
それでも、なぜこうした作業に取り組み続けるのでしょうか。
森びとプロジェクト 清水卓 副代表
「人間はやはり、この自然とこの森がなければ生きていけません。未来を生きる子どもたちのために、この豊かな地球環境を守らなきゃならない。使命感というより、それが私達の義務じゃないかと」
100年以上前、この地で抗議活動を行った田中正造は、こんな言葉を残しています。
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」