筑波大へご進学の悠仁さまを揺さぶる“愛子天皇”極秘計画…絵空事ではない? “女性天皇”誕生の可能性とは
2025年5月9日(金)12時0分 文春オンライン
「愛子さまに相応しい、Y染色体を持つ旧皇族の青年を」。総理が懐刀に指示し、女性天皇誕生に向けた計画が——。
◆◆◆
絵空事ではない? “女性天皇”の誕生
12月1日、天皇家の長女・愛子さまは、23歳の誕生日を迎えられた。この日公開されたご近影での愛子さまは、水色のハイネックニットにグレーのジレ(袖なしのジャケット)をあわせる流行を取り入れた着こなしで、皇居内の庭園に植えられた柿の木を見つめられていた。
4月に日本赤十字社に就職されて以降、公務も本格的に開始され、仕事と公務を両立させてこられた愛子さまの姿は、国民の好感を呼んでいる。そんな愛子さま人気も後押ししてのことだろう。毎日新聞の世論調査(5月)では、女性天皇を容認すると答えた人が、全体の81%に上った。

愛子さまを天皇に——。それは、これまでただの絵空事にすぎなかった。現在の皇室典範では、女性の皇位継承は認められていない。さらに、次代の天皇として、皇位継承順位第2位の、秋篠宮家の長男・悠仁さま(18)がおられる。わずか5歳しか違わない愛子さまが天皇になれば、将来天皇になることを前提に育ってこられた悠仁さまのお立場が揺らぎかねないためだ。
だが、ある政権中枢は、小誌の取材にこう明かす。
「総理は、愛子天皇を容認する考えでした。そして自身の懐刀に、極秘で“ある指示”を出したのです」
悠仁さまが筑波大へ進学
「学生さんたちがメディアの取材に答えているのを見ると、『早くおいで』と歓迎するようなコメントがほとんどでした。大学生活は貴重な4年間なので、いろんな経験をされたら良いなと思います」
12月20日、東京都文京区にある筑波大学東京キャンパス。永田恭介学長は陽光の差し込む一室で椅子に腰掛け、小誌記者の質問にこう言って目を細めた。
この日、悠仁さまが入学手続きを終えられ、筑波大への進学が正式決定した。皇位継承権のある皇族が学習院以外の大学に進学するのは戦後初めてである。
悠仁さまが進学されるのは、筑波大生命環境学群の生物学類だ。OBが語る。
進路決定の後押しとなった“研究室見学”
「他大学でいう理学部生物学科にあたります。偏差値は57.5で、定員は1学年80名。同じ規模の国立大に比べて多いですが、教員数も約80名と多く、手厚い教育が受けられる。長野県に実験所を構えるなど野外実習も可能で、研究領域も菌類から昆虫まで多岐にわたります」
悠仁さまの進路決定の後押しとなったのは、筑波大学附属高が学校行事の一環として行っている、筑波大の研究室見学だという。昨年6月、悠仁さまが見学に訪れたのは、応用動物昆虫学が専門の古川誠一准教授の研究室だった。関係者が振り返る。
「悠仁さまは、5〜6人のご学友とともにいらっしゃって、3時間ほど見学された。このときのテーマは『寄生性昆虫の生きる道』。生命環境学群では他にも3つの研究室が見学を受け入れていましたが、昆虫をテーマにしていたのは古川研究室だけだったので、それで選択されたのでは。悠仁さまは冒頭1時間ほど講義を受け、後半は解剖実験に取り組まれたそうです」
ご学友と雑談し、笑顔を浮かべる姿
蛾の一種であるアワヨトウの幼虫に、あらかじめカリヤコマユバチという寄生バチの卵を産み付け、寄生させておく。解剖実験は、そのアワヨトウの体内から寄生バチを見つけ出すというものだった。顕微鏡を覗き込み、ピンセットやハサミを手に四苦八苦する悠仁さまや生徒たち。やがて、口々に「いたー!」と声をあげたという。
「決して難しい実験ではないようですが、悠仁さまはノートを手に一生懸命メモを取られるなど、真剣に取り組まれていたそうです。その後の質疑応答の時間にも、生徒たちから様々な質問が飛び交いました。ご学友と雑談されて笑顔を浮かべる姿は、当たり前ですが、普通の高校生のようだったとか」(同前)
大学での研究の一端に触れたこの日が、悠仁さまの進路選択の上で大きな刺激となったことは想像に難くない。そんな筑波大の永田学長が、約50分にわたり小誌の単独インタビューに応じた。
永田学長といえば、悠仁さまの筑附高進学が決まった際の定例会見でも「大変光栄なこと」と喜びを隠さなかったことで知られる。悠仁さまの筑波大進学への受け止めを尋ねると、こう語った。
「まずは、『おめでとうございます』と申し上げたい。普通の学生さんと同じです。周りは盛り上がっていますが」
学長が明かすご一家との接点
じつは、永田学長は「悠仁さまにまだ一度もお会いしていない」のだという。
「秋篠宮ご夫妻とは、園遊会にお招きいただいた際にお話しさせていただいたことがあります。ですが、接していただくにあたっては他の方々へのご対応と変わりません。それから、僕はウイルス学が専門なので、コロナ禍でオンラインでのご進講をさせていただいたこともありました。ご一家との接点はそれだけです」(同前)
永田学長が“他の方々と同じ扱い”と強調するのには理由がある。悠仁さまが推薦入試に合格されると、SNSなどで「筑波大の附属高に通っていれば、いくらでも推薦してもらえるのでは」などと、悠仁さまに対する“特別扱い”を疑う声が上がったのだ。筑波大では推薦入試の合格発表があった12月11日、公式HP上に「本学の推薦入試について」と題した文章を公表。そこには〈指定校推薦及び附属高校からの特別枠はなく〉と記されている。永田学長にその真意を尋ねた。
「『悠仁親王殿下のために作った入試だ』と言っている人がいるので、『そんなことはありません』と伝えるために公表しました。推薦入試は開学2年目の昭和49年(1974年)から行われており、推薦で入学した学生は2万5000人近くに及びます。推薦入試は、高校3年の夏までオール5に近いくらいの成績を取らないと受験資格が得られない。それだけよく勉強する学生が推薦されているということです」
異例の遠距離通学に伴う困難
学長からも歓迎され、悠仁さまの眼前に広がる花のキャンパスライフ。だが、「皇位継承資格者で初」の大学進学には、さまざまな困難が伴うのも事実だ。その最たる例が、異例の遠距離通学である。悠仁さまはお住まいのある赤坂御用地から通学される見込みだが、御用地からつくば市の筑波大までは約70キロの距離があるのだ。
悠仁さまは車で通学されると見られる。常磐自動車道などを経由して約1時間半の道のりだ。
「悠仁さまが乗車する車両には皇宮警察が同乗します。その後続には基本的に、各地の県警車両がリレー方式でつく。通常は助手席の警察官が安全確認と無線連絡を兼ねるため2人態勢ですが、長距離のため3人態勢になるのでは。加えて、高速道路上では数百メートル先に安全確認の車を走らせることから、悠仁さまお一人に対して、少なくとも3台の車が動く必要がある」(警察関係者)
警備費用は学習院の約9倍
当然、こうした警備には経費がかかる。では、実際にはどの程度の負担増となるのか。小誌は今回、学習院大学と筑波大学とで通学にかかる警備費用の差がいかほどになるか試算した。
試算では、長期休みを除いて週に5日、年間200日通学すると仮定。人件費として、警視庁の最も低い号給が年収約300万円、法定労働時間の上限が年約2000時間であることから、警察官の時給が1500円と仮定した。
学習院大を往復する場合の車両には合計3人が乗り込むのに対し、筑波大を往復する警備には、長距離対応の人員や高速道路上の警備車両も加わるため、警備に携わるのは合計で6人。ガソリン代は170円、燃費は1リットル12キロとして、高速道路代金なども加えると、学習院大学の警備費用は1年間で約95万円。一方の筑波大学は約840万円という結果となった。人件費の試算などは目安にすぎないが、筑波大に通われることで、約9倍の費用がかかることになるのだ。
天皇陛下から直接に学ぶ必要性
さらに、遠距離通学にはこんな懸念もある。皇位継承に関する著書もある京都産業大学名誉教授の所功氏は、「とやかくいう立場にない」と断ったうえで、こう語る。
「20歳前後は非常に大事な時期。今の天皇陛下が父である上皇陛下のなさりようを間近に学んでこられたことを見習ってほしい。ただ、悠仁さまにとって天皇陛下は伯父。親から子なら伝えやすかったことも、伯父と甥となれば難しい。これから悠仁さまが遠方の筑波大学まで通われるとなれば、時間的にもなおさら難しくなる。できるだけ父の秋篠宮さまとともに皇居に出向かれ、天皇陛下から直接に学ぶ機会を増やされることが望ましいと思われる」
子は親の背中を見て学ぶ。それは、従来の帝王学においても同じだった。いま、天皇の背中を最も間近で見ている存在——それは、長女の愛子さまに他ならない。
しばしば慣例を打ち破ってこられた悠仁さまとは対照的に、愛子さまは、不登校や“激ヤセ”といった困難もありながら、従来の皇室像を体現するかのように成長された。
天皇ご一家の姿勢が垣間見られる逸話
「その一例が音楽です。上皇陛下はチェロ、美智子さまはピアノ、天皇陛下はヴィオラというように、楽器を嗜まれる皇族方は多い。愛子さまも、学習院初等科4年生のときに管弦楽部に入られたことをきっかけにチェロを演奏されるように。楽譜を床一面に広げるほど打ち込まれていたそうです。一方、悠仁さまもお茶の水女子大附属小学校の頃まではピアノを習っていましたが、途中でやめてしまわれた」(宮内庁担当記者)
愛子さまや天皇ご一家の姿勢が垣間見られる逸話がある。宮内庁関係者の話。
「じつは愛子さまは女子中等科の頃、“女子高等科では米国に留学したい”と希望されていた。しかし、皇族は大学で英国に留学するのが慣例です。結局、その希望は断念されていました」
前例を踏襲したのは大学選びでも同様だった。
「愛子さまは学力が高いとされたこともあり、大学進学にあたって、学習院以外の大学に進まれるのではという見方もあった。しかし結局、大学も学習院に進まれました」(前出・記者)
ご学友にも恵まれた愛子さま
学習院大は皇族の受け入れにも慣れており、警備もしやすいとされる。ご学友にも恵まれたようだ。
「仲良しのご友人の自宅へ遊びに出かけられることも度々あった。中でも親友として知られる女性は、学習院大の卒業式の際、愛子さまと一緒に写真を撮っていい人とダメな人を仕切っているように見えました」(学習院の同級生)
その時、愛子さまが手にされていた卒業証書に記された氏名は「Princess Aiko」。親友女性の振る舞いは、「姫」を守る親衛隊そのものだったという。
大学卒業までは「学業優先」を理由に、公務にもほとんど参加されなかった。
高まる“愛子天皇”の待望論
「天皇皇后両陛下も、無理に公務をしなくてよいとお考えでした。そのため、学生の頃は、行事へのお出ましの依頼があっても全て断っていた。秋篠宮家では、悠仁さまをはじめお子さま方に10代のうちから公務に参加させておられたので、この点でも対照的でした」(前出・宮内庁関係者)
そして現在、愛子さまは国民から高い人気を得る。“愛子天皇”の待望論は高まる一方だ。
〈 安倍氏は「愛子さまと旧皇族の男子が結婚するのが一番いいよね」と…筑波大ご進学の悠仁さまと愛子さま“それぞれの岐路” 〉へ続く
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年1月2日・9日号)