落語家が養成する「お笑い福祉士」、20年前は「出直せ」と不評も…お年寄りに笑顔と希望届ける

2025年5月18日(日)11時14分 読売新聞

笑福亭学光さんの教え子のお笑い福祉士・安岡寺家康楽さん

[しあわせ小箱]

 「最近は三途さんずの川もマイナンバーカード持ってへんと順番が遅れるそうや。閻魔えんまさんに『カードないなら後ろに回り』て言われる」「今は六文銭もあかん。ペイペイで払うらしいわ」

 高齢の女性が高座でそんな小咄こばなしを披露すると、周囲からくすくすと笑い声が漏れた。続けて古典落語の「堪忍袋」も演じる。

 上方落語家の笑福亭学光がっこさん(71)がすかさず、芸歴50年のベテランらしい助言を高座の脇から送る。「場面をちゃんと思い描けるようにして。でないと、聴いている人はわからなくなる」。プロの修業さながらの真剣さだ。

 でも、ここは大阪府高槻市にあるカルチャーセンターの一室。高座と言ったって、テーブルの上に座布団を敷いただけだ。そう、彼らはボランティアで高齢者福祉施設を訪ねて笑いを届けるため、学光さんの指導で芸を磨く受講生たちなのだ。

 大半は定年退職後の会社員や主婦たちで、学光さんが「人前で披露してもOK」と判断すれば資格を授ける。その名も「お笑い福祉士」。「グッドネーミングでしょ、まるで国家資格みたいで」。学光さんがニヤリと笑う。

 始めてもう20年になる。なぜこんなことやってるかって? ちょっと長くなるけど、お話ししましょか。

鶴光さんに弟子入り

 笑福亭学光さんは、ひょんなことから芸の道に進んだ。

 徳島県羽ノ浦町(現阿南市)に生まれ育ち、高校卒業後は地元の銀行に就職した。しかし職場の人間関係になじめず、1年半ほどで辞めてしまった。

 その後、憧れの大都会・大阪へ。親類宅に身を寄せ、アルバイト生活を送っていたとき、「なんか面白そうやな」と門をたたいたのが、松竹芸能の養成所だった。

 自分はスター性なんてない地味な人間。そう思っていたけれど、子どもの頃から、テレビで見る松竹や吉本の漫才、新喜劇といった華々しい世界が好きだった。それに……。養成所の月謝が数千円と安かったし。

 寄席で聴いた笑福亭鶴光つるこさんの落語にほれ込み、1975年に弟子入り。地方回りの合間を縫い、修業を兼ねて高齢者福祉施設をボランティアで訪問し、落語を披露するようになった。

 おじいちゃんおばあちゃんの反応がうれしかった。「ありがとう。楽しかったわ」。孤独に過ごす人も多いのか、涙を流し、しわくちゃの手を差し出して握手を求めてくる人までいた。

 「若気の至り」の連続で足を踏み入れた落語界。笑いの底力を思い知らされた。

看護師のオモシロ話にひらめく

 笑福亭学光さんが「お笑い福祉士」の養成に携わるきっかけは20年余り前に遡る。笑福亭鶴光つるこさんの一番弟子となって30年近くがたち、寄席やラジオ出演をこなして充実した落語家生活を送っていた頃だ。

 生まれ故郷の徳島県で一般の人に落語を教えないかと誘われたのがきっかけで、2003年からカルチャーセンターで講座を受け持つことになった。時間に余裕のあるリタイア組だけでなく、子育て中の主婦やサラリーマンも受講してくれた。

 まずは人前で話すのに慣れることだと、一人ずつ「自分語り」をしてもらった。そして気づいた。実体験を基にした彼らの語りがいかに面白いかに。

 受講生の看護師は集中治療室(ICU)に勤めていた。同僚と、手術が終わって麻酔が切れてきた患者の体位を変えようと、「さあ、べっぴんさんの方を向いてください」と声をかけた。こちらを向くだろうと思っていたら、患者は同僚の方にくるり。近くにいた看護部長が「意識レベル、オッケー」と言ったとか。

 腹を抱えて笑うことしきり。これはもっと多くの人に披露しなきゃもったいない。思い出したのが、高齢者福祉施設でおじいちゃんおばあちゃんに喜ばれた若手時代の経験だった。

ヨミドクター 中学受験サポート 読売新聞購読ボタン 読売新聞

「落語」をもっと詳しく

「落語」のニュース

「落語」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ