サメに襲われ→「全員が死亡」の“異常事態”に…愛知県の“連続人食いザメ事件”で専門家が語った“意外すぎる仮説”とは?

2025年5月21日(水)7時20分 文春オンライン

〈 「右上半身が丸々噛みちぎられ…」「襲撃したサメは5〜6メートル」愛知県の“小さな島”周辺で起きた“痛ましい人食いザメ事件” 〉から続く


 名古屋から“一番近い島”として知られる愛知県・日間賀島(ひまかじま)。この周辺の海域で、12年のあいだに8件のサメによる襲撃があり、襲われた全員が死亡しているという。この知られざる「人食いザメ事件」はなぜ起きたのか?(全4回の4回目/ #1 から読む)



日間賀島の海水浴場(サンセットビーチ)


◆ ◆ ◆


「なにせ昔のことで記憶も曖昧ですし……。それでもよければ」


 小沢(仮名)は水生生物の専門家であり、日間賀島におけるサメ被害の調査にも関わったことがある。この記事の中で何度も登場している“シャークアタック”の専門家である故・矢野和成博士とも、もちろん面識がある人物だ。


 ただ「もう第一線は退いているから」ということで今回は匿名での取材となった。


“日間賀島のサメ”と関わるようになった理由


——なぜ、日間賀島のサメについて調査などで関わるようになったのですか?


「たまたま日間賀に遊びにいったときに資料館(日間賀島資料館。現在は閉館)で“サメ狩り”の映像を見たんです。昔のニュース映画だったと思いますが、サメによる咬傷事故で漁師の方が亡くなったりしたというので、いわば“弔い合戦”として漁師が船を連ねてサメ捕獲作戦をやったという話でした」


 改めて、日間賀島とその周辺の海域における連続襲撃の概要を抜粋しておく。1938年から1950年までの間に、日間賀島から篠島にかけての狭い海域で実に8件のサメによる襲撃が起き、襲われた全員が亡くなっているのだ。


 後に小沢が調べたところ、映像で見たような“サメ狩り”が行われたのは太平洋戦争直前のことだったというから、1938年か1939年の篠島における女性の死亡事故を受けてのものだったのかもしれない。


 また民俗学者の瀬川清子も1938年に日間賀島に向かう船内で聞いた島民同士の会話について〈鱶(※編集部注:フカ/サメ類の特に大きいもの)に片腕を食われた男の話がもっぱらで、今日も島人が総動員で、その鱶を捜索しているという〉(『日間賀島・見島民俗誌』)と書いているから、この当時、日間賀島やその周辺の海域でサメ被害が相次いでいたことは間違いないだろう。


 一方で“サメ狩り”の映像で小沢は、漁師たちがサメ漁のための長い銛などの道具を手にしていたのを見て「なぜ彼らはそんな道具を持っていたのだろう?」と疑問に思った。調べてみると、日間賀島が古来よりサメ漁が盛んな島であり、ここで獲れたサメの肉が朝廷などに献上されていた歴史を知ったという。


——戦前から戦後にかけてのサメの“連続襲撃”については、どう思われますか?


「うーん(少し考えてから)……。僕は20代の頃から漁業者の方とはずっと付き合ってきて、一緒に船に乗って網を上げたこともあります。よく漁師の仕事について“板子一枚下は地獄”というけど、本当にそうなんですよね。網を巻き上げるロープに巻き込まれて指が飛んだりとかは日常だし、潜り漁の場合は潜水病で亡くなってしまうことも珍しくない。朝、出て行った人が夕方に帰ってこないということが普通にある世界なので、サメに襲われることもあるだろうな、と」


サメの連続襲撃は“単独”か“複数”によるものなのか?


——当時の日間賀島での連続襲撃は、“単独犯”によるものか、それとも“複数犯”によるものなのか、どうお考えでしょうか。


「うーん、それはわからない。何ともいえない。ただ、こうやって人を襲って死に至らしめるほど大きいサメが当時、そのへんにゴロゴロいたかというと、そうは思えない。でも、やっぱり何ともいえないですね。


 それだけ大型で人を襲うサメとなると種類はある程度、絞られるとは思います。ホホジロザメか、イタチザメ、あるいはオオメジロザメか。ただオオメジロザメはどちらかといえば、熱帯から亜熱帯にかけての温かい海で活動するので、ここまで入ってくるのかな、という気はしないでもない。そういう意味では、比較的水温が低い海域でも活動できるホホジロザメの可能性が高そうだとは思います」


——実際に1995年に渥美半島沖で起きた死亡事故はホホジロザメによるものでした。現場海域と日間賀島は近いので、日間賀島に出てもおかしくはないですよね。


 では、例えば人を襲うことを覚えてしまったサメが日間賀島周辺に長期間居ついて、襲撃を続けたということはありうるのでしょうか?


「何とも言えないですね。それを検証するには、この当時の水温の記録とか漁獲の記録とか、あるいは海中での作業中に襲われたのか、漁獲物を引き揚げるときに襲われたのかとか状況記録ですね、そういうことがわからないと判断しようがないんです」


大型で人を襲うサメが沿岸に近づいてくる“可能性”はある


——例えば水温の変化で、大型で人を襲うサメが沿岸に近づいてくることはあるんでしょうか?


「それはありえますね。ぱっと思いつくところでは『冷水塊』というのがあります」


 日本列島の南岸を流れる黒潮(暖流)が何らかの原因で南に大きく蛇行すると、蛇行した黒潮と日本列島南岸との間に、大きな冷たい水の塊が発生する。これを冷水塊といい、冷水を好むイワシなどが冷水塊に集まってくる。


「そのイワシを追って、マグロとかカツオもやってくるし、さらにそれらを狙って大きなサメもやってくることはありえます」


 一方で各地の漁業を見てきた小沢はこんな指摘をした。


「日本では40ほどの都道府県で、素潜り漁(岩手県や三重県など)やスキューバなどを使った潜水器漁(千葉県や静岡県、愛媛県など)が行われています。そうした中でも日間賀島地区における潜水漁業従事者は100名を超えたときもあり、この限られた狭い地域にこれだけの従事者がいたというのは、珍しいと思います。また知多・渥美半島も含めて、比較的外洋に近い場所で潜っているのも特徴です」


 つまり、他の地域の潜水漁と比べて単純にサメとの接触の機会が多かった可能性はある。


 ちなみに前出の「サメ類の被害防止、生理、生態に関する研究報告」(1996年)には日間賀島や篠島の各漁協の潜水漁従事者に対するアンケート結果も掲載されているが、潜水中にサメ類と遭遇したことがある人の割合は、だいたい10%から13%という結果で、多くは小型のサメであった。


「サメ被害のあった年で何か思いつくことはないですか?」


 それにしても——。調査や取材を重ねるほど、日間賀島とその周辺の海域で12年間で8件もの死亡事故が起きたことの異常さが際立ってくる。いったいあのとき、何が起きていたのか。


 すると小沢が突然、「この1943年とか1946年とか、サメ被害のあった年で何か思いつくことはないですか?」と口を開いた。「……太平洋戦争ですか?」と首を捻ると、小沢はこう言った。


「地震ですよ。南海トラフ」


 太平洋戦争の最中、今でいう「南海トラフ地震」が起きたが、徒(いたずら)に戦時中の国民の不安を煽るべきではないという理由で報道管制が敷かれたという話は聞いたことがあった。


 正確には、このときの南海トラフ地震は東西に分かれて時間差で起きており、まず1944年12月に熊野灘沖を震源とするM7.9の「昭和東南海地震」が発生し、その2年後の1946年12月には和歌山県最南端の潮岬沖を震源とするM8.0の「昭和南海地震」が発生。また南海トラフではないが、1945年には内陸直下型の三河地震も起きている。いずれも甚大な被害をもたらした。


 日間賀島での“シャークアタック”が頻発していた時期と、日本列島の南で地震が頻発していた時期が微妙に重なりあっているのは偶然だろうか。地震が起きるとき海底では——。


「……磁場の変化ですか?」


 小沢が頷きながら、こう“種明かし”をした。


「伊藤さんからこの件で電話をもらったとき、ちょうどニュースで南海トラフ地震の被害予測の話題が出ていたんです。それで“もしかして”と思いついただけの話なので、科学的な裏付けは何もありません」


「ただ……」と小沢が続ける。


「サメ類やエイ類には『ロレンチーニ器官』と呼ばれる生物が発する微弱な電流や磁場を感知する感覚器官が備わっています。これにより海中で獲物を探したり、また地磁気情報を受け取る能力もあるとされています。地震が頻発するということは、海中でも磁場の変化があるはずです」


 地震活動の活発化に伴う磁場の変化の影響を受けた大型サメ類が、通常では考えられないほど沿岸部に接近し、日間賀島周辺の海域にまで引き寄せられた——そんなことが、実際にあったのだろうか。


 小沢が強調する通り、今のところ科学的な根拠は何もない“思いつき”ではある。だが日間賀島のケースはそれぐらい異常なことが起こっていなければ、説明がつかない事象であったことも確かである。


“シャークアタック”の検証の難しさ


 一方で小沢の話を聞いて改めて感じたのは、“シャークアタック”の検証の難しさだ。


 例えば私が日頃取材しているクマの場合、人間を襲った個体があれば、現場に残された足跡や体毛などの痕跡から、問題のクマがどこからやってきて、どういう具合に被害者に遭遇し、なぜ襲ったのかまで、ある程度の推測は可能だ。とくに足跡は問題個体の大きさや性別、年齢さらにはその性格まで様々な情報を教えてくれる。2019年から2023年にかけて66頭の牛がヒグマに襲われたケースでも、現場に残された足跡や体毛から採取されるDNAにより「OSO18」による“単独犯”と断定できたわけである。


 ところが足跡を残さないサメの場合、事後検証はほぼ不可能だ。現場に居合わせた人間の目撃情報しか手がかりはない。日間賀島の連続襲撃についても、小沢によれば「人を襲って死に至らしめるほどの大きいサメが当時、そのへんにゴロゴロいたかというと、そうは思えない」とはいうものの、単独犯か、複数犯かの断定は専門家の知見をもってしても難しい。


 いったい、あのとき、日間賀島の海に何が潜んでいたのか——。


 今となっては78年前の悲劇をうかがわせるものは何もない日間賀島の美しい海を眺めながら、答えの出ない謎だけがぐるぐると私の頭の中を回っていた。


(文中一部敬称略)


(伊藤 秀倫)

文春オンライン

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