「右上半身が丸々噛みちぎられ…」「襲撃したサメは5〜6メートル」愛知県の“小さな島”周辺で起きた“痛ましい人食いザメ事件”

2025年5月21日(水)7時20分 文春オンライン

 名古屋から“一番近い島”として知られる愛知県・日間賀島(ひまかじま)。この周辺の海域で、戦前から戦後にかけての12年のあいだに8件のサメによる襲撃があり、襲われた全員が死亡しているという。この知られざる「人食いザメ事件」はなぜ起きたのか? さらに、1995年にも周辺の海域で痛ましい死亡事故が発生していた。(全4回の3回目/ #4 に続く)



日間賀島の周囲の水深は2〜3メートルと比較的浅いところが多い


◆ ◆ ◆


日間賀島で起きた「別の襲撃事件」


 私が日間賀島のことを知ったのは6年ほど前、ふと「日本でサメが人を襲ったケースは実際どれくらいあるのだろうか?」と疑問を持ったことがきっかけだ。


 故・矢野和成博士による論文に掲載された表をもとに、1938年から1950年までの12年の間に、日間賀島から篠島(しのじま)にかけての狭い海域で実に8件のサメによる襲撃が起き、襲われた全員が死亡していることがわかった。これだけ狭い海域でサメの襲撃による死亡事故が続いた事例は、日本では極めて異例であることは言うまでもない。


 1950年を最後に日間賀島ではサメによる襲撃は起きていない。さらに調べるうちに、1947年に起きた事故以外にも、日間賀島で起きた「別の襲撃事件」のことがわかってきた。


実際には19歳もしくは20歳のはずだが…


 私の手元に「サメ類の被害防止、生理、生態に関する研究報告」(※1)という冊子がある。


 1995年4月9日に愛知県渥美半島1kmの沖合いで潜水漁業者がサメに襲われて死亡した事故の検証をきっかけに、専門家の有志が中心となって1996年3月に刊行された。


 私が日間賀島で被害者の遺族の証言を得た 久野久芳さんの事故 については、このような記述が残されている。



〈〈当時、肥料として珍重されていたコヌカサ(モミジガイ=ヒトデの種類)取りを潜水で行っていた15、16才の少年が襲われた事故記録もある〉〉



 被害者である久芳さんの年齢は実際には19歳もしくは20歳のはずだが、写真では少し幼く見えるので、15、16歳と判断されたのかもしれない。


「10時頃にサメによる事故が発生した」


 この冊子の中では、日間賀島周辺で起きた他のサメの襲撃事故についても触れられている。例えば1950年8月下旬に起きた死亡事例については、当時16歳で現場を目撃した人に聞き取った内容を記録している(論文では実名)。ちなみにこの事故は久芳さんの事故の3年後に起きている。



〈〈朝8時頃3名で伝馬(※編集部注:手こぎ舟)に乗り、日間賀島地先の北東にある内寺(ねいじ)岩礁にカレイ、クロダイなどを銛を使った潜水漁で漁獲していた。9時頃からK氏を伝馬に残し、2名が潜水漁を始め、10時頃にサメによる事故が発生した。サメは3mで種類については確認できなかった。日間賀島資料館に展示してある1935年頃の写真のメジロザメ科のサメによく似ていたと述べている〉〉



 襲撃してきたサメの大きさが3メートルで〈メジロザメ科のサメに似ていた〉と証言していることは注目に値する。また小舟に複数人で乗り込み、そのうち海に入っていた1人が襲われているという点では、久芳さんの事故と似ている。


1995年の事故では、何が起きたのか?


 私がとくに興味を持ったのは、この冊子が作られるきっかけとなった1995年の事故に関するレポート(※2)である。


 以下、“シャークアタック”研究の最前線を走る研究者であった前出の矢野によるレポートをもとに事故の状況を再現する。


 事故が起きたのは1995年4月9日、場所は愛知県渥美半島の1km沖合いである。位置関係でいえば、日間賀島や篠島の海域からは8〜10kmほどしか離れていない。


 被害者のAさんはスキューバ用のウエットスーツを着込み、水深27メートルでナミガイ(白ミル)を漁獲中だった。周辺には同じく潜水漁を行っている船が8隻ほど操業していたという。ナミガイ漁は、コンプレッサーで海水を汲み上げ、その海水を長さ50メートルほどのホースを通して海底付近まで運び、海底に吹き付けることでナミガイを掘り起こすという。


 異変が起きたのは10時15分頃のことだった。


 海中にいるAさんから船上で作業していたAさんの妻に船上への浮上の合図があったのだ。Aさんが新しいタンクを背負って潜ってから10分も経っておらず、通常はこれほど短時間で浮上してくることはない。Aさんの妻が海面を見たところ、ホースのまわりを泡が回っているのが確認できたという。


 矢野は泡が回る理由をこう推察している。



〈〈被害者は、海底付近でサメに遭遇し、浮上合図を船上に送り、浮上中サメが被害者の回りを回っていたものと考えられる。(中略)(すなわち、サメの回転移動にあわせて、被害者の浮上位置もホースを中心に回るように変化していたことがうかがえる)〉〉



 サメは海中で出会った対象物を調べたいとき、その周囲をぐるぐると回るという。それに対して、Aさんはパニックになることなく、サメの動きにあわせて自身も回転しながら、その動きを見定めようとしたのだろう。浮上合図から1〜2分が経過したそのとき——。


「サメの目測の長さは5〜6メートル」



〈〈海中から大型サメが被害者をくわえて飛び上がってきた。その後すぐにサメは潜水し、被害者は海面に吐き出された。僚船がかけつけて被害者を船上に引き上げた後に、サメが再び海面に姿をあらわした〉〉



 その後もサメは現場海域にしばらくとどまっているところを目撃されている。


 目撃者は〈サメの背側の体色は黒色か黒褐色であり、非常に大型であった。(中略)船の大きさと対比したときのサメの目測の長さは5〜6m〉と証言している。


 被害者のAさんはただちに病院に搬送されたが、ほぼ即死状態であったという。



〈〈(Aさんの)傷等の状況は、右腕、肩、右側肋骨の全部位と、肝臓の3分の1がなくなっていた。左側肋骨部は脱臼をしていた。傷口は、非常に鋭利であった。傷の大きさは、約50cmであった〉〉



ウエットスーツの右上半身部分は嚙みちぎられている


 レポートにはAさんが着用していたウエットスーツの写真も掲載されているが、右の上半身部分が丸々噛みちぎられており、その凄惨さは見るものをして声を失わしめる。


 だが、このウエットスーツに残された噛み跡、さらには後に海底から引き上げられたAさんの潜水タンクのハーネス部分に残っていた歯形によって、Aさんを襲ったサメの種類が特定された。


 ホホジロザメである。


 最大で7メートルに達することもある大型のサメで、S・スピルバーグ監督の映画『JAWS』に登場するサメのモデルとされ、人間を襲うことが最も多い種である。アメリカ沿岸やオーストラリアなどに多いが、実は日本近海にも分布しており、北海道で網にかかった例もある。


 前述した通り、1995年にAさんが襲われた海域は日間賀島からは目と鼻の先の距離だ。時代は異なるが、戦前から戦後にかけての日間賀島における連続襲撃の“犯人”もホホジロザメだった可能性はある。


 矢野は、“シャークアタック”が起きやすい条件とその対策をまとめている(※3)。


 サメ類の魚影が濃い海外での研究も重ねていた矢野の指摘のなかで、とりわけ私の注意を引いたのは、次の項目だった。



〈〈カリフォルニア、南アフリカなどでは、一度でもホホジロザメによる人間への攻撃があった場合、同一海域で再度人間への攻撃が行われたことが知られている(同一個体かは不明)。それらの場所では、餌生物、環境状況等がサメの生息に適している場合があると考えられるため、十分な注意が必要である〉〉



 日間賀島の連続襲撃は、ホホジロザメによるものだったのだろうか。最大の謎は当時の連続襲撃が単独のサメによるものなのか、それとも複数のサメによるものなのか、である。


 この謎を解く手がかりを求めて、私はある人物のもとを訪ねた。



【参考文献】
※1 「サメ類の被害防止、生理、生態に関する研究報告」(1996年3月「愛知県サメ生態等研究会」による)
※2 「1995年4月9日愛知県渥美半島沖合いで潜水漁業者へのサメの攻撃による事故の状況記録」矢野和成(「サメ類の被害防止、生理、生態に関する研究報告」所収)
※3 「日本におけるサメ類の被害状況と海中作業時の注意点」矢野和成(「サメ類の被害防止、生理、生態に関する研究報告」所収)


〈 サメに襲われ→「全員が死亡」の“異常事態”に…愛知県の“連続人食いザメ事件”で専門家が語った“意外すぎる仮説”とは? 〉へ続く


(伊藤 秀倫)

文春オンライン

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