つば九郎をきっかけに野球を好きになった人がたくさんいた…ヤクルトのマスコットがやっていた「別格」の行動

2025年2月25日(火)18時15分 プレジデント社

ホーム通算2千試合出場を達成し、帽子を使った恒例のパフォーマンスを披露するヤクルトのマスコット「つば九郎」=2022年8月、神宮 - 写真=共同通信社

プロ野球ヤクルトは、2月19日、球団マスコットのつば九郎の担当スタッフが亡くなったことを発表した。ライターの広尾晃さんは「つば九郎の活躍は唯一無二だった。日本球界は選手だけでなく、プロ野球を盛り上げた存在の功績にもしっかり評価をすべきだ」という——。
写真=共同通信社
ホーム通算2千試合出場を達成し、帽子を使った恒例のパフォーマンスを披露するヤクルトのマスコット「つば九郎」=2022年8月、神宮 - 写真=共同通信社

■筆者が見た「つば九郎」と選手たちの絶妙な距離感


東京ヤクルトスワローズのマスコット・つば九郎の「担当者」が死去した。2月4日、春季キャンプからの帰途、那覇空港で倒れ16日に亡くなったという。


ディズニーランドが国民的な人気を博し「子どもの夢を壊さない」という世界観がひろがるとともに、着ぐるみ、キャラクターの「中の人」については、言及しないことになったが、功績を考えれば「中の人」に対しても、情緒的なものだけでなく、しっかりと讃えるべきだと思う。


筆者はほぼ毎年、沖縄県浦添市のヤクルトの春季キャンプを訪れるが、練習の合間にグラウンドに姿を現すつば九郎は、キャンプの風物詩のようなものだった。


つば九郎は、NPBシーズン最多本塁打記録を持つバレンティン選手など外国人選手にも物怖じせず、メイングラウンドの一塁側で身体を動かす彼らにのっそりと近づいて行き、話を聞いているのか、ときおりうなずいたりしていた。


春季キャンプは、単なる合宿ではなく、レギュラーやポジションを争う「真剣勝負の場」でもある。中には、緊張している選手もいて、報道陣が声をかけるにしてもそれなりの配慮が必要だが、つば九郎は、ヤクルトの選手たちと絶妙の距離感で接していた。


■NPB初のマスコットは「燕」


プロ野球のマスコットは、MLBに倣って始められた。MLB最古のマスコットは、1964年に登場したニューヨーク・メッツの「ミスターメッツ」だとされる。その後、多くのMLB球団にマスコットが誕生した。


ヴィラロボス・ブラザーズとミスターメッツ(写真=Wikibubbles/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

中には複数のマスコットがいる球団もあるが、ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、ロサンゼルス・エンゼルスにはいまだにいない(エンゼルスにはラリー・モンキーというマスコットがいるが、着ぐるみは作っていない)。確かに大谷翔平に絡むマスコットはあまり見た記憶がない。


NPB球団のマスコットの始まりは、1979年、つば九郎の先代のヤクルトのマスコットである「ヤー坊」だとされる。同じく燕をモチーフとしていたが、プロポーションはより人間に近かった。


その後、全球団でマスコットが作られるようになった。


■家系図まであるマスコットも


常時レギュラーで出場しているマスコットだけで40体(人? 羽?)を超す。MLBでは30球団で30数体だから、1球団当たりのマスコット数は本家アメリカをはるかに凌駕している。


筆者作成
球団HPなどから作成。このほか各球団にはオリジナルキャラクターが存在する。 - 筆者作成

ソフトバンクの「ホーク系」のマスコットには家系図まである。全国津々浦々に「ゆるキャラ」が乱立するキャラクター大国日本らしいといえようか。


最近は二軍の公式戦でもマスコットがいることが珍しくなくなった。日本ハムの場合、一軍は北海道北広島市、二軍は千葉県鎌ケ谷市だから、一軍のキャラクターが掛け持ちするのは難しいので専用キャラ。今季からファームが新球場になる巨人、阪神はファーム独自のマーケティングを打ち出したいのだろう。


このほか、独立リーグや社会人野球にもマスコットを持つチームがある。


■最も高速で移動できるのは…


テーマパークの着ぐるみキャラクターもそうだが、プロ野球のマスコットも原則として声を持たない。表現活動は、パントマイム的な身体表現に限られる。その中で、いかに個性をアピールできるかが、彼ら(彼女ら?)の腕の見せ所になる。


西武のレオは、手塚治虫のコミック『ジャングル大帝』からとられたキャラだが、一番の「二枚目」だろう。颯爽とした動き。高さのあるバク転で球場を沸かせる。


ソフトバンクのハリーホークもバク転が得意。レオと同様の男前キャラだ。また大家族のホーク一族の「家長」でもあるだけに、一種の風格がある。


阪神のトラッキーもバク転をする。大きなキャップをかぶっているが、これを取ると表情が一変する。観客席に手を振るなど無邪気で明るいキャラだ。


中日のドアラは、バク転の着地が成功するかどうかで試合結果を占うという独特のパフォーマンスをしてきた。ひねりを加えるなど技も巧みだったが「体力の限界」から2022年限りでやめている。ドアラは時折やさぐれた態度を見せるなど、シニカルなキャラでつば九郎との親交でも知られる。


撮影=プレジデントオンライン編集部
つば九郎曰く、ドアラは「びじねすぱーとなー」。中日戦で恒例だった「パン食い」競争の様子。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

広島のスラィリーは、MLBのフィリーズのマスコット、フィリー・ファナティックに似ている。これは同じ会社によるデザインだからだ。1978年から親しまれているフィリー・ファナティックは審判をいじるなど、いたずら好きで知られるが、スライリーは電動二輪車セグウェイで球場中を走り回っている。最も高速で移動できるマスコットと言えるだろう。


■ある芸で別格の存在に


しかしこうした球団のマスコットの中で、つば九郎は、別格の存在ではあった。1994年に「誕生」した彼は、おそらくスポーツチームのマスコットで最初の「言葉を持っていた」マスコットだったのだ。


喋るのではなく、ご存じ、スケッチブック製のフリップに丸っこい文字のひらがなで、ささっとコメントを書くのだ。「フリップ芸」と呼ばれていた。


例えば、「ヤクルトはなぜ成績不振なのか?」と問われ……


「とちじがわるい」


舛添要一東京都知事の「公私混同問題」が騒がれていた時代に。


フジテレビの「めざましテレビ」に出演して……


「やくるとはしょうりがほしい。ふじてれびはすうじがほしい」


※フジの視聴率低迷が顕在化した時期に。ちなみに株式会社フジ・メディア・ホールディングスは、東京ヤクルトスワローズの株主。


ドラフトでお目当ての選手を引き当てるためには……


「どらふとでかんとくがからくじをひかない」


※2015年のドラフトで真中満監督(当時)が、明治大学の高山俊選手のくじを「引き当てた」と勘違いした翌年に。


どれも時宜にかなった絶妙なコメントだ。以前から準備していたコメントもあるだろうが、当意即妙のコメントでスタンドを沸かすこともあった。


筆者が感心するのは、人々の目の前でスケッチブックに字を書くつば九郎が、ほとんど書き損じをしなかったことだ。


撮影=プレジデントオンライン編集部
2021年優勝マジックを減らす中で、試合で活躍した外国人選手たちと。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

また、ヘルメットをくるくると回して放り上げ、頭でキャッチする「ヘルメットチャレンジ」(空中くるりんぱ)も名物だったが、知る限りでは一度も成功していない。この脱力感たっぷりのイベントも神宮球場の見ものではあった。


■だから「野球ファン」以外にも愛された


つば九郎はフリップ芸でさまざまな発信をするうちに、スポーツチームのマスコットとしては、ずば抜けた「個性」「人格」を持つようになっていった。


つば九郎の造形そのものは、他の球団のマスコットと比較して、特段に優れていると言うわけではない。球団マスコットらしい「かわいらしさ」はあったが、それ以上のものではなかった。


つば九郎に、他には得難い濃い個性を与えたのは、間違いなく「担当者」だ。シニカルで、時として攻撃的なコメントをフリップで掲げた。あの丸っこい文字と「かわいらしい外観」で幾分中和されていたとはいえ毒があるものも多かった。


撮影=プレジデントオンライン編集部
選手だけでなく審判や球場スタッフとも「会話」している様子が多々あった。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

つば九郎がヤクルトファンや子供だけでなく、プロ野球ファン、さらには多くの大人の日本人に愛されたのは「かわいい風貌にもかかわらず、歯に衣着せず、鋭いことを言う」というギャップがあったからだ。そして、その功績はひとえに「担当者の才覚」にあったと言えよう(もちろん、ブレーン、アドバイザーはいたと筆者は推察するが)。


つば九郎の担当者の死後、妹のつばみもフリップにコメントを書くことがあるが、あのスパイスの利いたフリップ芸は、マネができないのではないか。


■ファンと選手たちの間に立つ


毎年7月に行われるオールスターゲームでは、12球団のマスコットも球場に集結し、両リーグの選手たちを出迎える。


試合中には、マスコットが次々と登場し、バク転などアクロバティックなパフォーマンスを披露する。最後は、体形的にそういうことができなさそうな、DeNAのDB.スターマンが、走り出して「お、やるのか」と見せかけて、ぼてっと倒れて、球場が「どっ」と湧くのが通例だが、つば九郎は、少し離れた場所から、彼らのパフォーマンスを冷ややかに見ている。


他のマスコットが引き上げても、まだ客席にちょっかいを出していたりして、最後は、つば九郎が客席の注目をさらってしまうこともよくあった。


今のプロ野球の試合は、両チームの応援団が始終大音量で応援をしているので、音声情報はほとんど伝わらない。そんな中で「言葉を持たない」マスコットたちは、選手に絡んだり、観客席に手を挙げたりして、さまざまな情報を発している。試合を盛り上げ、試合進行をスムーズにするうえで、小さくない役割を果たしているのではないか。


また春季キャンプでは、選手との直接的な交流を求めるファンとその選手たちの間に立って、相手をすることも多い。多くのマスコットはサインを書くことができるが、選手の代わりに色紙にサインをすることで、ファンサービスにも貢献していた。


筆者撮影
一軍のキャンプ地、「ANA BALL PARK浦添」(浦添市民球場)の一角にあるつば九郎神社。 - 筆者撮影

■選手とは違う道でプロ野球を盛り上げた


そんなマスコットの中でも「つば九郎」が別格だったのは、ここまで述べてきたとおりだ。そのつば九郎と同じくらいの功績を残した島野修という人物について、最後に述べたい。


撮影=プレジデントオンライン編集部
選手と一緒にウォーミングアップする様子。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

1968年のドラフトは、プロ野球史上「空前の大豊作」と言われた。広島の山本浩二、阪神の田淵幸一、中日の星野仙一、阪急の山田久志、福本豊と殿堂入り選手が5人も出たし、それ以外に阪急、巨人他の加藤秀司、中日—日本ハムの大島康徳と名球会選手が2人出た。


この空前の豊作の年に、巨人は武相高の無名の投手、島野修を指名した。しかし島野は、巨人では1勝4敗しかできず阪急に移籍した。筆者は巨人がV9以降、最強チームと言えなくなったのはこの年のドラフトの失敗が大きいと思うが、島野は阪急に移籍後は、一軍昇格はなく、引退。


そして1981年から阪急のマスコット「ブレービー」の「中の人」になるのだ。


彼はこの仕事に生きがいを感じ、生き生きと演じていた。阪急がオリックスに買収され、マスコットが「ネッピー」になってからも「中の人」を続けた島野は「選手とは違う道でプロ野球を盛り上げた」と言われた。


島野も50代で急死したが、「中の人」としての功績は大きかった。


競技としてのプロ野球はエンタメの衣をまとうことで、日本屈指の人気イベントになったと言える。「エンタメのプロ」も「野球のプロ」と共に、しっかり評価すべきだろう。


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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。
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(スポーツライター 広尾 晃)

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