野村克也監督は「部下の慢心」をどう見抜いていたか…「大工見習い→オールスター投手」に育てた「最高のボヤキ」

2024年3月2日(土)15時15分 プレジデント社

1999年4月22日、好投するヤクルト先発の田畑一也投手(神宮) - 写真=時事通信フォト

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野村克也監督はなぜ名将と呼ばれるのか。その理由のひとつに、他球団で戦力外となった選手を次々と再生させたことが挙げられる。いったいどのような指導をしていたのか。ライター中溝康隆さんの新著『起死回生 逆転プロ野球人生』(新潮新書)より、一部を紹介する——。(第1回)

■ドラフト10位で指名された草野球チームのエース


一時期、そのプロ野球選手は、毎晩のようにヤケ酒を飲んでいた。缶ビールのロング缶を5、6本なんてザラ。ビール大瓶なら3、4本を軽く空けてしまう酒豪だったが、右ヒジの痛みを晩酌で紛らわし、なかなか思うような起用をしてくれない首脳陣に対する不満をツマミに酒をあおった。


そんな二軍でくすぶる26歳の投手が、1年後にはトレード先でオールスター出場を果たすわけだ。まさにあの移籍がすべてを変えた。田畑一也の華麗なる逆転野球人生である。


1969(昭和44)年生まれの田畑は社会人の北陸銀行時代に右肩を痛め、その後手術。20歳にして野球部を辞め銀行も退職してしまう。実家の工務店で大工見習いに励む一方で、軟式の草野球チームで投げていたが、肩も全快し、野球にケリをつけるために受けた91年9月の福岡ダイエーホークスの入団テストに合格する。


同年のドラフト会議では全指名の最終92番目に名前を呼ばれる10位指名。当時の選手名鑑には「球速は130キロ台後半ながらキレはある」「カーブ、フォークの制球がよくなれば大化けの可能性」といった文言が並ぶが、ホークス時代の田畑は典型的な一軍半の便利屋投手だった。


写真=時事通信フォト
1999年4月22日、好投するヤクルト先発の田畑一也投手(神宮) - 写真=時事通信フォト

■それでも野球に手を抜くことはなかった


4年間で通算43登板、2勝2敗。先発が無理なら、せめて勝ち試合での中継ぎで投げたいと思っても、途中からそのチャンスすらほとんどない日々が続く。なにせドラフト10番目の投手だ。同じ力なら球団は高い契約金を投資した上位指名選手を使うだろう。


間の悪いことに右ヒザを痛め、95年には右ヒジ痛にも襲われた。ようやく患部の状態が良くなったと自分では思っても、なかなか一軍に上げてもらえない。王監督はもうオレには興味がないのだろうか……練習後のビールが骨身にしみる。


一方でそんな生活を送りながらも、田畑は野球に対しては手を抜かなかった。ここで腐ったら終わりだと、必死に新球種を練習したのである。雨の日も風の日も二軍で人知れず投げ続けるチェンジアップ。先を思うと不安になるから、ひたすら目の前の白球を握った。


そして、先発起用を首脳陣に直訴していた95年の秋にトレードを告げられるのである。柳田聖人、河野亮との2対2の交換トレードで佐藤真一とともにヤクルトへ移籍。当初の注目株は外野手の佐藤で、野村克也監督も「田畑? あまり特徴のないピッチャーやな」と素っ気なかった。


■運命を変えたチェンジアップ


だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない——。


誰からも注目されなかった右腕は、大好きな酒を断って臨んだ96年春季キャンプでの紅白戦初戦に登板すると、2回無失点の好投を見せる。140キロ台の直球にカーブ、さらに巧みに投げ分ける絶妙なチェンジアップは、あのノムさんをして「投手としてのセンスがある」と唸らせた。ホークスでの不遇の時代に二軍で磨き上げた武器は、やがて田畑自身の運命を劇的に変えていく。


96年4月13日、中日戦に移籍後初先発すると8回までゼロ封。9回に立浪和義に一発を浴びて完封こそならなかったものの、自己最長イニングを投げ、93年以来3年ぶりの先発白星を挙げた。


これには相手の中日・星野仙一監督も「ダイエーは投手が足りんというのにあんないい投手をなんで出すんや」なんて恨み節。田畑は石井一久、岡林洋一、川崎憲次郎といった主力投手に故障者が相次ぐローテの救世主へと躍り出る。


一方で褒めて伸ばすだけが「野村再生工場」ではない。6月9日の広島戦でノックアウトを食らった数日後、練習中に腹が減りバナナを食べに行った田畑はそこにいた野村監督から延々と説教をされた。


写真=iStock.com/Yuttaphong Buasan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuttaphong Buasan

■野村監督からの強烈な言葉


広島で投げ合った山﨑健が完封したことから、「山﨑は球も速くないけど、ゴロを打たせることだけ考えてる。お前もできるはずなのになんで真っすぐばかりでいくんだ。お前も横から投げてみろ」といきなりサイド転向を示唆するガチンコのボヤキ。いきなり横から投げろ……だと? 思わずそんな心の不満が顔に出ると、ノムさんはすかさずこう言った。


「お前みたいにヤクルトのファームの四番と交換されるようなヤツには、あまり期待してないんだから」


これには田畑の忘れかけていた反骨の炎が一気に燃えた。移籍先で勝利数、防御率ともにチームトップクラスの成績を残し、ローテの座をすでに確保したつもりでいた。仕事に慣れてきた27歳、心のどこかで守りに入りかけていたところで、そんな慢心を見透かされたような屈辱的な言葉だった。


雪辱に燃えた田畑は直後の6月22日、札幌市円山球場での中日戦でわずか1安打に抑えプロ初完投初完封勝利。野村はヤクルトOBの松岡弘に対して、「あれで田畑は目覚めたよ。人間が全然変わってきた」と嬉しそうに話したという。


■野村監督の指導法の極意


ただ、名将・野村のこういった強烈なボヤキは、アマ時代に叱られ慣れていないエリート選手だと不貞腐れ、逆効果になるケースも多々あったのも事実だ。指揮官自身もテスト生からの叩き上げ。結果的に田畑の反骨心と物怖じしない性格に野村の指導は合った。


本人も「こんなに勝っていいんでしょうかねぇ……」なんて戸惑う快進撃に、ノムさんも「田畑がおらんかったらと思うとゾッとする。ホンマ取っておいてよかったな……」と最大級の賛辞を贈る。


その恩師からの監督推薦でオールスターにも初選出。田畑は第3戦の地元・富山アルペンスタジアムでの凱旋登板を実現させた。3番手として名前がコールされると球場全体を揺るがす「田畑コール」に、興奮したスタンドの観客はウエーブを繰り返した。


1年前にヤケ酒を食らっていた男は、まさに郷土の英雄になったのである。当時の『週刊ベースボール』インタビューで、「僕はマウンドで、ボーッとして投げてるんですけど、これは相手に『あいつ、何考えてんだろ?』と思わせるためなんですよ(笑)」なんて笑う田畑は、「野村再生工場」についても聞かれ、こう答えている。


「野村監督は、僕も含めて自分で取ってきた選手には必ずチャンスを与えるじゃないですか。で、一度使ってみてダメでも、もう一度、というように何か、いいものが一つでも出てくるまで我慢してくれるんですよ。僕の場合は、そういう野村監督の忍耐力によって、力を発揮できるようになったのではないかと思います」


■「野村再生工場」の最高傑作


さらに小谷正勝投手コーチ、抜群のリードで引っ張ってくれるキャッチャーの古田敦也、調整法のアドバイスをくれた吉井理人と新天地での出会いにも恵まれた。


ヤクルト1年目は12勝を挙げ、2年目の97年は26試合で15勝5敗、防御率2.96というエース級の成績を残してチームの日本一にも貢献。古田とは最優秀バッテリー賞を受賞した。ローテ投手の自覚と責任から酒の量も減ったが、好投した翌々日だけ、自分へのご褒美として多めに飲むのがささやかな楽しみだ。


移籍時1240万円だった年俸は7300万円まで上がり、ドラフト10位から日本一チームの先発陣最高給にまで登り詰めた。



中溝康隆『起死回生 逆転プロ野球人生』(新潮新書)

しかし、だ。「ラッキーすぎて、この後が自分でも怖い」とまで言った野球人生の絶頂期は長くは続かなかった。最多勝争いを繰り広げた97年途中から、田畑はすでに右肩に違和感を覚えていたのだ。翌98年の春季キャンプでノースロー調整するも調子が上がらず、6月21日の中日戦では患部の痛みが限界に達し、自ら降板を申し出た。検査の結果、右肩関節に仮骨ができ、それが投げる度に関節を刺激する「ベネット病変」と診断されてしまう。


前々年は177回、前年は170回3分の1と投げまくった代償は決して小さくはなかった。その後、ヤクルトでは右足首の手術もするなど故障に悩まされ、近鉄、巨人と渡り歩くも、右肩が回復することはなく2002年限りで現役引退した。


田畑の通算37勝のうち27勝は、ヤクルト移籍後2シーズンで記録したものである。野村克也が監督として最後の優勝、日本一に輝いた97年、その中心にいたのは確かに背番号39だった。


ドラフト10位右腕・田畑一也。その男、「野村再生工場」の最高傑作である。


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中溝 康隆(なかみぞ・やすたか)
ライター
1979(昭和54)年埼玉県生まれ。ライター。2010年開設のブログ「プロ野球死亡遊戯」が話題に。著書に『プロ野球死亡遊戯』『原辰徳に憧れて』『令和の巨人軍』『現役引退 プロ野球名選手「最後の1年」』『キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー』など。
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(ライター 中溝 康隆)

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