愛子さまと佳子さまがいつまでも宙ぶらりん…「悠仁さまの次の天皇候補」を増やせない大問題
2025年3月6日(木)9時15分 プレジデント社
成年に当たり、初めて記者会見をされる秋篠宮家の長男悠仁さま=2025年3月3日午後、東京・赤坂御用地内の赤坂東邸 - 写真=時事通信フォト
写真=時事通信フォト
成年に当たり、初めて記者会見をされる秋篠宮家の長男悠仁さま=2025年3月3日午後、東京・赤坂御用地内の赤坂東邸 - 写真=時事通信フォト
■史上最年少の記者会見に臨んだ悠仁さま
秋篠宮皇嗣殿下の長男で皇位継承順位第2位である、悠仁さまの成年記者会見が3月3日に開かれた。悠仁さまにとっては初めての記者会見で、「成年式」は19歳の誕生日である今年9月6日に催されることになった。
皇族の成年は、民法に準拠している(皇太子だけは皇室典範で18歳と規定)。愛子さままでは20歳で成年を迎えられ、諸行事が行われてきた。記者会見は成年の前月に行われることが慣例だったが、2021年12月に成年を迎えられた愛子さまは、学業が忙しく準備ができていないとして、翌年の3月まで延期された。
悠仁さまは、2022年4月の民法改正を受け、18歳の昨年9月6日に成年を迎えられた。記者会見は筑波大附属高校卒業と筑波大学進学のタイミングで行うことになり、まだ18歳6カ月であるから、眞子さんや佳子さまの19歳11カ月、愛子さまの20歳4カ月を大幅に更新する、史上最年少の記者会見だった。
■カンペなしで語られた「皇室の役割」
質問は①成年皇族としての抱負、②ご自身の長所短所などの性格分析、③結婚や留学など将来のこと、④大学生活、⑤ご家族との関係で、関連質問も受けられた。
このうち動画で公開されたのは、第3問までだった。まだ、大学の一般入学試験が終わっていないことや、眞子さんの近況という微妙な問題があるので、そこに注目が集まりすぎるのは困るという配慮からだろう。
全文は宮内庁のHPで発表されている。
ゆっくりと言葉を選びながら話されたが、メモなど何もなかったのは、父親である秋篠宮皇嗣殿下の方針らしい。
色白で細面、そして長身が美しく、NHK大河ドラマ『光る君へ』の一条天皇を思い出してしまった。
皇室の役割については、「上皇陛下がお考えになってこられ、天皇陛下が先日の記者会見でおっしゃっていましたように、常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないかと思います」「皇室のあり方につきましても、天皇陛下のお考えのもと、人々の暮らしや社会の状況に目を向け続けていくことが重要であると思います。そして、出会いを大切にして人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けることが重要であると思います」と言葉をかみしめるように仰った。
■個性や聡明さが伝わる記者会見だった
これは、上皇陛下と天皇陛下への配慮など微妙なバランスを前提に練られた言葉だろうから、間違わずに正確に言うしかないものだ。
高校生としての年齢相応の率直さで話せばいいというものでないし、皇位継承が予定されていない女性皇族たちと違って個人的意見を言うべきでなく、公務に携わっていく中で自分の意見を創り上げればよいことだ。
結婚についての質問には「まだ深く考えたことはありません」と答えられたが、そもそも18歳の男子高校生に普通、聞くべきものなのか。むしろ中学・高校は共学に通っておられたのだから、女子生徒たちとどんな交流があったのかを聞きたかったが、それも受験期間中にいうのは不適切だといわれたら仕方ない。
そのほかの質問には、なかなか個性的な回答があった。趣味は「野菜栽培や米作りで、収穫でき、おいしく家族で食べることができた時はうれしく感じる」とか、トンボを見て気が付いたら何時間もたっていたとか、父親と似て少し導火線が短いところがあるとか、お気持ちを垣間見るには十分だったと思う。
聡明さが申し分なく伝わる会見内容で、SNSでも好意的な意見が多く、これまでの秋篠宮家叩きは何だったのだろうと思う。
■減っていく皇族数を増やす2つの賢策
おりしも、国会では、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の付帯決議に基づいて設置された「皇位継承に関する有識者会議」(座長は清家篤・現日本赤十字社理事長)の報告書(2021年12月)を具体化するための話し合いが各党間で進められている。
この報告書では、深刻な公務の担い手不足に対処し、合わせて、悠仁さまに男子が生まれなかったときの皇位継承候補の確保もにらんで、①愛子さまや佳子さまが本人だけ結婚後も皇室に残れるようにする(「単独残留案」)、②皇族が旧宮家の子を養子にする(「旧宮家養子案」)などの提案をしている。
誤解している方がいるかもしれないが、与野党の賛成で成立した上記の法律の定めに従い、すでに正式の立皇嗣礼をすませた秋篠宮さまはもとより、悠仁さまが将来の天皇であることは変更すべきでないとしている。
そのうえで、悠仁さまに男子が得られないこともあるので、男系男子の伝統を尊重しつつ、女系派の人たちにも一定の配慮をし、ワンセットで局面の打開を図ろうとしたものだ。
■「単独残留案」だけ進めたがる野田氏
したがって、「単独残留案」には反対がないから通すが、「旧宮家養子案」は継続審議というのは想定外である。自民党などは佳子さまや愛子さまが皇室に残られることで女系天皇の芽が残ることを危惧しているが、両方がいがみ合っては先に進まないので、男系男子に拘る人たちも容認したのである。
ところが、立憲民主党は党として統一した意見がなく、野田佳彦代表のこだわりで、「単独残留案」だけ先行させ、「旧宮家養子案」を先送りにしたがっている。これは他党が呑める内容でなく、議論が進まない原因となっている。
野田佳彦氏(首相官邸ホームページより)
その結果、いたるところで弊害が生まれている。「旧宮家養子案」についていえば、常識的には15歳から20歳過ぎあたりで養子縁組をすることが想定されており、当事者となる方々が宙に浮いてしまって迷惑がかかっている。
また、養子をとるのは妃殿下や女王さまでもいいのだが、皇位継承順位第3位の常陸宮さまが第一号を成立させたほうが説得力があり、89歳というご年齢を考えると急いだほうがいい。
■佳子さまと愛子さまの人生選択を左右する
一方、「単独残留案」では、30歳の佳子さまや23歳の愛子さまにとって、皇室に残ることを人生の選択肢のひとつにしていいのかどうか不明なままだ。三笠宮家や高円宮家の女王さまたちについても同様である。
私は、男系男子という伝統的な皇位継承原則について、どうしても変えざるを得ないか、変更することに強い反対がない場合を除いては維持したほうがいいと考えているが、女系を完全否定しているのではない。
いまから、まだ18歳である悠仁さまに男子がいなかった場合の意見を集約するのは早すぎるし、そもそも、今世紀末ごろに問題になる話だ。現在の女性皇族ではなく、その子ども以降の世代の問題なのだから、両方の可能性を残しておけばいい。
そうした立場から、女系派の人の立場に立っても「旧宮家養子案」と「単独残留案」を両方、急ぎ通しておくことの意味を説明したい。
■「女系を容認すれば万事解決」ではない
女系容認論は、悠仁さま、愛子さま、佳子さまの3人の子孫に皇位継承候補を限っている。しかし、3人の子孫が数世代のうちにいなくなる可能性は何割かある。その場合には、眞子さんと小室圭氏の子孫がもしいれば変わってくるが、女系論の理屈では昭和天皇の長女である東久邇成子さまの子孫が最有力だ。
しかし、いったん民間人になった方を皇室の血を引くからという理由で養子にするのは憲法違反というなら、その時点で天皇制はおしまいになる。愛子天皇論も含めて女系天皇を容認したとしても、旧宮家を皇位継承予備軍とすることは、必要なのである。
次に「単独残留案」は、女性皇族の結婚の条件を飛躍的に改善する。内親王の結婚は難しい。相手は元内親王とその家族としての体面を保つために、相当な負担が必要だ。とくに、お子様がおられる場合はなおさらだ。
逆に、「女性宮家」案で夫も皇族になるなら、希望者はあまりいないと思う。婿養子に近いので長男は難しい。原則として仕事もやめなくてはならないし、窮屈である。また、皇族になりたいという男性はいわば野心家で、皇室にとって歓迎できない。
野田佳彦氏は、女性宮家が誕生していたら、いまごろ、小室圭氏が殿下になっていたことを忘れているのではあるまいか。
■女性皇族の結婚のハードルが一気に下がる
単独残留案では、愛子さまも佳子さまも皇族費として毎年3000万円もらうことができる。住む家は赤坂御苑のなかに設けられる。皇族でない夫や子も住めるのかという人もいるが、いま国会議員宿舎に女性議員の夫である民間人が住んでいるのと同じで問題ない。
夫となる人も自分の仕事も続けられる。もし皇族の夫として相応しくない仕事だったら、皇室行事参加は遠慮いただくとか、赤坂御苑外に引っ越してもらえばいいだけだ。こういう条件なら、堅い仕事の人なら大体いいわけで、お相手探しも楽になる。
佳子さまは、皇室に残ってもらえるなら、皇室外交の戦力として理想的だし、悠仁さまの相談相手として英国のアン女王のような役割が期待できる。愛子さまは、健康状態に不安のある雅子さまを近くで支えることができて好都合だ。
三笠宮彬子さま、容子さま、高円宮承子さまも、これまでは結婚したら宮家が廃絶になると心配されていたかもしれないし、相手も皇族になっては相手探しも大変だが、「単独残留案」なら結婚のハードルも低くなるし、旧宮家から養子をとって宮家の存続もできる。
将来、佳子さまや愛子さまのお子様を皇族にする可能性は、悠仁さまのお子様がどうなるか、旧宮家からの養子がうまく機能するかなども総合的に見て20年くらいしてから検討すれば良い話だ。
こんないい話を一部の政治家の面子でブロックするのは、なんとも不条理ではないだろうか。
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八幡 和郎(やわた・かずお)
歴史家、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。
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(歴史家、評論家 八幡 和郎)