料金はS席と同じなのにステージが見えない…日本のエンタメ特有の「注釈付きS席」に大学教授が激怒する理由

2024年3月28日(木)15時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SamBurt

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日本の演劇やコンサートで「注釈付きS席」の販売が目立つようになっている。日本女子大学の細川幸一教授は「販売時に『ステージの演出が見えづらい』などと注釈をつけているが、S席と料金が同じなのは不誠実ではないか」という——。
写真=iStock.com/SamBurt
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■最近よく見かける「注釈付きS席」とは何か


コロナ禍もほぼ過ぎ、コンサート会場、劇場などでは数年ぶりに自由な生活を取り戻し、娯楽を楽しむ人を多く見かける。ただ、人気が高まれば高まるほど、映画と違ってステージパフォーマンスはチケットを取りづらくなる。


チケット不正転売禁止法が施行されているが、ネットでは高額転売と思われ取引がいまだに見受けられる。これはチケットを欲しくても取れない人がいるからで、正規の料金でチケットが取れればこうした取引はなくなるはずだ。すなわち、人気があれば、売り手市場になりやすいのだ。


そうした背景もあってか、最近「注釈付きS席」なる席種がコンサートやミュージカルなどで見受けられるようになった。一体これは何なのだろうか?


■これも日本特有の「名ばかりS席」と同じ


席種は、多くのコンサートや劇場においてS席、A席、B席などの格付けをしている場合がほとんどだ。S席はspecial、すなわち特別席あるいは最良席を意味する。


以前、プレジデントオンライン「日本特有の『名ばかりS席』を許してはいけない…消費者法の専門家がエンタメ業界の悪慣習に怒るワケ」で「名ばかりS席」の問題を指摘したが、S席に注釈がついた「注釈付きS席」という席種が設けられることがある。価格はS席と同じであることが多い。


「注釈付きS席」とは、どのような席だろうか。


2023年4月の東京池袋・東京建物Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)で行われた舞台「サンソン ルイ16世の首を刎(は)ねた男」を例にあげよう。


東京建物Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)(画像=Kachi-lan/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons
舞台「サンソン ルイ16世の首を刎ねた男」公式ホームページより

この公演では、S席1万3500円とA席1万円が発売された。(大阪公演はS、A席、松本公演ではS、A、B席のみ、B席は7500円)。その後、公演直前の同月24日から「注釈付S席」が発売された。料金はS席と同額の1万3500円。


公式サイトによると、注釈付きS席について「1階前方端のお席となりますが、舞台の一部が見えにくいお席となります。あらかじめご了承ください」と書いてある。


注釈付きS席の販売決定を伝える記事(舞台「サンソン ルイ16世の首を刎ねた男」公式ホームページより)

別の例を挙げよう。同年9月の東京渋谷・東急シアターオーブで行われた舞台「アナスタシア」は、当初S席(1万4000円)、A席(9500円)、B席(5500円)、R席(1万6000円、ロイヤルシート席)の4席種だった。


公演直前に「【東京公演】注釈付S席を開放!」と題する告知記事が掲載され、8月25日から「注釈付S席」の販売が行われた。料金はS席と同額の1万4000円だった。こちらも注意事項に「注釈付は場面により見づらい可能性のあるお席です」とあった。


ミュージカル「アナスタシア」公式ホームページより
注釈付きS席の販売決定を伝える記事(ミュージカル「アナスタシア」公式ホームページより)

■見えづらいのにS席はおかしい


今回筆者が問題提起したいのは「なぜ見えづらい席がS席なのか」という点だ。注釈付きとしながらも、S席と同額の料金を観客から徴収する合理的な理由はあるのだろうか。


注釈付きながらS席とする理由は、ステージから離れている、というよりステージの真横であったり、演出上見づらい場面があったりするというものだ。ステージの近さで言えば、S席扱いにできるが、見づらいのでそれを注釈で示し、S席と同じ料金で売るケースが多いと思われる。


そもそも、見えづらい席をあえて購入したがる消費者はいるのだろうか。ここで挙げた2例のように、チケット販売開始後に追加してチケットを放出するケースは多い。つまり「はじめは見づらいという理由で販売しないことにしていたが、用意した席が売り切れとなり、見たい人のために追加で販売するが、料金はS席と同じ設定にする」ということだろうか。


明らかに消費者の足元を見ている商売だろう。あらかじめ注釈付きS席を設定してチケットを販売する場合もあるが、この名称を用いている以上、決して良心的とは言えない。


繰り返すが、S席はspecial、特別席あるいは最良席が本来的な意味だ。観客もそれを期待して購入する。そのためSNSでは落胆や怒りの声が繰り返し投稿されている。


注釈付きS席を意訳すれば、「見えづらい特別席」あるいは「見えづらい最良席」となり、S席の意とは矛盾している。寿司店が「ネタが良くない特上寿司」と言って売っているようなものだ。見づらいならばA席やB席としてS席よりも安い料金で販売すべきだろう。


■「嫌なら買うな」は舞台芸術を理解していない


反論も予想される。いやなら買わなければいいだろう、という意見だ。


その通りなのだが、前述したように映画と違って舞台は人気があると完売になりやすい。舞台は、同じ時間と同じ空間を、演じる者と観る者が共有してこそ成立する芸術だ。これだけネットが発達し、デジタル映像が簡単に見られるのにステージに足を運ぶ消費者が多いのは、生のコンサートや舞台芸術ならではの魅力があるからだ。


それゆえに、「ネタが良くない特上寿司」を注文する消費者などいないが、注釈付きS席を購入する消費者は存在してしまうのだろう。公演主催者側はしっかりと考えてほしい。これを誠実なビジネスといえるのだろうか。


また見づらいといっても限度がある。次に大騒ぎになったケースを紹介しよう。


■炎上したユーミンの50周年記念ツアー


2023年5月13日、シンガーソングライターの松任谷由実が、デビュー50周年記念のアリーナツアー「The Journey」をぴあアリーナMM(横浜市西区)で開催した。公演後に注釈付きS席の観客などから声が上がった。


「ユーミンが見えない」「演出も全くわからない」「値段が同じなのは納得いかない」などという声がSNSに上がった。もちろん、反論もあった。「注釈付きなのだから文句を言うな」という声だ。


20日、松任谷氏のオフィシャルInstagramが反応した。「マネジャーK子」の名で、横浜公演の座席について苦情が殺到したことを説明し、謝罪した。


ツアーは全席指定9900円で、注釈付きS席は同額で販売された。「注釈付きS席は、お座席がステージや機材の位置により、ステージ全体および演出の一部が見えにくい場合がございます。予めご了承下さい」と事前に説明していたが、かなりひどい席であったようだ。


「マネジャーK子」は先述のInstagramで、「図面上で、これであれば大丈夫ではないかという判断のもと先日の席配置にしたのですが、やはり、実際現地で椅子を設置しないと分からないことも多数ありました。注釈席と謳って販売しておりますが、皆様にご心配、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」と不手際を謝罪した。




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■良心的な興行もある


筆者は2023年4月、よこすか芸術劇場(神奈川県横須賀市)で、松本白鸚のファイナル公演「ラ・マンチャの男」を観劇した。


松本白鸚ファイナル公演「ラ・マンチャの男」公式ホームページより

54年間主役を演じてきた白鸚は、2022年2月に日生劇場(東京都千代田区)でファイナル公演を行ったが、3分の2近い公演日程が新型コロナ感染症の影響で休演となった。仕切り直しとなった公演であったため、観客が劇場に殺到した。


筆者は運よくチケットを取れた。上演された大劇場はオペラハウス仕様で、平土間席を4層のバルコニー席が囲む馬蹄(ばてい)型の客席になっている


それゆえに高層階の左右の席になるとステージがかなり見にくいか、ほとんど見えない。当日は満席で売り切れであったが、上層階の左右の席はかなりの数が空席だった。販売除外にしたようだ。このように良心的な興行もある。


一方、どうしても観たかったがチケットが取れなかった白鸚ファンも多かっただろう。販売除外されたであろう上層階の空席を見て、正直、チケットが買えなかった人に観させてあげたいという思いもした。しかし、その場合はかなり安価にするべきだろう。


欧米の劇場では、やはり馬蹄型のオペラハウス仕様のコンサートホールが多い。ほとんどステージが見えない席が存在するが、それは観劇マニアや音楽学校生など向けに格安で販売していることも多いようだ。


歌舞伎座(東京都中央区)は、3階の最後部に「一幕見席」という一幕だけ見られる席(通常、昼の部、夜の部とも3幕程度で上演)がある。席は数百円〜千数百円という格安料金で設けており、好評だ。注釈付きS席は学生席などとして安く提供し、「明日の観客」(将来の観劇ファンになる可能性のある若年層など)をターゲットにする方法もあるだろう。


■席種は選べても、座席や見え方を選べない不誠実


取引は売り手と買い手の合意で成り立つ。納得の上で買い手が購入し、満足しているのであれば、第三者がとやかくいうことではないが、ユーミンのコンサートのように購入者が大きな不満を抱え、炎上することもあり得る。


サービスは商品購入と違い、提供を受けてはじめてその内容が分かる。ゆえに注釈で説明したからと言って納得の上で購入したとは言えないケースもある。日本では、席種を選べても、個々の座席までは選べないことが多いが、席が選べたとしても平面的な座席表では実際の状況はわからない場合もあるし、演出上の見えづらさは想像がつかない。


写真=iStock.com/izusek
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/izusek

S席と同じ価格で販売する注釈付きS席は、売り手市場(買い手よりも売り手が有利になること)となりやすい状況の産物であり、やはり買い手である消費者の足元を見ている価格設定だろう。


注釈付きであっても座席が追加放出されることはありがたいと感じる観客の心理をうまく利用しているのではないかとも言えなくもない。見にくい席を、チケットを買えなかった希望者のために、追加放出という形で売ることで、注釈付きS席として正当化しているようにも思える。


消費者目線で考えれば、はじめから安い席として販売すればよいだけなのだ。エンタメ業界には誠意ある席種設定をしてほしい。


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細川 幸一(ほそかわ・こういち)
日本女子大学家政学部 教授
独立行政法人国民生活センター調査室長補佐、米国ワイオミング州立大学ロースクール客員研究員等を経て、現職。一橋大学法学博士。消費者委員会委員、埼玉県消費生活審議会会長代行、東京都消費生活対策審議会委員等を歴任。専門:消費者政策・消費者法・消費者教育。著書に『新版 大学生が知っておきたい生活のなかの法律』『大学生が知っておきたい消費生活と法律【第2版】』(いずれも慶應義塾大学出版会)などがある。歌舞伎を中心に観劇歴40年。自ら長唄三味線、沖縄三線を嗜む。
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(日本女子大学家政学部 教授 細川 幸一)

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