「ママをいじめるために生まれてきた悪魔!」何度罵声を浴びても今は母が好きと語る娘の苦しみ

2025年4月9日(水)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/anurakpong

母の沙織さん(仮名)は、自らも実の親から虐待、性的虐待を受けてトラウマを抱えていた。娘の夢ちゃん(仮名)は、生まれつき目に障害を持つうえに、「育てにくい」子だった。夢ちゃんは、母から「あんたは、ママをいじめるために生まれてきた悪魔」との言葉を何度も浴びせられる。母と娘の交わらない瞳、複雑に絡み合った感情を、ノンフィクション作家・黒川祥子さんが聞き出す——。

■「あんたは、ママをいじめるために生まれてきた悪魔」


ママはご存じの通り、明るくて、優しくて、いろんな人に思いやりのある行動がとれるから、多くの人に好かれています。だから、そんなママの好きな人にはちゃんと挨拶をしたいと思って、ここに来たのかもしれません。まあ、激しく気分に差があって、難しい人でもあるんですけど……。


写真=iStock.com/anurakpong
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話をすると決めた時、私、何を話せばいいんだろうって考えて、嫌なこと、うれしすぎることが沢山ありすぎて、何から話していいのかなーって、今も迷っています。


ただ、お話しする前に、一つ、大前提として、私はママのことをすごく嫌いになったこともあるし、いなくなってほしいと思ったこともあるし、なんで、この人が私のお母さんなんだろうって思ったこともあるということを、覚えていてほしいんです。


「もう、お母さん、ママなんて呼びたくない」と思ったこともあって、それで今は、「さおちゃん」と呼んだりしています。ですけど、今はお母さんとして大好きですし、愛していますし、人としても大好きだと思っています。


私、学校に入る前の小さい頃の記憶って、あまりないんです。さおちゃんが話していると思うのですが、小さい頃の私って、性格が難しかったらしいです。嫌なことがあると、泣き喚いたりしていたそうです。でもこれは、自分の記憶として覚えているんじゃなくて、周り、特にさおちゃんから言われて、多分、私、相当難しい子だったんだろうなあっていう自覚を、最近、明確に持ちました。泣き喚いて幼稚園に行かなかったとか、何度もママから聞かされますから。


私、寝ない子だったらしいですね。


確かに、私を育てることは、とても大変だったと思うんですよ。それは事実だったと思いますが、でも、今でも私、よくママに、「夢ちゃんは、本当にめんどくさかった」とか、「なんで、この子が生まれてきたんだと思った」とか、はっきり言われるんです。


あー、それ、たまんないです。


それは、こんなふうに始まります。私が普通にリビングにいてくつろいでいると、ママがだんだん酔っ払ってきて、突然、昔の話を始めるんです。それって、しょっちゅうなんです。そうして昔の話を始めると、話すうちに過去が甦ってきて、さおちゃんは明らかにイライラが高じてきて、そのうちに怒り出して、その怒りを私にぶつけてくるんです。「ああ、ほんと、寝ない子だった」とか。思い出してくると、激昂して口調も怖くなって、私に怒鳴り散らすんです。


「本当に、めんどくさかったし、夢ちゃん、なんで生まれてきたの? と思ったし、あんたは、ママをいじめるためだけに生まれてきたんだって、ほんと、それしかないって。あんたは、ママをいじめるために生まれてきた悪魔なの!」


耳を塞ぎたい言葉が連発で飛んできて、いつ終わるかもわからない。こうなると、さおちゃん、長いんです。「あーあ、今日は最低の夜が待っていたんだ」って、「今夜も、最悪」と心の中で呟きます。


■ママは私を傷つけたことを、覚えていない


いつも、この繰り返し。もう、何回も言われています。酔っ払っている時は、確実に言ってくるんです。「あー、めんどくさかった!」と語気を荒げて吐き捨てられるから、「私の子育てって、ものすごく大変だったんだろうな」という気持ちになります。


だけど、もっと最低なのは、ここまで私を傷つけておきながら、ママ、それを言ったことを次の日、覚えていないんですよ。ひどくないですか?


私は幼稚園だけでなく、学校にも行きたくなくて不登校気味だったので、ママに不登校の子が通う学校に連れて行かれたことがあります。そこで出会ったある女の子は、教室で癇癪を起こす子でした。その頃には癇癪は恥ずかしいことだとわかっていたから、私は癇癪を起こすことはなくなっていました。だから第三者目線で、その子の行ないを客観的に見ることができたんです。癇癪を起こして泣き喚いている様子を見て、つくづく、この子のお母さんも学校の先生も、大変だなーって思いました。


だから、帰宅してから改めて、さおちゃんに「昔、癇癪とか起こしてごめんね」って謝ったんです。だけど、私がどんなに謝っても、今、どんなに手のかからない子であろうとも、さおちゃんは過去のことをずっと引きずるタイプなんです。


だから今、私がどんなにママが求めている最高のいい子になったとしても、昔の話は絶対にするし、昔の話を始めたタイミングで、「おまえは最悪だ、生まれてこなくてよかったのに。なんで、生まれてきたんだ」と、私を罵倒し続けるわけです。それはもう、どうしようもできない。過去は変えられないし、このまま言われ続けていくのが、私の一生なんだなーと思います。


一度、弟の海(かい)くん(仮名)がいなくて2人きりの時に、「それ、言われるって、すごく嫌なことなんだよ」と、素面(しらふ)のママに伝えたことがあったんですけど、先ほども話したように、その言葉を吐く時のママはいつも酔っ払っているわけだから覚えていないし、言った記憶もないわけです。


「そんなん、言ったっけ?」


私が「言った」と断言すると、「もう言わないよ、そっか、ごめんね」と謝るんです。でも、ママ、酔っ払うと変わるよね、という話です。


ママは酔っ払っていない時には「今は、そんなふうに思っていないから。夢ちゃんを、ママをいじめる悪魔だとか、思ってないから」って言うんですけど、もし、本当に今、そう思っていないんだったら、「酔っ払っても、その言葉、出なくないか?」って。酔っ払っても、心の中でそう思っていなかったら出てこないじゃん。私を悪魔だとか、自分をいじめるために生まれてきたと思っているから、酔っ払った時に、出てくるんだよねーって思うんです。


■「よかったね」って言ってほしいのに


私が育てにくかったのはわかるんですけど、それはほんとに、申し訳なかったと思うんですけど、フラッシュバックじゃないけど、ふと、脈絡なく聞こえてきちゃうんですよ。その時のママの声のトーンとか、言葉とかが。瞬時に、ママにくどくどと貶(おとし)められている最中の雰囲気が甦って、その時の自分の立場にパッとなってしまうんです。それ、とても苦しいです。目の前にママがいないのに、その時の世界になっちゃうんです。一人でいる時とかに。


写真=iStock.com/xijian
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さおちゃんは周りに、「ちゃんと、子どもを育てている私」っていう感じでいるのですが、私、それが困るんです。だって、ちっとも、そうじゃないんだから。


私が、さおちゃんに対して困っていることの一つに、何か気に食わないことがあると、絶対にその嫌な話を1から10まで全部、話すことがあります。同じことを何回も言うし、話も長いんですよ。そして必ず、言わなくてもいいことまで言っちゃうのが、うちのママなんです。例えば、「今日、友達とランチに行って、いろいろ話をして」と、私に話しかけてきたとして、私はこれから楽しい話を聞くのかなと思うでしょ。でも、さおちゃんは、こう話すんです。


「夢ちゃんの話をして、夢ちゃんが育てにくくて、夢ちゃんが大変だったっていう話をみんなに聞いてもらったの。だって寝ないし、癇癪は起こすしって」


この調子で、私がいかにとんでもない子どもであったかを、ランチの報告がてらにワーッと捲したて、「でも、みんなといろいろ話して、楽しかったよ」と締めるんです。


それって、私に話しているんだから、私の過去のことは言わなくていいんじゃない? そう、思いませんか? 私に、過去のひどさをわざわざ話したところで、私は傷つくだけだし、なんなら「ごめんね」としか言えないし、今から戻れるんだったら、いい子にしますけど、それができないし、どうしたらいいの? って。ランチの報告でこんな話を盛られても、困るんです。育てにくかったのは申し訳ないけれど、もう、そろそろ……って。この時は酔っ払ったママじゃなく、普通の状態です。


■私の理想にしている“お母さん”


ママと一緒にいると、気分が落ち込むことが多いんです。例えば、すごくうれしいことがあって、「あのね、今日ね」って、そのうれしい報告をママにしても、こう返ってくるんです。


「でも、どうせ、そんないい結果にはならないんじゃない」


こっちはうれしい気持ちでいるのに、わざわざマイナスになる発言をする。これも、いつものことで、この前も彼氏から、「夢ちゃん、かわいいね」って言われたことを話したんです。私はママに、「よかったね」って言ってほしくて話したのに、ママはこうです。


「さあ、それがいつまで続くかなー。ママも、昔はそうだったんだよ。パパもそうだったのに、いつから変わったのかな。子どもが生まれてから、変わったわ。生まれなかったら、変わらなかったのかな」


おいおい、勝手に自分の話にすり替えて、また、私を責めるわけ? ママに楽しい話なんか、しなきゃよかったって、いつも思います。そして、こっちも落ち込むわけです。どうしてこんなに、ネガティブ思考なんだろう。ママと話しても、ちっとも楽しくない。逆に、貶められることになってしまうんです。


彼氏と夜、なかなか、連絡がつかないって話した時、普通はお母さんって、慰めてくれるものだと思うんですが、さおちゃんは違います。


「きっと、浮気してんじゃないのー」


どうして、わざわざ娘が苦しむようなことを言うんでしょう?


学校に入る前のことは全く覚えていないし、思い出になるような記憶もありません。ただ、タブレットだけ。毎日、家にいて、タブレットを見ていた記憶しかなくて……。


たまに、思うんですよ。ママじゃないママだったら、こうなっていなかったのかなって。喚いたりもしなかったし、もしかしたら学校にも行ってたんじゃないかなって。


私の理想にしている“お母さん”って、朝、子どもが起きる前に起きてごはんを作って、みんなで朝ごはんを食べて、お見送りをして、掃除機をかけて、洗濯をして、子どもが帰ってきたらごはんを作ってくれて、「もう寝なさい」っていう、そんなお母さん。働いていないお母さんだったら、家事をお母さんがするっていう感じだと思っていて、でも、私はそういうお母さんを知らないんです。みんながそうだと思っているお母さんを、私は知らない。多分、それはドラマの影響とかのイメージだと思う。サンタさんがおじさんで髭が生えているイメージと一緒で、お母さんというのは、そんな感じだと私は思っていて……。


■学校に行くというリズムにならない


でも、うちのママは朝、起きなくて、私もその生活習慣で一緒に寝ていて、起きたら、学校のお昼の休み時間ぐらい。「ママ、そろそろ起きようよ」と、いつも、こっちが起こすんです。


「もう少し寝かせて。身体が追いつかない。しんどい」
「ねえ、ママ、夢ちゃんと海くんのごはんは?」
「適当に、パンでも食べといて」


起きてくるのは2時頃で、そこから一緒にテレビ。だから、学校に行くというリズムにならないのです。ただし、テレビを見てもいいと言う時もあれば、「休んでいるんだから、みんなが帰ってくる時間まではテレビを見るな」とか、日によって、ママの言うことはバラバラ。その日によってテレビを見ているか、一日中、ぼーっとしているか。


ママが、私が理想とするお母さんだったら、私、学校に行っていたのかな。何も考えないで、みんな、学校は行くものだと思って行っているでしょ。私は、学校って行くしかないものだとはよくわからなくて、行きたくないなら行かなくていい、やりたいことだけ、やっていればいいって、どこかで認識したのだと思う。ママも最初は「行け、行け」って言っていたけど、休みを受け入れてくれる日もあるし、逆に、私が「今日、学校に行こうかな」って思っても、「夢ちゃん、今日、送ってくの面倒くさいから、休んで」って言う時もありました。


パパもきっと、家庭にはそういう理想のものを求めていたんだと思う。仕事から帰ってきたら洗濯物がパリッとしていて、布団もふかふかで、あったかいごはんができているって。実際は、布団は朝起きた時のまま、洗ってない食器が増えていて、ごはんもできていない。ごはんも買ったものとか簡単なもの、冷凍ものが多い。


「夢ちゃんが生まれる前は、料理が好きだから、何品も作って、定食のようにしてたよ」


ママはこう言った後、必ず、付け加えます、私に対して。


「子どもが産まれて、変わっちゃった」


なぜ、わざわざ、私を傷つけることを話してくる? これ、何度も聞かされています。朝、起きないことも、私にこう言ってきます。


「夢ちゃんが生まれた時に大変じゃなかったら、ちゃんと、朝、起きてたし」


■「これ、何本に見える?」とからかわれる


ただ私には、学校は意地でも行きたくなかったという思いもあって、それは時間に縛られるのが耐えられなかったこともあるし、クラスにいる問題児が嫌いだったこともあります。


小学1年の時に、ママが目に障害があることを学校でカミングアウトしようとなったんです。それ以来、悪気はないのかもしれないけれど、問題児たちが指を出して、「これ、何本?」、「何本に見える?」ってからかってきて、永遠にそれをされるのが嫌で嫌でしょうがなく、耐えられませんでした。


黒川祥子『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)

小学生だから、メガネをかけても目が見えるようにならないというのがわからないんですよ。目の病気ではなく、障害であることがわからない。だから問題児たちは不思議でしょうがないのか、「何本に見える?」をやってくる。私、本当に嫌でした。


目が見えなくなったのがいつからか、自分でもわからないんです。ただ、全く見えないわけではなくて、見えてはいるんです。物心ついた時からこういう見え方なので、普通がどうなのか、どう見えないのかがわからない。


ママは初めての子育てで、ハンデがある子というのも初めてで、これから私たちがどう生きていけばいいのかがわからなかったんだと思います。だからなのか、自分にはハンデがないし、どうしていいかわからないから、街でちょっと聞かれただけで、「それ、言わなくていいよ」


というところまで、1から10まで話し出すんです。


「実は、なんちゃらという病気で」とか、「この子、ちょっと目が見えないんですよ」とか、すぐに言う。


それ、私も弟も、すごく嫌なんです。弟も、「別に、わざわざ言わなくていい」って思っているから、ママのそういうところにむかついていると思う。私もそれが、本当に嫌。でもママは普通に、「見えないから、私を近くにいさせてください」と言いたいんです。


心配だからって、それを言っちゃって、学校で「これ、何本?」が始まったわけです。言わずにはいられない。「溜め」がないというか、制御して、心に閉まっておくことができない人なんです。


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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待——その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)

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