素人目でも脳の形が完全に変わった…認知症でも脳梗塞でもない不治の病の60代夫を支える薬剤師妻の深い愛情

2025年4月12日(土)10時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Dimensions

薬剤師などの仕事をしてきた女性は23歳の時に7歳上の一級建築士の夫と結婚。子供はいなかったが、とてもいい関係を続けてきた。ところが、夫が67歳の時、突如としてめまい・ふらつき・転倒が多発。医師は脳の画像などを見た後、「治りません。難病です」と聞いたことのない病名を告げた——。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■両親は離婚。高校の部活のOBと結婚


関西地方在住の久保田悦子さん(仮名・67歳)の両親は、友達の紹介で知り合い、母親が25歳の時に久保田さんが生まれた。久保田さんが物心ついた時、すでに両親は不仲で、スナック経営をしていた父親は不在なことが多かった。


母親は、久保田さんが手のかからない子どもだったこともあってか、勉強のことも友達関係のこともまったく口を出さず、放任。


しかし、久保田さんの8歳下の妹は、独立心の強い久保田さんとは正反対で、妹と母親はお互いにベッタリだった。


やがて久保田さんが高校生になった頃、父親がまったく帰ってこなくなった。どうやらギャンブルで借金を作った上、不倫相手の元へ転がり込んだようだ。


両親は久保田さんが17歳の時に離婚。母親は久保田さんと妹を養うため、喫茶店を始めた。


この頃、高校のテニス部に所属していた久保田さんは、OB会からコーチとして派遣されてきた、7歳年上の大学院生の男性と出会った。高2の時にキャプテンに選ばれると練習計画の相談などでこのコーチと2人で会うことが増え、数カ月後には交際に発展した。


写真=iStock.com/Dimensions
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大学の薬学部を卒業した後、久保田さんは製薬メーカーに入社。男性は大学院を出た後、ゼネコンに就職し、一級建築士として働いていた。


久保田さんは23歳の時に結婚すると、実家を出た。


■脊柱管狭窄症?


結婚後は、休日には夫婦でテニスに勤しみ、ミックスダブルスの大会に出るなどして夫婦2人、仲睦まじく暮らしていた。久保田さんは25歳で製薬メーカーを辞めた後、扶養範囲内で薬剤師や司法書士事務所勤務などをして40年近く働いていたが、60歳くらいからは専業主婦になった。


2016年6月。当時64歳の夫は突然めまいを起こして転倒。念のため、脳外科を受診したが、異常なしと言われた。


「夫は、若い頃からの腰痛持ちで、ロキソニンを毎日飲んでいました。何十年も毎日です。プロスタグランジンの点滴、ブロック注射なども試しましたが効果がなく、手術を受けることになりました」


写真=iStock.com/BitsAndSplits
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BitsAndSplits

2016年10月。腰椎すべり症を伴う腰部脊柱管狭窄症と診断された夫は、全身麻酔で5時間以上かかる手術を受けた。術後半年間はコルセット着用し、経過は順調とのことだったが、なかなか元通りにはならなかった。


2017年3月。夫は65歳で会社を退職した後、リハビリも兼ねて近所のスポーツジムに入会し、週3回通い始めた。


しかし、手術をしてから1年経っても、元通りにはならなかった。


「姿勢がずいぶんと前かがみになっていて、歩き方がおかしい感じが続いていました。手術は失敗? とも思いましたが、もともと手術をしても完全に治るわけではないと言われてたので、こんなものかと自分を納得させるようにしていました。痛い痛いと言っていたので、痛みがとれただけでも良かったのかなと……」


ところがある日、久保田さんが夫と並んで歩いていると、突然、視界から夫の姿が消えた。


「え?」と思って夫がいた側の下を見ると、夫が地面に転がっていた。


「本人はつまずいたと言うんですが、普通そういう時って、『あっ』と声が出たり、手でバランスをとったり、何らかのアクションがありませんか? でも何の気配もなく、突然、地面に転がっていたのです。そのときから、『何か変だな』という違和感を持つようになりました」


それ以降、自転車に乗っていてもふらつくことが増えた。夫は突然バランスが取れなくなると、手を伸ばして、何でもつかもうとした。しかし体を支えられるほどのものをつかむことはできず、そのまま倒れてケガをするようになった。


「細い木の枝とか、そんなのつかんでも支えにならないものをつかもうとするんです。会社のOBさんたちとの飲み会に行ったときも帰りに転んだらしく、ズボンがドロドロになって帰ってきたことがありますが、そのときは『飲みすぎだ!』って怒ってしまいました」


その数日後、久保田さんが帰宅すると、夫は鼻に大きな絆創膏をつけていた。聞くと、自転車で転んで血だらけになったので、自分で病院まで行き、縫ってもらったという。久保田さんは、「もう自転車は危ないから乗らないでほしい」と懇願し、杖を購入した。


■尿管結石からの腎盂腎炎


2019年10月。67歳の夫が38度の熱発。


翌日、徒歩10分のかかりつけの病院に2人で向かうが、歩き方がおかしい。ふらつく夫を支えるために、腕を支えながら一緒に歩いているにもかかわらず、夫はどんどん前屈みになりながら、久保田さんを置いて早歩きで進んでいく。


「ちょっと待って。ストップ、ストップ!」


と久保田さんが声をかけると、夫は止まるが、ハアハアと荒い息を吐きながら建物の壁に手をついてやっと立っている。


「もう少しゆっくり歩こう」


そう提案するものの、夫はそんなに速く歩いている意識がないようだった。


病院にたどり着くと、検査の結果、尿管結石からの腎盂腎炎であることが判明。夫は、10年以上前に尿管結石の痛みで救急車を呼んだことがあるが、そのときは自然に石が排出され、その後、何の症状もなかったが、再発したようだ。


しばらくの間、点滴に通うことになった。


しかしそれから2日後、熱は下がったものの、白血球の値が上がり始めたため、泌尿器科の専門病院の受診を勧められる。


久保田さんと夫はそのまま泌尿器科の専門病院へ直行すると、すぐに入院することになった。


■認知症か脳梗塞か


入院先の病院では、まず、手術の流れを説明された。


「尿管ステントという細い管を入れて、おしっこの流れを良くした上で抗生剤の点滴をし、炎症や発熱がおさまってから、レーザーによる内視鏡手術を行うという方針を説明されました」


夫はこの年の10月18日から24日まで入院。いったん退院した後、11月5日に再入院し、6日に手術、7日に退院というスケジュールだった。


合計10日間の入院中、ほぼ寝たきり状態だった夫は、ますます足腰が弱ったように感じられた。杖をついていてもバランスがとれず、今にも転びそうな歩き方になってしまう。


「介護認定の申請をしなければ」と思った久保田さんは、申請書を入手。かかりつけ病院の整形外科の医師に意見書を書いてもらうことにした。


夫を連れて整形外科を受診すると、医師は夫を見るなり冗談っぽく「ちょっと認知症が進んだんじゃない?」と言う。久保田さんは面食らうが、意外にも夫はゆっくり頷いた。


久保田さんが、夫の歩行がおかしいことを伝えると、「入院して足の筋肉が衰えたんでしょう」と医師。すると突然、


「いや、それだけじゃなくて、フラフラする感じで何か変」


と夫が訴える。


少し考えて医師は、「もしかしたら、脳梗塞とか起こしているかもしれないね。検査してみましょうか?」と提案。


ところが夫は、


「ここで検査してもわからないと思う」


とバッサリ。


久保田さんは内心慌てたが、医師は気を悪くした様子はなく、


「じゃあ、どこかに紹介状書きましょうか?」


と訊ねる。


久保田さんは咄嗟に、


「脳神経外科のWクリニックに行こうと思います。以前かかったことがあるので、紹介状は大丈夫です」


と答えた。


「医師の口から認知症という言葉が出るのは正直イヤなものでした。夫はまだ60代なので、本人に向かってそんなこと言ってほしくなかったです。でもこのとき、脳神経外科で検査してもらおうという気持ちがしっかりと固まりました」


■「難病です。治りません」


2019年12月10日。夫と共に脳神経外科のWクリニックを受診。


2016年6月に夫がめまいを起こしたときに受診して以来だった。そのときは何の異常もなく、「念のため1年後に再検査を」と言われたが、再検査を受けるのを忘れてしまっていた。


夫のMRIを撮った後、3年前の受診時に撮ったMRIと並べられた診察室で、医師から話があった。


写真=iStock.com/merznatalia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/merznatalia

「脳にも外科と内科があります。僕は外科医なので、内科の先生の意見を聞いたほうがいいと思います。週に1度、神経内科の先生が来られてるので、神経内科の予約をして帰ってください」


幸いなことに、翌日が神経内科医が来院する日だった。


「専門的なことはわかりませんが、素人目に見ても、3年前と脳の形が全然違うのがわかりました。医師は、病名は告げませんでしたが、話の内容から、手術で治る病気でないのはわかります。イヤな予感を抱えながら、神経内科の予約をして帰りました」


翌朝、夫は神経内科医の診察を受けた。問診の後、歩行や目の動きを見たり、ハンマーで足を叩いたりなど、さまざまなテストをした後、おもむろに医師は言った。


「これは、『進行性核上性麻痺』に間違いないと思います。難病です。治りません。すぐに難病の申請をしてください」


久保田さんは、“心ここに在らず”となっていた。


「とにかく転びやすいので、一人で外出させないように。外を歩くときは、しっかり手をつないで支えるように。飲み込みが悪くなるので、嚥下のリハビリをするように……など、日常生活での注意事項について他にもいろいろ言われたような気がしますが、私はただボーっと先生の話を聞いていました。質問もほとんどしなかったような気がします」


診察室を出る際に、看護師から「進行性核上性麻痺」と書いたメモを渡された。難病の申請書は病気によって異なるため、病名を間違わないためだった。


「悪い予感は当たりました。ショックと言えばショックでしたが、『いよいよ来たか』みたいな、何とも説明しがたい気持ちでした。泣くこともなく、怒ることもなく、たぶん、薬学を学んでいる分、一般の方よりは受け止めるのが早かったように思います。『筋ジストロフィー』や『ALS』『脊髄小脳変性症』なら少しは知識があったのですが、『進行性核上性麻痺』なんて聞いたことがありません。だからあまりショックを受けずに済んだのかもしれません」


久保田さんは難病申請をした。介護申請は11月20日にしてあったため、介護認定調査は12月26日に行われ、結果は1月21日に届き、要介護2だった。


2020年が明けて1カ月ほどたった頃、久保田さんの87歳の母親が一人暮らしをする実家の隣に住んでいる妹から電話がかかってきた。(以下、後編へ続く)


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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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