経営危機を乗り越えた富士フイルム、カリスマ経営者の力だけではなかった「もう一つの勝因」

2025年4月9日(水)6時0分 JBpress

 意思決定の際、トレードオフ(二者択一)に直面する企業にとって、「二兎を追う戦略」の実現は困難に思える。しかし、早稲田大学大学院経営管理研究科教授の淺羽茂氏は「価格と品ぞろえを両立させたZARAや、逐次的両利きで深化と探索を成功させた富士フイルムなど、二兎戦略を実践する企業も少なくない」と語る。各社が二兎戦略を成功させた背景には、どのような要因があったのか──。2024年12月に著書『二兎を追う経営 トレードオフからの脱却』(日経BP/日本経済新聞出版)を出版した早稲田大学大学院経営管理研究科教授の淺羽茂氏に、二兎戦略を実現する企業の勝因について聞いた。


「低コスト」と「多様な品ぞろえ」を両立したZARA

——著書『二兎を追う経営 トレードオフからの脱却』で、アパレル小売りでは「低コスト」「品ぞろえ」という2つの価値がトレードオフの関係にあることを指摘しています。スペインのアパレル企業ZARAは二兎戦略を採り、トレードオフの解消に成功しているとのことですが、そこにはどのような戦略があるのでしょうか。

淺羽茂氏(以下敬称略) ZARAは、スペインのインディテックス社が運営する5つのアパレルチェーンのうちの1つで、ファストファッションの草分け的ブランドです。

 アパレル小売りでなぜ品ぞろえを増やそうとするとコストが高くなってしまうのかといえば、商品を企画してから店頭に並ぶまでの納期が長いことが関係します。納期が数ヵ月だと、シーズンの頭で売れているからといって追加注文を出しても、シーズン中に商品が入ってこないので、見込み生産をせざるを得ません。

 見込みは外れるので、売れ残り、マークダウンが必要で、その費用を仕入れ値に含めなければならないからコストが高くなるのです。それに対してZARAは、新製品で4〜5週間、既存製品の修正であれば2週間以内に店舗に並べるという短サイクルを実現しているので、流行を素早くフォローすることができ、「低コスト(低価格)」「品ぞろえ」という二兎戦略を実現しているのです。

 ZARAは、街中やファッションショーなどにデザイナーを配置し、「今、何がはやっているのか」「今年は何がはやるのか」といった市場の動向を常に把握しています。それをいちはやくデザイン・生産して世界中で販売する、というビジネスモデルを得意としているのです。

 年間で約2万5000点のアイテムをデザインしているため、毎日数十品目をデザインしていることになります。しかし、その中から実際に生産されるものは3分の1強に満たず、見込みのあるデザインを厳選していることが分かります。こうした戦略を採ることで、新製品の失敗率は1%(業界平均は10%)となっています。

 店舗の品ぞろえも戦略的に行われています。1人の顧客が来店するサイクルを計算していて、次に来店したときには品ぞろえが大きく変わっているようにしています。つまり、来店したとき欲しいと思った商品があったらその場で買わないと、次に来たときにはなくなっているということです。来店客に「飢餓感」のようなものを植え付け、買い渋りをなくす工夫をしているのです。

 このように、ZARAは短サイクル、少量多品種生産、売り切る力によって、「低コスト」「品ぞろえ」という二兎を追うことに成功しています。他方、ZARAの対局にあるのがユニクロだと考えられます。


ZARAとは対極にあるユニクロ、戦略的に重視する「もう一つの軸」

——ユニクロの戦略は、ZARAとどのように異なるのでしょうか。

淺羽 ユニクロは「品ぞろえはいまひとつだけど安い」、つまり低価格に特化した一兎戦略だと思われがちです。しかし、アパレル小売りが直面するトレードオフには、「コスト」「品ぞろえ」以外にもう一つ、「品質」という軸があります。ユニクロは、「コスト」と「品質」の追求という二兎戦略をとっていると考えられるのです。

 他のファストファッションは、商品の品質に対するこだわりを抑えていることで「低コスト」「品ぞろえ」の二兎戦略を成功させています。ZARAの場合、自社の商品は10回程度着られればよし、と考えているようです。対して、ユニクロはZARAと比較して、機能性や耐久性といった品質の良さを重視しています。

 ユニクロは定番商品を中心にすることで、流行り廃りを抑える代わりに買取によって商品を安く仕入れていいます。同時に、品数を絞ってSKU(ストック・キーピング・ユニット)当たりの生産量を大きくし、規模の経済を働かせてコスト低減をしています。また、発注量を大きくすることで、技術力の高い工場と取引できるので、品質改良もできます。

 つまり、ユニクロは品ぞろえ(ファッション性)の追求をあきらめて定番製品を中心に品ぞろえを絞ったおかげで、トレードオフ関係にある「低コスト」と「品質」の両立を可能としたのです。

 このように見ると、ファッション小売りの場合は「低コスト」「品ぞろえ」「品質」の3軸(価値)があり、1つの価値をどのレベルにするかによって、他の2つの価値の間のトレードオフの強弱を調節していることが分かります。トレードオフ問題に直面した場合には、今ある2軸の他に「もう一つ、別の軸がないか」を検討することで、諸条件の制約を緩めることができるかもしれません。


富士フイルムが実践した「逐次的両利き」

——著書では、写真フィルム事業消失の危機を克服した富士フイルムの事例について解説しています。同社が事業構造の転換に成功したポイントはどこにあるのでしょうか。

淺羽 かつて富士フイルム(旧富士写真フイルム)は、2000年代に写真フィルムを含む写真市場で営業利益の7割を稼いでいましたが、市場が縮小する中で事業再編や従業員のリストラを行わざるを得ない状況に追い込まれました。売り上げで見れば、写真フィルムが含まれるイメージング・セグメントの売上高は、2000年度の7778億円から2011年には3227億円となり、4500億円あまり減少しています。

 しかし、新事業やM&A、研究開発への積極投資に力を入れ、2021年3月期、2022年3月期には連結純利益で2期連続の最高益を更新しました。その原動力になったのが、2010年代に探索、展開された新規事業と考えられます。

 2000年に社長、2003年にCEOとなった古森重隆氏は、2004年に策定した中期経営計画「VISION75」で、第2の創業に向けて5つの分野を定めました。これらの中で有望だと考えられた分野の1つが「医療画像とライフサイエンス」です。

 もともと富士フイルムのライフサイエンス事業では、医療機器が主要製品でしたが、医薬品の開発も行われていました。そこで、当時研究していたがん治療薬の自主生産を目的として、2011年に米国のメルク社からバイオ医療品の製造子会社を買収しました。

 しかし、その薬の開発がなかなか進まなかったので、新薬が開発されるまでのつなぎとして、買収した製造子会社でバイオ医薬品の製造受託事業を始めました。すると、同社はその製造受託に対する需要の大きさに気付き、設備投資や企業買収を通じて生産能力を増強しました。

 こうした積極投資の結果、コロナ禍で治療薬やワクチンの製造受託が伸び、2021年3月期、2022年3月期と、連結純利益で2期連続の最高益更新につながったのです。

 富士フイルムの勝因は、まず、写真フィルムの事業を深化する段階で、資金や技術、人材といった経営資源を十分に蓄積したことにあります。そして、この経営資源の蓄積を新規事業の探索に生かし、M&Aをはじめとする新規事業への投資に生かしました。つまり、同社は、深化と探索を時間で切り分ける「逐次的両利き」をしていたと考えることができます。

 逐次的両利きの難しさは、深化から探索に移るタイミングを見極めて企業変革を主導することにあります。企業変革を主導したのはカリスマ経営者であった古森重隆氏だったことから、逐次的両利きには「トップの資質が重要」という見方もできます。もちろん企業全体を変えるためにはトップのリーダーシップは必要不可欠ですが、カリスマ経営者のいない普通の会社でも深化から探索に移るタイミングを見極める方法はあります。

 富士フイルムには、写真フィルムの需要予測をして販売戦略を練る部署がありました。同部署は、毎年需要を正確に予測し、「何年後に写真フィルムがなくなる」とトップに訴え続けていました。このようにトップに直言できる人や信頼できる情報チャネルを持っていれば、トップは変化を察知して変革に取り組めます。

 逐次的両利きの場合、このタイミングを間違えないことが重要ですが、タイミングの判断をトップ一人に任せるのではなく、環境変化が自社に及ぼす影響を的確に察知できるミドルマネージャーを、変化が起こる販売や生産の現場に配し、彼らがトップに上申できる体制をつくることが肝要です。

 富士フイルムが逐次的両利きで変革を成就させた背景には、深化の段階でリソースを蓄積していたこと、タイミングを間違えないようにミドルマネージャーが役割を果たしたことの2つがあり、そこに優れたトップがいたという3つめの点が加わったことがあると考えます。

筆者:三上 佳大

JBpress

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