「サザエさん」一家のような広い家はもう買えない…日本で「個性のない狭小住宅」が増殖しているワケ
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rana Umair Zahid
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■間口3m強の「細長過ぎる家」
都市の中に、ずいぶん細長い住宅が建てられているという実感はないだろうか?
間口が駐車場ギリギリの3メートル強、玄関はその駐車スペースの奥に位置する。いわゆる京都によくある小間口の町屋や長屋でもなく、都心の古い商業地の連棟長屋ですらない。
街区の都市計画指定では、住居専用地域と思われる2階建てが多く建つ住宅地の中に、あくまで一戸建てではありながら、細長過ぎるのである。
敷地と敷地の間は、人が通れるギリギリの隙間を互いに設けてあり、ネットフェンスやブロック塀で仕切られている。その隙間分50センチを両側に加えて、土地の大きさは4mぐらいの幅であるケースが多いだろう。
これらは元々の土地が、何かの理由で小さく残されていたものではなく、そのほとんどはかつて庭付きの一戸建て住宅の土地を、さらに半分や3分の1に切り分けて計画されたものなのである。
■昭和時代はフツウだった100坪敷地
そのような土地は、都心のターミナル駅から10駅以内の30分圏内によく見られるもので、昭和40年代に分譲されたと思われる。築50年程の住宅が建っており、相続時期を迎え相続税の支払いや、家族は既に他の場所やマンション等に居住している、元の家を維持する気のない遺族によって売却されたケースの土地に多い。
そこをさらに分割しているのは、宅地の再販売のための苦肉の策なのである。
元の家は、15〜20メートル角ほどの100坪(約330㎡)ぐらいの土地にガレージと門に塀、庭があって南向きの二階建て住宅という構成であったろう。
50数年前に連載が始まった「ドラえもん」や「オバケのQ太郎」といった藤子・F・不二雄が手掛けたマンガ作品の舞台になるような家である。
■「サザエさん」の家には住めなくなった
このタイプの家は、大都市近郊でも地方でも似通った規模と形状であり、玄関を入って応接間や和室の広間をもち、奥に台所と居間が連続するような間取りで、2階に子供室が一つか二つあるといった構成である。
これを2階建てではなく平屋で展開したものが、さらに一世代前、大正から昭和初期に建てられたような「サザエさん」の家であり、立派な門や塀に囲まれ、土地の広さは2倍ほど必要とするが、部屋数や延べ床面積は同等である。
これらの家は、かつては平均的な中流家族の生活を想定していたものなのだが、現在、多くの大都市近郊において、これほどの規模の家ですら、一般には購入が難しい状況になっている。
一般的に、住宅に必要な建物の広さは、用途のほうから積み上げていくと、玄関2畳、応接室8畳、和室広間は10畳(押し入れ含む)、キッチンダイニング8畳、居間8畳に加え、トイレ・洗面風呂で5畳程度であり、納戸や廊下なども含めこれらを総合すると、50畳くらいになる。これを坪数に変換すると25坪であり、さらに子供室として6畳の部屋が二つあるということならば20畳前後を追加して、全体では35坪程度の家になる。
■「家」と「庭」は一体かつ必須のもの
1坪とは不動産や建設業界では一般的な単位で、畳2畳分の広さのことであり、メートル単位に変換すると3.3㎡である。
よって35坪ほどの家とは、120㎡ぐらいの面積であり、ここにガレージが20㎡ぐらい加わり、倉庫などを配置すれば、ちょうど330㎡の土地のうち、半分ほどを使って家が載り、残りが庭ということになる。
住宅地における建築の制限では、一般的に建蔽率といって、土地の上に建物を建てられる面積が、50%から60%と決められていることが多い。その場合の容積率という建物の床面積の合計を決める制限は100%程度であろう。
土地の区画が100坪、約330㎡ということであれば、建蔽率が50%の制限がある場合には、約半分の165㎡程度の建物を載せることができる。
さきほどの一般的な住宅の1階面積にちょうど当てはまるということからも、法律の制限は、それが決められた時代の戦後の既存住宅地と、その生活要望の実勢に即して決定されたものと推察されるのである。
家庭という言葉が示すように、本来、快適かつ健康な住処を考えた場合に、「家」と「庭」は一体かつ必須のものと考えられてあり、土地の一部を庭として空けることは、電気設備や空調装置が普及するまでは、採光や通風の上でも快適性や健康を担保するには望ましいものであったわけである。
■100坪の土地は23区内だと4〜5億円
その「庭」が現在の家庭からは失われつつある。
それは都心部においては、土地価格の上昇により庭を設けることができるほどの住宅地を取得できないという事情による。
前述のように、35坪120㎡ほどの家を庭付きで構成しようとするならば、100坪330㎡の土地が必要になる。現在、東京や大阪、名古屋の大都市ならばそういった土地は1億を超える金額となる。23区内であれば4億、5億という金額だ。
そのような金額で住宅を取得できる世帯は完全なる富裕層であって、一般的ではない。しかし、かつて戦後すぐに宅地開発されたような、23区内にあった元畑とか元山林の住宅地の多くは、高いからといってそれだけの事業価値を持つとは限らない。
一見して住宅地であっても、用途地域の変更や広い道路に面し、容積率や建蔽率が緩和され拡大しているならば、高層のマンションなどに活用可能であり、デベロッパーにとってはすぐにでも入手したい土地だ。
しかし、建蔽率や容積率が住宅地専用のままである大型の土地では高度利用が不可能で、何億円という評価額のままで一戸建ての用地として買う人も希<まれ>である。
■土地が切り分けられ、狭小住宅が増加
結果、売ろうにも買い手が見つからず、なんとか一般的にも購入可能な価格に落としていくために、最小限間口の4mの奥行き10m程度に分割するのである。
その切り分けた土地12〜13坪約40㎡に、三階建てで広さ70㎡25坪前後の住宅が建てられているのである。
当然、庭を取る余裕はない。それどころか駐車スペースによって、本来なら街並みを形成するべき家の前面が失われている。「ピロティ型」といって二階の下が柱のみで空けてあり、入り口は小さくその奥にあるという構成で、トンネル状になっており、やはり家の前面に顔となるべき玄関や門扉がない。
こうした都市型狭小住宅が、都心の建て売り住宅として、所得の多い夫婦共働きを前提にして、住宅ローン限度の8000万円〜1億円弱で購入可能という見込みで売りに出されている。
同様のケースで、地方都市では土地価格において差額が見込まれるが、建築工事費に大きな差はなく、5000万円からといった価格帯になっているだろう。
このような家が、建て売り狭小住宅と呼ばれるタイプとされ、住宅地の中にそれまでの一般的な庭付き一戸建て住宅とは、明らかに異なる細長い片流れのトンガリ屋根の三階建てとして並び、雨後の竹の子のごとく生まれているのが実情だ。
写真=iStock.com/kokouu
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■歩行者にとって「見てはいけない家」に
狭小建て売り住宅には、前述したように前面道路と家との間に庭や塀、門扉といった家の内と外をつなぐ中間領域がないため、プライバシーを気にする場合には、道路面から閉ざされがちになり、中の様子はうかがい知ることは難しい。
住人も互いに自然に声をかけ合ったり、通りがかりに立ち話といった、顔見知り程度の交流を、自然なかたちで促すことも難しくなる。戸建て住宅ではあるが、いわば道路に面したマンションの一階と同じようなものなのである。
外観としても、建築の法規条件から、屋根の形や傾きも同じ形状にならざるを得なく、建て売り住宅の建設時の手配や手間の合理性から、同じ種類の建材や、同じ位置での窓配置になっていくことが多い。その姿はちょうど、戸建てというよりも、暮らし方としては実質水平に並んだ長屋型マンション、一軒の住宅からうかがえる個別の情報として駐車場の乗用車のみが家の違いの特徴となっている。
これは、街区の道路を行き交う歩行者にとっても、季節ごとの変化を見せる庭木や草花などもなく、塀などもないため、家の入り口の目の前を見て見ぬフリをして通り過ぎざるを得ない。
■住宅地の景観が「ファスト化」していく
住宅のほうでも、一番大きな開口部であるはずの道路に面する窓には、磨りガラスかレースのカーテンか、ブラインドなどの目隠しを施している。外部と内部、公と私的空間の緩衝地帯がないのだ。
生け垣とか庭木を植える余裕がないだけでなく、そもそも道路のアスファルト舗装と住宅の玄関までの間も、タイル張りかコンクリートで固められて草木の生える土壌もないのである。
こうした連続狭小の住宅地を歩いていると、このような現代都市の住宅地の景観には一定の秩序がないことに驚く。都市の住宅地における景観のファスト化は、その厳しい条件により、やむなしと考える他ないのだろうかと絶望的な気持ちになってくる。
が、そうではない。住宅地の景観に秩序がない理由は、狭小の狭い間口だからという物理的な理由だけではないのだ。
■京都の町家にあって、都市型狭小住宅にないもの
古い京都の町家や、各地域に残る一部伝統的な都市の家を見れば明らかなように、意外なくらい狭い間口に、互いの隣地とは近接し合っていることがわかる。
写真=iStock.com/Page Light Studios
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道路に面した広い庭などもちろんないが、それでも狭い土地や狭い間口の条件の中で、一部に天井高のある吹き抜けを設けたり、通り抜けられる土間などで構成されている。日当たりが悪くても育つ陰樹や苔などを活かした坪庭、井戸周りなど、都市に居住するときの悪条件を逆手に取った創意工夫が、京都らしい町屋の風情になっているのである。
現在の都市型狭小住宅以上に限られた面積の中で、そうした設えを成立させている住宅も伝統建築の中にこそ多いのも事実だ。
森山高至『ファスト化する日本建築』(扶桑社新書)
同時にそれらの小さな家が連なる家並みを、美しさや懐かしみで彩っているのは、長年に培われてきた素材であり意匠である。そうした文化的な積み上げによって、全体として家ごとの価値を街全体にまで底上げし、今に繋がる観光地の重要なスポットにすらなっているのである。
それに比して現代の小さな間口の家、狭小住宅のデザインは、同じような新建材で、てんでバラバラに、個人の住宅における趣味ですらない。新築時に施工者に示された建材の承認や、それすらもない建て売り住宅における販売会社側でも無検討と思われる惰性的な色彩や素材の選択である。家の設計上も、道路斜線や北側斜線といった、法的規定に最大限合わせただけの造形で終わっている。
とにかく早く安く建ててこその、住宅のファスト化なのである。
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森山 高至(もりやま・たかし)
建築エコノミスト
1級建築士。1965年生まれ。岡山県井原市出身。岡山県立井原高から早大理工学部建築学科に進学し、88年に卒業。斎藤裕建築研究所を経て、91年にアルス・ノヴァを設立し、代表に就任。04年に早大政治経済学部大学院経済学修士課程を修了。長崎県の大村市協定強建替え基本計画策定など、公共建設物のコンサルティングに携わるほか、マンガの原作などの仕事も手掛ける。主な著書に『「非常識な建築業界 「どや建築」という病』がある。
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(建築エコノミスト 森山 高至)