平賀源内は本当に「将軍の父」の陰謀で殺されたのか…歴史評論家が「ここはやりすぎ」と看過できなかったシーン
2025年4月27日(日)9時15分 プレジデント社
森下佳子(作)、NHKドラマ制作班(監修)『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編』(NHK出版) - 画像=プレスリリースより
画像=プレスリリースより
森下佳子(作)、NHKドラマ制作班(監修)『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 前編』(NHK出版) - 画像=プレスリリースより
■次期将軍、平賀源内、老中の「連続不審死」の真相
ここ2回ほど、NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は、田沼意次(渡辺謙)が大奥総取締の高岳(冨永愛)に依頼されてしつらえた手袋を軸に、かなりミステリー仕立ての展開が続いた。
第15回のその名も「死を呼ぶ手袋」(4月13日放送)では、将軍徳川家治(眞島秀和)の嫡男で、次期将軍に内定していた家基(奥智哉)が、当該の手袋をして鷹狩に興じる最中に急に倒れ、そのまま死亡した。田沼が毒殺したという噂も流れたが、老中筆頭で、これまでことあるごとに田沼にケチをつけてきた松平武元(石坂浩二)の見立ては違った。
真っ先に手袋を回収していた武元は、親指の爪を噛む家基のクセを見越して、手袋に毒が盛られたと見立てていた。それは意次と同じ見解だったが、毒を盛ったのは意次以外の人物、すなわち、家基がいなくなれば一番得をするだれかだと見抜いていた。
だが、真相に近づいた武元は、直後に急死する。女性のシルエットが寝室に忍び込むと、武元は毒を盛られた痕を残して死去し、手元にあった手袋は回収されてしまった。そして、その場面に重なるように、一橋徳川家2代当主の一橋治済(生田斗真)が人形を操る映像が流された。明らかに、これらの暗殺劇を裏で操っているのは治済だ、と暗示する描き方だった。
この手袋のミステリーは、続く第16回「さらば源内、見立は蓬莱」(4月20日放送)でさらに広がりを見せた。
■源内の死は誰の指示だったのか
第15回で平賀源内(安田顕)は、意次の依頼で家基が倒れた理由を探り、手袋に毒が仕込まれていたと見抜いていた。だが、真相を究明したい源内は、事件を幕引きしないと危険だと判断した意次から、このことはもう忘れるようにいわれて反発する。
木村黙老画「平賀鳩渓肖像」1845年(写真=慶応義塾図書館収蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
そこにちょうど蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が、新作の執筆を依頼してきたので、源内は『死を呼ぶ手袋』の物語を提案した。だが、その内容はあまりにストレートだった。
稀代の悪党による手袋をもちいた殺人に気づいたのが「七ツ星の龍」だが、悪党はその「龍」を人殺しに仕立てる。そこから「龍」と「源内軒」による敵討ちがはじまる——。
「七ツ星」が田沼家の家紋「七曜」を指しているのは明らかで、こうして源内が真相を知っていることが伝われば、当然ねらわれる。源内のもとには久五郎ら謎の男が接近。むろん「黒幕」が使わせたものと思われる。旗本屋敷の図面を書かせながら、タバコと称してアヘンのような薬物を吸わせ、幻影が見えるほど酩酊させた挙句、奈落に落とされた。
黒幕の使者は真相を知りすぎた久五郎を切り殺し、源内を犯人に仕立てた。薬物で気を失っていた源内が意識を取り戻すと、自分は血がついた刀を握り、横に血を流した久五郎が死んでいた。源内は伝馬町に入獄し、そのまま獄死する。
こうして、黒幕がねらったとおりに事は進み、また番組の最後に一橋治済の姿が映し出された。饅頭をほお張り、その前で源内が書いた『死を呼ぶ手袋』が燃やされていた。
ちなみに『死を呼ぶ手袋』の1枚目、つまり、悪党の所業に「七ツ星の龍」が気づいた云々というくだりが書かれた紙だけは意次が入手し、焼却を命じた。この文言を黒幕に読まれずに済んだため、意次は消されずに済んだ、という設定なのだろう。
■一橋治済(生田斗真)の暗躍
ここまで将軍の世継ぎの家基、老中筆頭の松平武元、そして平賀源内と、3人の死がいずれも、一人の人物による政治的謀略によるものとして描かれた。実際、3人はともに安永8年(1779)に死去している。
そして、その黒幕たる人物は、8代将軍吉宗の孫の一橋治済だという話である。
たしかに、家基の死が治済を利する結果になったことは間違いない。家基の三回忌の法要が終わった安永10年(1781)2月、継嗣がいなくなった将軍家治は、だれを養子にすべきか田沼らに検討を命じ、治済の嫡男の豊千代(のちの11代将軍家斉)が選ばれた。
しかも、その後の治済の動きを見ると、かなりの策士であったと想像される。意次が幕政を主導するようになると、田沼家の血縁を家老に迎えるなど露骨に接近しておきながら、意次を重用していた将軍家治が死去し、息子の家斉が将軍になると、手のひらを返して田沼派を一掃した。
その後は、自身は将軍にならなかったものの、将軍の父として隠然たる影響力を行使。老中筆頭として改革を進めた松平定信とも対立したが、きっかけは家斉が父の治済に「大御所」の尊号を贈ろうとした際、定信が反対したことだった。その後、定信は失脚している。
■史実とミステリーを照らし合わせると…
このように史実をたどれば、一橋治済が嫡男を将軍の座に就けるために策を弄した、という蓋然性は低くないように見える。「べらぼう」の脚本家も、そこに目をつけたのだろう。
徳川治済の肖像(写真=『改訂版 一橋徳川家名品図録』、茨城県立歴史館、2011/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
しかし、結論を先にいえば、このたび「べらぼう」で描かれたミステリーは、あまりに手が込んでいるがゆえに、すなわち、点と線が見事につなげられているがゆえに、歴史ドラマの枠からはみ出してしまった感がある。
そのことを突き詰める前に、まず、上に挙げた3人の死についてわかっていることを確認しておこう。数え18歳(満16歳)で亡くなった徳川家基は幼時から文武両道で、死の直前も月に2回程度の鷹狩をこなすなど壮健だったという。それが安永3年2月21日、江戸近郊での鷹狩の最中に急に腹痛に襲われ、同行した奥医師が薬を煎じて飲ませたが治まらず、江戸城西の丸に急ぎ帰ったが、3日後に急逝した。
健康そのものだった若者の急死だから、実際、当時から毒殺説は流れたが、真相はわかっていない。ただ、代わって将軍になった家斉は晩年になっても、家基の命日に自ら墓参しており、家基のなにか(祟りか)を恐れていたフシはある。
一方、5カ月後の7月25日に死んだ松平武元は、すでに老中に就任して32年を経ており、当時は過労死をしたという見方が一般的だった。この年、2度にわたって解職を願い出て却下された挙句、体調が悪化して死去しており、不審死だとする記録は見当たらない。
■謎めいている源内の死
続いて平賀源内だが、たしかにその死は謎めいている。11月20日、みずから奉行所に出頭し、「酒の上の過ちで人を斬り殺した」と申し述べ、その日のうちに伝馬町の獄に入れられた。「人を斬り殺した」とはどういうことか。
それには諸説あるが、源内の有名な肖像画を描いた木村黙老の『聞まゝの記』には、おおむね次のように書かれている。さる武家の邸宅の修理普請の請負に関して、源内はある町人と争ったが、結果的に和議が成立し、源内宅で仲直りの酒宴が開かれた。だが、飲み明かして明け方に気づくと、源内が綿密に書き込んだ普請の計画書が見つからない。
そこで源内は町人を問い詰めたが、自分は持ち去っていないと否定され、挙句、逆上してついには刀で町人を斬ってしまった。ところが、その後、部屋を片づけると計画書が出てきたので、後悔し、自首をした——。そんな話である。
それからほぼ1カ月が経過した12月18日、獄中で死去した。当時、伝馬町の獄の環境は劣悪で、破傷風に感染したという説がある。また、後悔と自責の念から絶食して死んだという説もある。
■ネガティブなイメージが強くなりすぎる
徳川家基が死んで一橋治済が利した、ということを軸に、家基と同じ年に逝った重要人物の死を関連づけ、手の込んだミステリーに仕立てた脚本家の手腕は、たいしたものだ。
しかも、一般には政治的な陰謀とは無縁の死だと考えられてきた源内もそこにからめ、さらには、源内に新作を依頼した蔦重までも巻き込んで、「べらぼう」の物語をすみずみまで有機的に連関させた手腕には脱帽する。
実際、治済には動機はあるし、結果は治済がほくそ笑むものとなっており、見事、息子を将軍に就けてのちの自己中心的な政治行動とも乖離してはいない。また、蔦重が源内にこの時期、新作を依頼した記録はないが、その内容ゆえに焼却されて残っていない、という設定で、そうしたすみずみまで神経が行き届いている。
だが、それでも歴史ドラマの枠からはみ出してしまった感は拭えない。なぜかといえば、ミステリーが凝っていればいるほど、将軍家斉は陰謀によって将軍になった、その父の治済は稀代の悪党で策を弄し、多くの人をこの世から葬って息子を将軍に仕立て上げた、というイメージが強烈に残ってしまうからである。
そういう人物ではなかった、という証拠もない。だから、この描き方を真っ向から否定するつもりはないが、歴史上の重要人物について、史実が判明していないことについてネガティブなイメージが強烈に付着することを、私は歴史に携わる人間として危惧する、ということだ。加えれば、多くのディテールが見事に連関しているがゆえに、かえって現実感が希薄になった、という指摘もできるだろう。
第15回の内容でとどまっていれば、このミステリーへの評価は「見事」の一言で終わったのだが、第16回は少々やりすぎではなかったか。とはいえ、策士はときに策に溺れるもの。脚本家の森下佳子さんの「策」は基本的に見事で、「べらぼう」が近年の大河ドラマのなかでも傑作であることは間違いない。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)