世界的自動車メーカーなのに社員の名刺が驚きの薄さと安っぽさ…「ケチ」の逸話だらけのカリスマ経営者

2025年5月17日(土)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PaulMaguire

自動車業界を塗り替えた経営者は誰か。モータージャーナリストの鈴木ケンイチさんは「自動車メーカーのスズキはいまでこそ大企業だが、もとは小さな小さな静岡の軽自動車専業メーカーだった。成長を遂げられたのは、1978年から2015年まで『自分は中小企業のおやじ』というスタンスを通してトップを務めた経営者の手腕による」という——。

※本稿は、鈴木ケンイチ『自動車ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/PaulMaguire
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■自動車業界「スーパースター列伝」


自動車業界には、スーパースターのような偉大な経営者が数多く存在します。そもそも、先ほど説明したように、自動車メーカーの名称の多くは創業者の名前です。そして、その多くが一代で、自身の自動車メーカーを世界に名だたる存在に育て上げています。


エンジン車を発明したベンツ氏とダイムラー氏に始まり、フォード氏、クライスラー氏、ポルシェ博士、ルノー氏、シトロエン氏と、そのブランドの数だけ、奇跡のような成長の物語があると言っていいでしょう。すべてが偉大な人物です。


日本における偉大な創業者と言えば、本田宗一郎氏が該当します。ホンダのルーツは宗一郎氏が戦後に手に入れた発電機用エンジンを自転車に取り付けたところにあります。補助動力となるエンジン音が「バタバタ」ということから、この自転車は「バタバタ」と呼ばれて大成功を収めます。これが戦後間もない1946年のことでした。その後、宗一郎氏率いるホンダはオートバイメーカーとして成長し、1960年代からは4輪事業に参入。


いくつもヒット車を生み出して、ホンダを世界的な自動車メーカーに成長させました。何の後ろ盾もない裸一貫からのスタートでのサクセスストーリーです。


ちなみに、宗一郎氏は、引退後きっぱりと会社から身を引き、ホンダを同族企業にしなかったというのもユニークな点でしょう。


■トヨタ中興の祖・豊田章男の功績


そして自動車メーカーには、創業者以外にも、中興の祖と呼べる歴史に残るような偉大な人物も数多く存在しています。たとえば、ポルシェ一族のひとりである、フェルディナンド・ピエヒという人物がいます。


1990年代から2010年代にかけてフォルクスワーゲンを率いた人物です。ベントレーやランボルギーニやシュコダなど数多くのブランドを傘下に収め、停滞していたフォルクスワーゲンを世界屈指の巨大企業に育て上げました。


写真=iStock.com/jetcityimage
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現在のフォルクスワーゲンがトヨタと世界トップを争うことができるのも、ピエヒ氏の時代があったからこそと言えます。


そんなフォルクスワーゲンと戦うトヨタにも中興の祖と呼べる人物がいます。それが、つい最近までトヨタを率いた豊田章男氏です。創業家である豊田の出身として、リーマンショック後の2009年に社長に就任。


その直後に、アメリカで発生したリコール問題という難局を乗り切ります。その後は、「もっといいクルマを作ろう」を合言葉に、自動化や電動化、さらにはコロナ禍という、次から次へと襲い掛かる大波の中を走り抜けます。


■最もインパクトの強い経営者はこの人


その結果、社長就任時の2009年に約693万台だったトヨタのグローバル生産台数は、2023年に1003万台の大台達成にまで伸長しました。巨大な組織を見事に導いた偉人と言えるでしょう。



鈴木ケンイチ『自動車ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)

個人的には、1978年から2015年まで、長らくスズキのトップを務めた鈴木修氏が最もインパクトの強い経営者でした。修氏は、スズキの2代目社長の娘と結婚して、婿としてスズキの経営に参画します。


優秀な人材を娘の婿として経営陣に取り入れるのは、日本古来の商家の習慣です。スズキは、いまでこそ年間326.5万台(2023年度)もの生産台数を誇る世界ベスト10に入る大企業ですが、1970年代はそんなことはありませんでした。年間18万台(75年)程度の小さな小さな静岡の軽自動車専業メーカーだったのです。


ところが、修氏は、そんな小さなスズキを率いて、70年代に停滞していた軽自動車市場を活性化させ、スズキの経営を再浮上させます。そしてGMとの提携やハンガリーやインドへの進出など、着々とスズキを成長させてゆくのです。


■「ケチ」にまつわる逸話は枚挙にいとまがない


そんな修氏の特徴は「自分は中小企業のおやじ」というスタンスを通し、決して大物ぶらなかったところでしょう。また、コストカットを重視するあまり、「ケチ」と呼ばれることも多々ありました。


修氏の「ケチ」にまつわる逸話は枚挙にいとまがありません。実際にスズキの社員と名刺交換をすると、その名刺の薄さ、安っぽさに驚いたこともあります。それでいて、信頼を大切にする浪花節の人でもあり、愛嬌もたっぷりある方でした。


新車発表会などでの修氏のあいさつは、まるで熟練の落語家のような話しぶりで、参加者の注意をそらすことはありません。


■親近感があり、それでいて力強い経営者


また、リーマンショック後の自動車業界再編の動きの中で、2009年、スズキはフォルクスワーゲンと提携を結びますが、企業文化の違いもあったのでしょう、あっという間に2社の関係は悪化してしまい、提携を解消するしないで、国際裁判にまで発展します。


世界最大手のフォルクスワーゲンに一歩も引くことなく、修氏は、毅然と戦う姿勢を見せてくれました。親近感があり、それでいて力強い経営者だったのです。


ちょうど2000年代から自動車業界を取材してきた筆者にとって、歴史に残るレジェンドの一人といえる鈴木修氏を直接、見て、話を聞く機会を得られたのは、何よりの喜びであったと思えます。


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鈴木 ケンイチ(すずき・けんいち)
モータージャーナリスト
1966年生まれ。茨城県出身。大学卒業後に一般誌/女性誌/PR誌/書籍を制作する編集プロダクションに勤務。28歳で独立。徐々に自動車関連のフィールドへ。2003年にJAF公式戦ワンメイクレース(マツダ・ロードスター・パーティレース)に参戦。年間3、4回の海外モーターショー取材を実施、中国をはじめ、アジア各地のモーターショー取材を数多くこなしている。新車紹介から人物取材、メカニカルなレポートまで幅広く対応。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。
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(モータージャーナリスト 鈴木 ケンイチ)

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