ウクライナに日本の最新鋭戦車がもし投入されたら…
2023年5月18日(木)6時0分 JBpress
平成22(2010)年に制式化され量産が始まった「10式戦車」は、令和5(2023)年現在、約100両余が北海道、関東および九州に配備され任務についている。
2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻においては、地上戦闘の主役である戦車の動向が話題となっている。
特に、ロシア側の戦車損耗の大きさとウクライナに対する米国、英国、ドイツの戦車供与が今後の戦況推移に大きく影響するとして話題となっているこの頃である。
そこで、「10式戦車の開発と現状」と題し、2回に分けて10式戦車を徹底的に解剖してみたい。
なお、10式戦車は自衛隊では「ひとまる・しき・せんしゃ」と呼ぶ。
10式戦車開発の目的
平成14(2002)年春、新戦車の開発が本格的に開始された。
しかしながら実際は、「90式戦車」の開発終了直後から防衛庁技術研究本部(現防衛省防衛装備庁)と関連企業の間で砲・弾薬・エンジン・射撃統制装置などの主要要素の研究が着実に実施されていた。
なお、90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ)は「61式戦車」、「74式戦車」に次ぐ、第2次大戦後に開発された3世代目の戦車で、第3世代の主力戦車である。
なぜこのような経緯を経たのか?
90式戦車が制式化された平成2(1990)年頃、既に列国はいわゆる第3世代後期の戦車開発が進捗しており、これに後れを取るまいと急ぎ主要要素の研究を始めたからである。
これらの成果を踏まえ、示された技術開発要求書に基づき正式に開発がスタートした。
関連企業にとってスタート時の一番の問題点は、戦車開発を経験した技術者の少なさであった。
このようなプロジェクトを円滑に遂行して行くためには少なくとも数百人の技術者集団が必要であるといわれている。
しかし、開発の中心となった当時の三菱重工業には、90式戦車の開発経験者は主要要素研究の技術者以外十分な技術者が不在の状況であった。
無理もない。
90式戦車の開発以降十数年を経ており、この間新規の開発事業がなかったため、90式戦車開発を経験した技術者の大半は社内の民需部門へ転換配置となっていたからである。
当然、呼び戻しをするのではと思っていたが、実際は不可能であった。
十数年の年月は長い。転換配置となった技術者は配置先で欠くべからざるポストを占めており、戦車を開発する特車部門へ呼び戻すとなれば民需部門に穴があく可能性があったからだ。
幸い、豊富な人材の他部門から必要な数の技術者を特車部門に呼び寄せ「教えかつ戦う」の精神で本格的な開発に乗り出した。
ここで一つの教訓が見て取れる。
防衛装備品の開発には日進月歩する技術を取得しつつ多くの経験を経た技術者が不可欠であるが、民需と異なり開発が継続しない。
このため、技術基盤の維持が極めて難しい状況にある。
現在は企業の努力に任されているため、企業は並々ならぬ努力を重ねている。
安全保障の観点から、これらの技術を保有することも抑止力の一端であり、今後、国としていかにするかを本格的に考える時期に来ていると認識している。
どのような戦車にするべきか
技術者と間で検討議論したのが「どのような戦車にするか」であった。
技術開発要求書には多くの項目について、具体的には到達基準や数値が示されていた。
これらの個々については74式戦車・90式戦車を踏まえ具体化が比較的容易であったので大きな問題点にはならなかった。しかし大問題があった。
「90式戦車よりも軽量・小型・安価でC4I(Command Control Communication Computer Intelligence system)機能を具備し、さらに90式戦車より火力・機動力・装甲防護力が優れている」
これが問題であった。文字通り矛盾の要求であったからである。
一般的に家の建築、家電や自動車開発する時はデザイン画を描くのがスタートであるが、この場合、皆が納得するデザイン画を描くことが難しい状況であった。
さらに次のような状況もあった。
それは我が国の戦後の戦車の開発を見てみると明らかになることである。我が国の戦後の戦車開発には常に見習うべき相手(同等の能力を具備した友邦の戦車)と仮想敵戦車が存在した。
初代の61式戦車の見習うべき相手は米国の「M48」であり、仮想敵戦車はソ連の「T54/55」であった。
74式戦車のそれは、米国の「M60」と英国の「チーフテン」、そしてソ連「T62/64」であり、90式戦車の場合は米国の「M1A2」とドイツの「レオパルド2AS」およびフランス「ルクレール」、そしてロシア「T72/80」である。
いずれの開発にも参考にすべき戦車があったので、10式戦車のような問題意識がなかったと推察される。
また、次のような状況にもあった。
90式戦車は第3世代前期に属する戦車である。同世代にはドイツのレオパルド、フランスのルクレール、英国のチャレンジャー、および米国のM1が存在していた。
しかし、前述したように、独仏英および米国のそれらは改善改良が進み、押し並べて第3世代後期と称されるようになっていた。
このため、これらを見習えば(出来上がった新戦車の能力が第3世代後期のものと同等ということ)、一部メディアが書いたように膨大な予算(約500億円)を使わずとも新型戦車が開発できるとみなされかねない。
つまり、90式戦車を改善改良すれば事足りると判断が下されかねなかった。しかし、当時すでにITを始め技術革新が著しく、改善改良では他国に後れを取る危険性が強かった。
そこで、開発関係者の合言葉は新戦車開発完了時、「この程度の能力・機能の戦車なら、膨大な予算を使う事無く90式戦車を改善したもので良かったと言われない戦車にしよう!」であった。
デザイン画については事業の進展に従って考慮検討することとした。
陸上装備品初の開発方式
今回戦車開発にあたって技術研究本部が採用した方式は、陸上装備品の開発では初めての方式であった。
従来の方式はまず一つの完成試作品を作り、これを使って技術・実用試験を実施して最適値を得た後、量産設計を実施し完成品を製造していた。
しかし、10式戦車の方式はM&S(Model & Simulation)方式と呼ばれるものであった。
これは開発を5段階に分けて実施するものであった。このためこの段階を経るに従って逐次デザインをしていくこととした。
第1段階ではエンジン・砲・弾・装甲・車体などの基本要素ごとに試作し、これを試験して最適値を得る。
第2段階ではこれらを組み合わせ、例えばエンジンとミッションを組み合わせこれの最適値を取る。
そして第3段階では車体部と砲塔部のそれぞれを組み合わせ、それぞれの最適値を取る。
併せてこれらの実大モックアップ(模型)を作成し、実際の乗員を乗せて居住性や機材・パネルスイッチの操作性などについて徹底的に検証した。
例えば、乗員といっても背丈・体重などはバラバラで、また夏や冬の服装によっても居住性に大きな変化が生じないようにしなければならない。
パネルスイッチでも、例えば押しボタン方式かスナップ方式か、スナップ方式も縦スナップか横スナップかなどについて詳細な試験を実施して最適値を求めた。
装備品の開発において、初期の段階から運用者の参加を得て試験を実施したのは陸上の装備品では初めてのことである。
第4段階では、戦車を完全に組み立て、火力・機動力・装甲防護力について詳細な試験を実施して最適値を得た。
第5段階では戦車4両(1コ小隊)によるリアルタイムネットワーク中心の試験を実施し最適値を得て試験を終了した。
デザインについては概ね第2段階の終末頃開発関係者の間でイメージアップできていたと考えている。
ここに2つ目の教訓がある。
私が部隊において新装備品を受領して運用開始した時、いつもかなりの「なぜ」があった。
90式戦車を例にとると、「なぜ発射発煙弾の発射筒は、車長・砲手ハッチの後ろにあるのか」だった。
この方式だと、頭の後ろで発煙弾を発射させるため極めて危険かつ恐怖感がある。もし、これが不発射となり弾の装填されたままであればなおさらだ。
ちなみに、列国の戦車の発射発煙弾発射筒は砲塔の前部にあり、私のような心配はいらない。
これらの原因は技術者と話をしていて氷解した。
基本的に技術者は運用についての知識はほとんどない上に、運用者の意見を十分承知していないのである。
従来の開発システムでは、開発現場に運用者の声が届かなかったからである。当然のことながら説明すれば理解できる。
このため、10式戦車の開発に当って私たちが技術者に対して必要なアドバイスをしたり、現職の乗員の参加を得て試験をしたり・意見を聞いたりさらには富士学校の協力を得て戦車中隊規模の訓練を技術者が研修したことなどは極めて有益であったと考えている。
今後の装備品開発においても、こうした手法の採用が望ましい。
10式戦車の詳細
主要諸元
・全長 約9.4メートル
・全幅 約3.2メートル
・全高 約2.3メートル
・重量 約44トン
・最高速度 70キロ以上
・エンジン V型8気筒4サイクル
水冷ディーゼルエンジン1200馬力
・乗員 3人(車長・砲手・操縦手)
・主武装 120ミリ滑腔砲(国産)
・副武装 12.7ミリ重機関銃、6.62ミリ同軸機関銃
特徴
・高腔圧化120ミリ滑腔砲
・可視・赤外線カメラによる全天候戦闘機能
・高精度の走行間(スラローム)射撃
・中隊内リアルタイムネットワーク
・迅速正確な目標捕捉機能
10式戦車と従来の戦車の決定的な違いを一言でいえば、「10式戦車は車長がハッチから顔を出して戦闘してはいけない戦車」ということである。
つまり、戦闘指揮に必要な諸情報は乗員の前にあるモニターにすべて表示されるからである。
私が幹部初級課程学生時代やその後の部隊において、教官や上司が「砲塔の中に潜りっ放しになるな。戦車が停まったら、まず降りろ。戦場の状況は五感で掴め」などと厳しく指導を受けたものである。
思い出せば旧軍出身の先輩の指導は特に厳しかった。
しかし、10式戦車は戦車内にずっと潜っていないといけないのである。
千変万化する情報を得るためには情報画面・戦場画面を注視し続けなければならないからだ。
テレビゲーム世代にはぴったりのものであるとも言えよう。
やや我田引水にはなるが、陸上自衛隊創設以来約70年になる。この間、陸上自衛隊の全職種の中で職種の主要装備品を連綿と国産開発し続けているのは機甲科だけである。
61式戦車を皮切りに74式戦車・90式戦車・10式戦車および16式機動戦闘車(通称MCV、8輪式装甲戦闘車・105ミリ砲搭載:別途、別原稿にて説明いたしたい)である。
これらの流れを作っていただいた多くの先輩に感謝致したい。
10式戦車・16式機動戦闘車の開発により関連企業は極めて高度の能力を持った技術者を保有することとなった。
令和5(2023)年以降の装備品開発の状況は不透明のままである。国として必要な措置の早急な実施を切に願うものである。
ちなみに世界に数多ある国の中で純国産戦車を製造できる能力を持っているのは、日本・米国・英国・ドイツ・フランス・ロシア・イスラエルの7か国である。
おわりに
出来上がった10式戦車を見て思うのは、まず開発当初の合言葉が達成できたことである。
部隊配備以来10年余、幸い運用者から大きな問題点があるとの話はない。自画自賛ではあるが、世界のトップを走る第4世代ともいうべき戦車になったと考えている。
欧米がウクライナに供与した最新戦車に一つも引けを取らない、ITとネットワークを駆使した最先端の戦車である。
日本の戦車が外国で使われることはあり得ないが、もしウクライナに供与されたとしたら、ロシア軍にとっては非常な脅威になると思われる。
もし機会があれば、読者の方々も10式戦車の勇姿を御確認いただきたいと思う。
筆者:赤谷 信之