「べらぼう」は傑作となることが確定した…遊郭で遊ぶ男性のどぎつい「下ネタ」をNHK大河が堂々と流した意味
2025年5月18日(日)7時15分 プレジデント社
NHK放送センター(写真=Kakidai/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
NHK放送センター(写真=Kakidai/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
■NHK大河に流れた異例のテロップ
日曜夜8時から放送されるNHK大河ドラマとしては異例の、「番組の一部に性に関する表現があります」というテロップが、番組冒頭で表示された。「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の第18回「歌麿よ、見徳は一炊夢」(5月11日放送)。実際、「性に関する表現」は「番組の一部」どころか、全体にまぶされていた。
まず、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が、かつての唐丸でいまは捨吉と呼ばれている喜多川歌麿(染谷将太)を訪ねると、尼の姿の「馴染み」(岩井志麻子)が現れた。捨吉は男娼なのだ。しかし、蔦重は帰りがけ、男に「あんた、捨吉の昔の色かい?」と尋ねられた。男は「あいつはどっちも客とるからよ」という。つまり、捨吉は男女ともに相手にする男娼というわけだ。
蔦重が耕書堂に戻ると、今度は駿河屋の女将ふじ(飯島直子)が「まあさんの筆が止まっちまったんだってさ」という。まあさんとは、蔦重が吉原に連泊させ青本を書かせている朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)(尾美としのり)のこと。蔦重は本が書けなくなったのかと思うが、義兄の治郎兵衛(中村蒼)が「そっちの筆じゃないよ。腎虚(じんきょ)になっちまったんだよ」と説明した。腎虚とは、要は、性行為のしすぎによるED(勃起障害)である。
続いて、蔦重が松葉屋の女将いね(水野美紀)に尋ねた言葉で、なぜこうした性描写が織り込まれたのかがわかった。
■喜多川歌麿の秘密の過去
蔦重が「色ってほんと疲れるもんですよね、男にしろ女にしろ」というと、いねは「そりゃそうさ。だから男は腎虚になるし、女は早死にする」と返した。蔦重が「体を売る暮らしが好きだった人はいますかね」と聞き返すと、いねは「たまにいるのは、罰を受けたい子だね」と返答し、続けた。
自分のせいで恋人や親が死んだ、という子のなかには、「自分はひどい目に遭って当然だからこの稼業も好きだ、ありがたい、って言いだすのもいたよ。自分なんて早く死んじまえばいいんだって、いってたね」とのことだった。蔦重のなかで、いねの説明が男娼に甘んじている捨吉と重なったのだ。
だが、捨吉の境遇がわかる前に、戯作者の朋誠堂喜三二の場面がはさまれた。松葉屋の花魁、松の井(久保田紗友)と床にいて夢を見るのだが、「好色の気」によって生み出された大蛇が暴れた挙句、最後はいねが刀で大蛇の頭を切り落とす、という内容なのだ。大蛇が喜三二の「筆」にたとえられているのはいうまでもない。
その後、蔦重が捨吉を訪ねると、「荒いのが好きな客がいて」(捨吉)気を失っていた。その後、捨吉のこれまでが明らかになったが、やはり捨吉は、いねが語ったように「罰を受けたい子」だった。
■「息子さん、近ごろ、お加減は?」
捨吉の母親は夜鷹、つまり地面にむしろを敷いて商売した街娼で、捨吉も7歳から客をとらされていた。小児性愛の客の相手をさせられたということだろう。その後、大火の際に母親の道連れにされそうになって逃げ、続いて、母親のヒモだった男に見つかり、川に突き落として死なせてしまっていた。
江戸時代の書籍に描かれた夜鷹の姿。恋川春町二世作 ほか『忠臣再講釈 6巻』、山口屋藤兵衛、天保3[1832].国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年5月15日)
そのことに罪の意識をいだいた捨吉は、自分は「さっさとこの世から消えちまったほうがいいんだ」と思っていた。「罰を受けたい子」だから、いまなお男娼を続けていたのだ。
その後も「性に関する表現」は続いた。
吉原で連泊を続けながら執筆している喜三二が書き上げた『見徳一炊夢』を読んだ蔦重は、「どうやったらこんな、ふざけた話を思いつくんです?」と聞いた。喜三二は「まあ、ひと言でいやあ息子のお陰かねえ」と、自分の股間のほうに目を向けていった。蔦重が「息子さん、近ごろ、お加減は?」と聞き返すと、「それがよ、近ごろめっきりやんちゃになっちまって、とんだ放蕩息子だぜ!」。
さらには、将軍徳川家治(眞島秀和)までが、田沼意次(渡辺謙)の前であくびをし、「お鶴と夜更かしをしてしまってな」と語った。田沼は「お励みのこと、なによりにございます」と返すのだった。
■「性に関する表現」の意味
実際、最初から最後まで「性に関する表現」のオンパレードで、「これまでの大河にない攻めた表現」だとして、話題を呼んでいる。しかし、吉原という遊廓、すなわち女性が男性に性的なサービスを提供する場所を舞台にしたドラマである以上、避けて通れない表現、いや、避けてはいけない表現なのではないだろうか。
そう考える理由を説明するためにも、今回の「性に関する表現」の意味について、確認しておきたい。
まず、朋誠堂喜三二が「腎虚」になったという話だが、喜三二は「居続け」、つまり妓楼(女郎屋)に連泊し、連日性行為に励んだ結果、EDになってしまったということだ。性行為は男性にとっては、楽しみの一種だっただろうが、女郎の側に立てば、日々きわめて過酷な生活を強いられているということだった。
親の借金の担保として、まだ子供のころに妓楼に売られ、17歳から27歳の10年間は、客に身請けでもされないかぎり、連日、不特定の男性相手に性行為をしなければならなかったのだ。だから、いみじくもドラマでいねが、「女は早死にする、地獄商いっていわれんじゃないか」と語った状況が、吉原にはあった。
■そば一杯分の値段で身体を売る
往年の歴史学者、西山松之助の著書『くるわ』には、投げ込み寺として知られた浄閑寺に遺体が運ばれた女郎の享年は、過去帳の記録から平均22.7歳だった、記されている。生き延びた女郎もいたにせよ、女性が命を賭して、性的サービスに励まなければならない場が吉原だったのはまちがいない。
国貞『新よし原尾州樓かり』(蔦屋吉蔵)国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年5月15日)
無難な表現に徹し、吉原の華やかな面にだけ焦点を当てるのでは、吉原を描いたことにも、蔦重の時代を描いたことにもならない。喜三二の「筆」や「息子」「腎虚」、そして大蛇の首が斬り落とされる夢は、吉原の女性たちの過酷な現実を、男性をとおして映し出す絶妙な描き方だったと思う。
江戸でただひとつ公認された遊郭が吉原だったが、現実には、非公認の女郎街「岡場所」が、江戸だけで何十カ所もあり、多くの私娼が働いていた。それだけではない。岡場所で働くことができず、路上に立つ女性もいた。そんななかでも最下層の街娼が、捨吉の母親がやっていた「夜鷹」だった。
岡場所では通用しなくなった女性が務めることが多く、路上に立ち、客をつかまえると物陰にむしろを敷いて性行為をした夜鷹は、揚げ代が16文から24文と、そば一杯分の価格だった。吉原の大見世の花魁と遊ぶ200分の1、300分の1という金額で遊ぶことができた。
■「売春する美少年」の大流行
一方、それは下層社会の象徴であった。野外で商売する夜鷹には、用心棒がついていることが多かったが、それはたいてい夫だったという。そば一杯分の値段を夫婦で稼ぎ、それも妻が体を売って稼ぐ。また、妊娠すれば働けなくなるので、妊娠した夜鷹は冷たい川に浸かるなどして、強引に流産しようとしたという。
だが、それでも子供が生まれてしまった場合、子供がひどいあつかいを受けたことは想像に難くない。すでに吉原が十分に過酷でいびつな世界だが、その何倍も過酷でいびつな世界があったことが、捨吉をとおして描かれたのである。
捨吉はこの時代に盛んだったほかの面も象徴していた。「陰間」である。「陰間」とは売春する美少年のことで、18世紀以降、江戸でも陰間茶屋が大いに流行し、蔦重の時代に全盛期を迎えたといわれる。
意外なことに、日本では古来、男色がモラルに反するという認識があまりなかった。色道を探求するなら、女色だけでなく男色も、という考えがあり、たとえば、多くの戦国大名も男色を楽しんだ。江戸の男性も躊躇なく男色に耽るケースが少なくなかった。
■歴史ドラマの描写として真っ当
このため、江戸だけでも何百人という陰間がいたという。ただ、男らしい肉体になると需要が減るため、12歳、13歳という少年のころから客をとった。客は男性とはかぎらず、未亡人や尼を相手にすることもあったという。
若い歌舞伎役者が陰間になることが多かったのを除けば、陰間は江戸の下層社会の実相を表している。
しかも、「べらぼう」の第18回では、朋誠堂喜三二の「腎虚」騒動を軸に、さらなる下層社会の夜鷹や陰間に話をつなげ、さらに将軍も同じ欲求をいだく同じ人間であることも想起させた。考え抜かれた脚本だと感心させられる。
これまでのNHK大河ドラマも、時代の社会の実相が描かれないわけではなかった。しかし、一昨年の「どうする家康」にせよ、昨年の「光る君へ」にせよ、権力者とその周辺が舞台なので、庶民の社会を深掘りするには限界があった。一方、「べらぼう」は主人公が町人で、舞台は吉原。「性に関する表現」を避ければ、吉原の実態も、その周辺を含めた社会の実相も、蔦重の仕事も、表面をなぞるだけで終わってしまうだろう。
日曜のゴールデンタイムに「みなさまのNHK」が「性に関する表現」を放送すれば、波紋を生むのかもしれないが、歴史ドラマの描写として真っ当であり、NHKがこれを許したことには価値があると強調しておきたい。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)