"下心"は間違いなくスープに出る…つけ麺考案者の大家が愛弟子に「邪念を持ってスープを作るな」と諭したワケ

2025年5月29日(木)10時15分 プレジデント社

プレスリリースより

ひとつの道を極めた人の言葉はシンプルで強い。東池袋「大勝軒」創業者で、つけ麺の考案者である故・山岸一雄さんは弟子入りした田内川真介さんに数々の金言を残した。フリーランスライターで町中華探検隊初代所長の北尾トロさんが今春上梓した田内川さんとの対談本の中から、山岸さんの珠玉の言葉を紹介しよう——。
プレスリリースより

■つけ麺を発明した山岸一雄さんが残した刺さる言葉


生活や仕事で役に立つアドバイスを送られることを「金言を授かる」などと言う。過去に誰かに言われた言葉を「あれは金言だった」と振り返ることもあって、どちらも自分に多大な影響を与え、いい方向に導いてくれたことへの感謝の意が込められている。読者諸氏にもそうした心に刺さった言葉があるだろう。


私はこの春、東池袋「大勝軒」の創業者で“ラーメンの神様”とも呼ばれる業界のレジェンド、故・山岸一雄さん(1934年-2015年)について愛弟子の田内川真介さん(48歳)と対談形式の本を出した(『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』文藝春秋)。その中には、現在「お茶の水、大勝軒」店主となった田内川さんが師匠・山岸さんから修行時代などにかけてもらった数々の金言が登場する。


「言葉って、誰が言うかによって受け取り方が変わってくるじゃないですか。ふつうの言葉なんだけど、修業仲間や友人に言われるのと、尊敬する師匠に言われるのとでは説得力が違い、素直に聞くことができました。僕にとって、ラーメン屋をやっていくための土台となる言葉ですね。宝物のように大切にしています」(田内川さん)


田内川さんを唸らせた“ラーメンの神様”の言葉とはどんなものか、いくつか紹介しよう。


撮影=堀隆弘
田内川さん - 撮影=堀隆弘
●「真介、おまえだけは味を変えるなよ」

弟子が修業を終え、いよいよ独立というときに、たった一度だけ師匠が発した言葉。他の弟子にはのれん分けする際に「好きにやっていいよ」と言うのに、どうして自分だけ味を変えてはいけないのか、意味がわからなかったそうだ。


それでも、のちに自分を「味の後継者」に選んでくれたと察した田内川さんは、山岸さんの真意をラーメン職人としての使命だと感じ、師匠亡き後もその存在を常に意識するようになっていく。「味を守れ」「おまえならできる」と、いわばドラフト1位指名された喜びが大きなやりがいをもたらし、その後の苦境を乗り切る力を弟子に与えたのだ。


●「ボリュームも味のうち」

お客さんを腹いっぱいにし、笑顔で帰らせたい。そのためにはカッコつけずに大盛りにして満足してもらうのが山岸流だった。見た目のインパクトや十分に食べたという満足感も味のうちだとする考え方は、戦後の貧しい時代を知っている師匠が飲食店をやっていく上での譲れないものだった。味を変えないからには、「洗練を目指すな、武骨であれ」というメッセージにも忠実であらねばならない。そのおかげか、「お茶の水、大勝軒」は流行を追わず、ブレない味を提供できている。


■「間違いなく下心はスープに出ます」


●「ほかの知識が入ると考え方が濁る」

独立前に他店でもう少し修行しようとしていた弟子を師匠が諫めた言葉。両方のいいところ取りすれば、メニューの幅も広がるという考えを「浅はか」と断じ、中途半端な人間がそのまま他店に行ったらもっと中途半端になるだけだと止めたのだ。「人生に無駄なことはない」と新しいことへの挑戦が推奨されることもあるが、それが生きるのは一定の方針が決まっている人だけだろう。


●「教えたことを、まずは3年続けなさい」

山岸さん(プレスリリースより)

「石の上にも3年」という格言があるように、ベースとなるものがぐらついているときに、自信のなさをごまかそうとして動き回っても失敗しがち。腕の未熟さを食材のせいにしてもいい結果にはつながらない。師匠の言葉はこの後、以下のように続く。「材料も、足したり引いたり余計なことをしないほうがいい。変えるのはそれからでもできる。字でも、楷書をきっちりやると行書もできるんだよ」


ベースが身についていれば応用ができ、職人として強くなれる。つぎつぎにオリジナルメニューを開発し“自分の味”を世に問う店は一見するとがんばっているように見えるが、そうとはかぎらないと田内川さんは言う。ベースとなる味がおいしくて繁盛しているなら、わざわざ変える必要がないからだ。「安易に環境を変えたり最新のテクノロジーを導入したりするより、まずは実力をつけるのが先だと思います」


●「ラーメンの味は豚ガラ、鶏ガラ、人柄で決まる」

味について同じような実力でも、繁盛する店・しない店がある。店の評価は味だけではなく、居心地なども含まれるからだが、最後にモノを言うのは店主の人柄。その店で食べることが楽しければ客はリピートしてくれるのだ。オリジナルではなく、ラーメン業界の格言だが、山岸さんは「ラーメンは作り手の心が味になる」ともよく言っていた。これは、いくら真似をしても自分と同じ味にはならないという意味ではない。レシピはあくまで基本形にすぎないと考え、そこからは「自分の努力で伸びていけ」という弟子へのメッセージなのだ。


●「邪念を持ってスープを作っちゃいけないよ。これで一発当ててベンツに乗ってやろうとかはだめだよ」


北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)

手を抜くな、という教えだが、言い方が実にうまい。ここでの邪念とは効率よく儲けようとすること。山岸さんの作るスープは材料を惜しまず使うので原価率が高かった。材料を少し落とせば利益率が上がる。だが、客を甘く見るとしっぺ返しを食らう。常連客はこちらが考える以上に店の味をわかっていて、手抜きを見抜いてしまうのだ。いわゆるコスパやタイパを重視し過ぎると大切なものを見失うよ、という警鐘でもある。


この類語に「スープでも製麺でも精神的に落ち着いた状態でやりなさい」がある。当初、意味がわからなかった田内川さんは最近やっと理解できるようになったそうだ。


「間違いなく下心はスープに出ます。味が薄いと感じたとき、手っ取り早く取り繕うために鶏ガラをぶち込んだりすれば濃くはなる。でも、魚介の出汁とのバランスが崩れてしまう。(この場合も)舌の肥えたお客さんに見抜かれて、築き上げてきたものが一瞬にして台無しになってしまうんです」


■金言は与えるものではなく、受け取る側が熟成させるもの


●「本当の悲しみを乗り越えないと本物の味は出てこない」

これも人間力に関する言葉である。人生は山あり谷あり。いいときばかりではないけれど、すべてを受け入れてごまかさず、全力で生きろと師匠は伝えたかったのだろう。同時に、田内川さんに対して「自分がいなくなったら、答えは自分で見つけていかなくてはならないんだよ」と諭すためにあえて放った言霊のようなものだったと推測される。


●「マジメに生きている人間は強い」

ふざけて生きている人間は、どんなときにもそれが出てしまい、相手に付け込まれる。マジメに生きている人にはそれがない。泥臭いかもしれないが、一生懸命やっている人には威厳があるのだと山岸さんは思っていた。


年若い田内川さんにとっては、当初ベタすぎる言葉と感じることもあったが、年齢を重ねていくにつれ、マジメに生きている人にはいいことが増えてくると思い知ることになった。人から信頼され、苦しいときに手を差し伸べてくれる人が現れるのだ。説教臭い言葉であっても、問題は誰が言うかなのである。マジメで強い人が真剣に言うから心を開いて話を聞くわけで、そうでないなら「あなたに言われたくない」と聞き流されること請け合いだろう。


撮影=堀隆弘
もりそば - 撮影=堀隆弘


これらの言葉を田内川さんはいい意味で真に受けて、迷ったときや厳しい局面での道しるべとしてきた。言われたときには意味がわからなかったことが、時間の経過とともに心に根づき、大切なものになっていく。師匠の言葉は「いいことを言ってやろう」として口にしたものではなく会話の中でこぼれ出たものだ。


その言葉が、心の中に留まる金言になったのは、それを胸に刻んで実践してきた弟子がいたからでもある。最初に聞いたときは意味がわからなかったり、技術的なアドバイスだと思ったりしたものが、経営者となり、最前線で客と接するようになることで、言葉の深い意味を肌で感じられるようになってくる。そもそも、師匠は言葉一つで劇的に弟子の人生を変えてやろうなんて思っていないはず。それどころか「そんなこと言ったかな」ぐらいの軽い気持ちで口にしがちだ。


つまり、金言とは与えるものではなく、受け取る側が時間をかけて熟成させていくものなのだと私は思う。その優れた点は効力に終わりがないことである。「おまえだけは味を変えるなよ」をはじめとする言葉の数々は、田内川さんがラーメン職人である限り生き続け、くじけそうな気持ちを励ましてきた。そして今後、自分が師匠の立場になったとき、後輩にかける言葉の中に山岸さんからもらった言葉のエッセンスが凝縮され、さらに受け継がれていくのだろう。


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北尾 トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家
主な著書に『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』『裁判長! おもいっきり悩んでもいいすか』などの「裁判長!」シリーズ(文春文庫)、『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか』(プレジデント社)、『町中華探検隊がゆく!』(共著・交通新聞社)など。最新刊は『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)。
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(ノンフィクション作家 北尾 トロ)

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