数学史に残る快挙を成し遂げた男は忽然と姿を消した…「決して近づいてはいけない難問」を解いた数学者の現在

2024年12月6日(金)16時15分 プレジデント社

アンリ・ポアンカレ(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

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宇宙はいったいどんな形をしているのか。その答えは、世界中の数学者を悩ませ続けた超難問が導いてくれる。NHKの知的エンターテインメント番組「笑わない数学」の放送内容を再構成した書籍より、「ポアンカレ予想」についての箇所を紹介する——。(第2回)

※本稿は、NHK「笑わない数学」制作班編『笑わない数学2』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。


■米研究所が出した「これが解けたら100万ドル」の問題とは


西暦2000年。アメリカのクレイ数学研究所が「7つの問題」を発表しました。これらは、数学の各分野において重要でありながら、未解決だった問題です。次の100年間で数学者たちが取り組むべき問題として、そして、歴史的にも重要な意味をもつと思われる問題として、選定されました。


クレイ研究所は、これらの問題の解決に1問につき100万ドルの懸賞金を賭け、「ミレニアム懸賞問題」と名付けました。以下が、その問題です。


ミレニアム懸賞問題
1.バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想(BSD予想)
2.ホッジ予想
3.ナヴィエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ
4.P対NP問題
5.リーマン予想
6.ヤン・ミルズ方程式と質量ギャップ問題

それぞれの問題の解説は、残念ながらここではできません。しかし、先述のとおり、いずれも各分野において非常に重要な問題であり、それでいて未解決の問題たちです。もしどれか1つでも解けたら、あなたには100万ドルの賞金と、歴史に残る栄誉が与えられます。


ところで、先ほど「7つの問題」と書きました。しかし上には6つしかありません。残りの1つはどこへ行ったのでしょう?


実は、7つ目の問題は、すでに解決されています。


1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提起され、およそ100年後の2003年にロシアの数学者グリゴリ・ペレリマンによって解決された、文字どおりの「世紀の難問」。それが、ミレニアム懸賞問題の中で唯一解かれた問題、「ポアンカレ予想」です。


アンリ・ポアンカレ(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

■宇宙はいったいどんな形をしているのか


早速、ポアンカレ予想を紹介しましょう。ポアンカレ予想は、数学の言葉で書くと、次のようになります。


ポアンカレ予想
単連結な3次元閉多様体は、3次元球面と同相だろう

よほど数学に詳しくない限り、これだけでは何を言っているのか、まったくわかりませんね。


まずは喩(たとえ)話で説明しましょう。すごく簡単に言うと、この予想は、次の問題を提起しているのです。


問題
宇宙の形が、ざっくり丸いかどうかを確かめるには、どうすればよいか?

宇宙の形。私たちはなんとなく「丸そう」と感じてしまいますが、果たしてそれを確かめることはできるでしょうか?


もし仮に、宇宙を外から眺めることができれば、宇宙の形は一目で明らかになります。しかし残念ながら、私たちは宇宙の外に出ることができません。そうすると、私たちには宇宙の形が永遠にわからないのでしょうか?


この懸念に対し、ポアンカレは「宇宙の外に出なくても、宇宙がざっくり丸いか丸くないか、確かめることができるはずだ」と考えたのです。


写真=iStock.com/denisik11
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/denisik11

■ほんとうに地球は丸いと言えるのか


いったいどんな方法を使えば、そんなことができるのでしょうか?


いきなり宇宙のことを考えるのは難しいので、もう少し簡単なところから始めましょう。


私たちは地球の表面で生活しています。では地球が丸いのか丸くないのか、地球の表面から離れて地球の外に出ることなく、知る方法はあるでしょうか?


すぐに思いつくのは、「地球を一周してみる」という方法です。


ひとつの方角、例えば「西」と決めて、船でひたすらその方角へ進み続けるのです。そして出発地点に戻って来られたら、地球は丸いと考えられるでしょう。


約500年前、同じようなことを考え、実際に地球を一周した人たちがいます。フェルディナンド・マゼラン一行です。1519年、彼らはスペインを出発し、大西洋を西へ西へと進み続けました。南米大陸を迂回し、太平洋を横断し、スペイン出発から3年後、ついに出発地点に帰ってきました。彼らはこうして、地球が丸いことを実証したのです!


■マゼランの実証でOKとはならない


マゼランは地球が丸いことを実証した……本当でしょうか?


マゼランの業績は、間違いなく偉大です。彼らは人類史上初めて地球を一周し、多くの地理的発見を残しています。


ところが、ポアンカレは「マゼランの方法では地球が丸いことの証明にならない!」と考えたのです。


いったい、どういうことでしょう?


地球がもし丸いなら、マゼランたちの方法で地球を一周することができるでしょう。


しかし、例えば地球がドーナツ形だったとしても、マゼランたちは地球を一周できますよね?


では、どうすれば、地球の外に出ることなく、地球が丸いことを証明できるでしょうか?


ポアンカレは、こんな方法があると考えました。


まず、ものすごーく長ーいロープを用意します。そうですね、ざっと6〜10万kmくらいあれば足りるでしょうか。


この一端をどこかにしっかりと結び付けます。そしてもう一端を持って船に乗り込み、マゼランたちのように世界一周の旅に出かけるのです。


一周して戻ってきたら、持って帰ったロープの端と、結び付けていたロープの端を手に持ちます。そして、それを力いっぱい引っ張ってください。すると何が起こるでしょう?


想像してみてください。あなたは今、地球をぐるりと一周する大きな輪を持っています。それを何日も、何年も、とにかく頑張って引っ張り続けるのです。


笑わない数学2』より

■もし地球がドーナツ形なら


するとロープは、その航路がどんなに複雑なものだったとしても、地球が丸いなら、いつかあなたの手元にすべて戻ってくるはずですね(山やビルには引っかからないものとします)。


一方、地球がドーナツ形だと、航路によってはロープを回収できない場合があります。例えば、こんな風に一周した場合(図表2)。この場合、ロープを回収しようとしても、ロープが途中の穴を越えられず、回収できません(ロープは地球の表面を滑るようにしか移動できないと考えてください)。


笑わない数学2』より

もしくは、こんな風に一周して元に戻ってきた場合(図表3)はどうでしょうか? この場合もやはり、ロープは回収できませんね。


笑わない数学2』より

このように、地球が球のような丸い形でなかった場合、ロープは必ず回収できるとは限りません。したがって、もしどんな航路でも常にロープが回収できるならば……お見事、地球は丸いと言えるのです


ちなみに、歴史的には、地球が丸いことは月食によって証明されたと言われています。月食は月に地球の影が落ちる現象ですが、影の形が常に円であることから、地球が丸いとわかります(影が常に円になる図形は球しかないので)。


■つまりポアンカレ予想とは


さてここまで、地球の表面という2次元の世界で考えてきました。ここからは3次元の宇宙に話を戻しましょう。


宇宙の形がざっくり丸いのか、丸くないのか、どうすれば確かめられるでしょうか?


ポアンカレは、宇宙でも同じように、地球にロープの一端を結び付け、もう一端を持って宇宙を飛び回ります。そして地球に戻ってきた後、ロープを一生懸命、回収します。これが常に回収できるならば、宇宙は丸いと結論できるはずだ! ……と考えたのです。


この考えは正しいでしょうか?


え? 「丸ければ回収できるのは当たり前だ」ですって? それはそのとおりです。しかしいま問題にしているのはその逆。「常に回収できるなら、丸い」が正しいかどうかです。


つまり、次のことが気になるのです。


「ロープを常に回収できるにもかかわらず、丸くない形」は存在するか?

ポアンカレは、そんな形は存在しないだろうと予想しました。それを数学的に書き直したものが、ポアンカレ予想なのです。


■「決して近づいてはいけない難問」


ポアンカレがポアンカレ予想を提起したのは1904年のことでした。しかし、ポアンカレ自身は自分の予想が正しいか否か証明できないまま、この世を去りました。


ポアンカレのあとに続いた数学者たちにとっても、ポアンカレ予想は、人生をかけても解けない超難問として立ちはだかることになりました。


実はポアンカレは、ポアンカレ予想を示した論文の最後に、こんな予言を遺しています。


「この問題は我々をはるか遠くの世界へと連れて行くことになるだろう。」


ポアンカレ予想には、たくさんの数学者が魅了されていきました。しかし、その多くが人生を翻弄されていったといいます。


ポアンカレ予想の証明に長年悩み続けてきた数学者の一人、ジョン・ストーリングス博士は、後世の数学者への警告ともいえる論文を書きました。


タイトルは『どうすればポアンカレ予想の証明に失敗するか』。


「間違っているのは明らかなのに証明の中の欠陥に気づかない。原因は自信過剰や興奮状態あるいは過ちを犯すことへの恐怖で正常な思考が邪魔されることである。こうした落とし穴に陥らない方法を若い数学者が見つけてくれることを祈る。」


こうしてポアンカレ予想は、「決して近づいてはいけない難問」とも呼ばれるようになっていきました。


そんなポアンカレ予想に一矢報いる人物が現れました。「マジシャン」の異名をもつアメリカ人数学者ウィリアム・サーストン博士です。


彼が採用したのは、それまでとはまったく別のアプローチでした。


■突如現れた無名のロシアの数学者


ポアンカレ予想の誕生から80年近くが経った1982年、サーストン博士は予想の解決につながることになる、一つの重要なアイデアを発表します。


それはいわば、宇宙がどんな形だったとしても、「最大8種類の形の組み合わせでできているはずだ」という予想でした。


サーストンのアイデア(幾何化予想)
どんな3次元閉多様体も、8種類のいずれかの幾何構造をもつ部分に分解できるだろう。

実は、この予想が正しければ、ポアンカレ予想もまた正しいことになるのですが、その説明はとーっても難しいので、割愛させていただきます。


兎(と)にも角(かく)にも、世界の数学者たちは、サーストンのアイデアが正しいことを証明しようと動き出すことになりました。


「宇宙がどんな形だったとしても、最大8種類の形でできているはずだ」というサーストンの予想。残念ながら、これを証明できる数学者はなかなか現れませんでした。


しかし、ある日突然、ひとつの証明が誰もがまったく予想しなかった形で登場することになります。


その証明を書いたのは、ポアンカレ予想やサーストン博士の予想を研究する分野ではまったく無名のロシアの数学者グリゴリ・ペレリマンでした。しかも彼の証明方法は、参加していた数学者たちにとって、まったく見たことのないものでした。エネルギーやエントロピーといった物理学の考え方まで用いられていたのです。


■証明した後の不可解な行動


ペレリマンの証明はその後、世界中の数学者によって検証され、2006年、証明の正しさが認められることとなったのです。


グリゴリ・ペレリマン(写真=George Bergman/GFDL-1.2/Wikimedia Commons

ところが、この証明はその後さらに数奇な物語をたどることになります。


世紀の難問を解決し、ペレリマンは世界中の称賛を一身に浴びることになりました。そして、数学界のノーベル賞と呼ばれる「フィールズ賞」を受賞することになったのです。


しかし、その授賞式で司会者の口から出たのは、思いもよらぬ言葉でした。


「残念ながらペレリマン博士は受賞を拒否しました」


さらにペレリマンは、クレイ数学研究所が指定したミレニアム懸賞問題の100万ドルの懸賞金の受け取りも拒否してしまったのです。



NHK「笑わない数学」制作班編『笑わない数学2』(KADOKAWA)

それだけではありません。かつては明るく社交的だったという彼ですが、証明を終えた後は、親しい友人とも連絡を絶ち、数学界から姿を消してしまいました。


「この問題は我々をはるか遠くの世界へと連れて行くことになるだろう」


かつてポアンカレが遺したこの言葉を、多くの人々が噛みしめることになりました。


ペレリマンはその後も、大学や研究所には戻らず、論文を1つも発表することなく、ひっそり息をひそめるように暮らしていると伝えられています。


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NHK「笑わない数学」制作班
パンサー尾形貴弘が難解な数学の世界を大真面目に解説する異色の知的エンターテインメント番組。レギュラー番組としてNHK総合テレビで、シーズン1が2022年7月から9月まで、シーズン2が2023年10月から12月まで放送された。シーズン1はギャラクシー賞テレビ部門の2022年9月度月間賞に選ばれた。過去の番組はNHKオンデマンドやDVDで確認することができる。
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(NHK「笑わない数学」制作班)

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