夫がよそで作った子どもを引き取り、育て上げた90歳女性。ひ孫にも会えた今、当時の決断を振り返る
2025年1月2日(木)12時30分 婦人公論.jp
(イラスト:北原明日香)
人生100年時代と言われ、人が経験したことのない未来が待つ中、戦後の日本を生き抜いてきた90代の方が見ている景色とは。そこには、激動の時代を過ごしたからこその喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが詰まっています。九十有余年の人生から、今を生きる私たちが、明日を明るく迎えるヒントが見つかるかもしれません。池畑栄さん(滋賀県・90歳)は、見合い結婚した相手と靴屋を始め、必死に働く日々を送っていました。ようやく商売が軌道に乗り、子ども2人と順風満帆な生活を送っていた矢先、夫がよそに別宅を持っていることが判明。相手の女性との間に子どもが産まれたと知った後も、今の生活を守るため、なにも話さないまま過ごしていましたが——(イラスト:北原明日香)
* * * * * * *
<前編よりつづく>
仲良くするからうちの子にして
それは子どもたちが夏休みに入った、ある暑い日の午後のことだった。夫が突然、2歳くらいの坊やを片腕に抱いて、帰宅したのである。開口一番、
「おい、誰の子かわかるか」
と言う。私はとうとう来るべき時が来た、と思った。夫は痩せ細った坊やを私に渡すと、「この子の親とは別れた。この子を頼む」と口にするだけで、ほかになにも言わない。坊やは私の腕のなかで泣いていたが、泣き疲れたのか気づくと寝てしまった。
娘たちに、なんと説明したらよいのだろうと考えると、心は千々に乱れた。
「この子のお母さんは病気で亡くなって、お父さんはどこかで行方不明になってしまった。だから今日からあなたたちの弟として一緒に暮らそうと思うけれど、あなたたちはどうかしら」
そんなことを話すと、娘たちは目にいっぱい涙をため、「こんなに小さくてかわいい子を孤児院に預けるなんてできない」「弟として仲良くするから、うちの子にして」と言ってくれた。それを聞き、私の心は決まった。
子どもに、なにひとつ罪はないのだ。坊やは「大きいおねえちゃん、小さいおねえちゃん」とすぐに娘たちに懐いた。
時折持ち上がる嫉妬が心を揺さぶることはあったが、3人が枕を並べて眠る姿を見ていると、女である前に私は子どもの親なのだ、と自分を戒めずにはいられなかった。
こんなにかわいいさかりのわが子を、他人に託した女性の気持ちを思ったりもしたが、のちに、彼女はほかの男性と結婚するため、夫に子どもを託したのだと知った。というのも息子と正式に縁組をする際、私はたった一度、彼女と会ったのである。
その後、私たちは20年以上暮らした土地を離れた。新しい土地は馴染むまでに苦労するものだが、移った先でも靴店を営み、多くのお客様や友人に支えてもらった。
***
時は流れ、私はいま90歳になった。娘たちも還暦をとうに過ぎ、それぞれが子どもと孫に囲まれている。息子は優しく、立派な男性に育った。夫が75歳で他界したあと、私が83歳になって肩を痛めるまで、一緒に店を切り盛りしてくれた。
息子は戸籍を取り寄せたときにはじめて、自分と私の間に血縁がないことを知ったという。ただそのことはきょうだい同士で話しただけで、私にはいまだなにも言わない。
むしろ自分は私の連れ子で、父親が違うとばかり思っていた、と娘に話したらしく、それを聞いたときは不思議と安堵した。
店は畳んだが、孫やひ孫に囲まれ、いまが一番幸せな時間のように感じる。この日々に感謝していると、あの頃の悲しみがまるで嘘のようである。
そして、いま——
池畑さんに、いまのお気持ちを伺いました
『婦人公論』は、まだ小さい判型だった頃から読み続けてきた雑誌です。自分の文章が載るなんて嘘みたい。こうしてお電話をいただき、嬉しく思いました。
短歌などは好きでつくり続けてきたけれど、このような長文を書いたり、自分のこれまでを綴ったりしたことはなかったですね。それに原稿を郵便ポストに入れたら安心して、投稿したことをすっかり忘れていました(笑)。
ただ応募したのは、自分の人生が終盤に近づくなか、「こういう生き方もあるんだよ」ということを書き残してみたい気持ちになったからだと思います。長い人生には、ほかにもいろいろなことがありました。とてもここには書ききれません。
夫が亡くなってからも店は続けましたが、段差で躓いて肩を打ったのを機に、閉めることにしました。それから7年ほど経つのに、これまでのお客様をはじめ、いろいろな人がひとり暮らしの私を訪ねてくださり、お弁当やら野菜やらお裾分けしてくださいます。
今年に入って脳梗塞を起こしたのですが、もうすっかり快復し、歩けるようにもなりました。周囲のお友達に支えられて、いまの私がいます。本当に感謝しかありません。
お店をやっていた頃は忙しくて大変なことばかりでしたけど、最後までずっと楽しかった。たくさんの方とお話しできましたからね。新しい土地で知らない人ばかりでも、知らないことがたくさんあっても、だから面白い、といつも思ってきました。そういう意味で、店は学びの場だったと思っています。
それに、いいお客様がいいお客様をどんどん連れてきてくださるものだから、驚くように人の輪が広がっていきました。最初の店の顧客には有名な代議士の方や俳優の方もいらして、靴を作らせていただいたものです。
人生になにか悔いはないかと聞かれれば、大人の事情で他県へ移り住んだことでしょうか。突然学校が変わることになり、特に娘たちには切ない思いをたくさんさせてしまいました。
夫には、いまさら言うことはありません。死んだ人になにか言っても仕方ないですし(笑)、いいところもたくさんあったから別れなかったんです。
もっと妻として尽くしたり、夫と腹を割って話し合ったりすればよかったのかもしれない、と思うこともあります。ついつい店のことに一所懸命になってしまったものだから、寂しい思いをさせたり、私にもたぶん悪いところはあったんだろうと思います。
とはいえ、あの人も「この女房なら、黙ってこの子を育てるだろう」と思って、突然息子を連れてきたんでしょう。いくら昔でも、そうそうある話じゃない。あの頃はずいぶん苦しみましたし、悩みもしましたね。いまの私だったら、同じことができるかわかりません。あれは、あのときの私だからできたことなんだと思います。
私はいまが一番幸せです。家族に対しても、お客様に対しても、ただ正直であれ、と生きてきました。それでこんなふうに編集部の方と楽しくおしゃべりもできて、私は本当に幸せだわ。
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