小倉智昭「がん治療の副作用にもだえ、三途の川を渡りかけたら父がいた」古市憲寿だから聞けた闘病中の本音とは

2024年3月1日(金)12時30分 婦人公論.jp


小倉智昭さん「あとで先生が、『小倉さんは本当に強い。すごいよ、小倉さんの生命力』って言ってくださいました」(提供:新潮社)

22年間にわたり朝の情報番組『とくダネ!』でMCを続け、朝の顔として活躍した小倉智昭さん。2016年に膀胱がんを宣告された後、肺への転移も見つかる中で、活動休止と再開を繰り返しながら闘病生活を続けてきました。そして2024年2月、『とくダネ!』のコメンテイターで友人でもある古市憲寿さんを聞き手に、小倉さんが人生を振り返った『本音』(新潮社)が刊行に。今回は、がん治療の副作用で意識不明になった際のエピソードをご紹介します。

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がんと同時に命も消えそうに


(太字:古市さん)
──発見自体は早かったのに、結局、ステージ4になったということですか。そこからどんな治療をしたんですか。

放置していて、もしもほかの場所、脳とかに転移したら大変だから、叩くことになった。肺からリンパを通ると、近いところとして脳に転移しやすいらしい。

そうなると今度は抗がん剤の治療ということになります。しかし、抗がん剤治療では全然小さくならなかったので、今度はキイトルーダという免疫チェックポイント阻害薬を試すことになりました。これは一時期高額すぎることで有名になったオプジーボと同じ系列の薬です。

高額だけれどもこれを使いましょう、となって1カ月に1回打つことになった。すると3回目くらいからどんどん小さくなって、4回目終わったときにはほとんど肺がんは消えたんだ。

──良かったですね。そんなに効くこともあるとは。

がんは消えたんだけど、同時に僕の命も消えそうになっちゃった。副作用で。

それが2022年の秋。そもそもがんが消えて喜んでたんだけど、腎臓の数値があまりにも下がりすぎているから、また検査しましょうってことになったんです。10月27日から検査入院することになっていたわけ。

ところが、その直前まで事務所がまた仕事入れるんだよね。検査入院の前にやたら仕事を入れるの。そうしたら入院1週間前の10月20日、日本テレビの「行列のできる相談所」の取材で日光東照宮に行ったときに、もう音を上げざるをえなくなった。

あそこ、階段があるじゃない? きついなと思いながら、小学生の子供たちにインタビューしたりと、頑張ってロケをやっていたの。でもロケが終わった頃に、もう駄目かもしれない、という感じになって。

翌日は大阪で仕事があったんだけど、多分向こうまで行けない。至急、先生に連絡した ら、翌朝一番で来てくれ、と。

点滴でしのぐ日々


それで病院に行くと、先生の顔を見るなり、ベッドに倒れ込んじゃった。もうフラフラになってて。それで検査したら、あまりにも数値が悪すぎるもんだから、先生たちも大あわてになっちゃって。

キイトルーダはまだ新しい薬なので、副作用についてはわからないところもあった。腎臓に副作用が出て、人工透析をいきなりやらなきゃいけないような数値になっていたんですね。でも透析よりも先に輸血をしなければということになったり、また大量のステロイドを投与したり。

僕は、糖尿病もあるので、ステロイドを打って食事すると、インシュリン打ってても血糖値が異常な数値になるんですよ。それまで高くても二百数十くらいで収まっていたのが、500とか、450とか、見たこともないような、もうメーターを振り切っちゃうような数字が出る。

でも「ステロイドのせいだから大丈夫、大丈夫」と言われながら、1週間くらいはそんな生活をしていたんです。飯は食えないから点滴でしのいでいた。

──かなりきつかったんでしょうね。

うん、それでも自分でもえらいもんだなと思うのは、経営している会社の従業員の給料のことを考えていたってことだね。毎月25日にはどうしても給料を振り込まなければいけないので、かみさんに電話をして病院まで呼んで通帳とカードを渡して、手続きを頼んでいるんだよね。

そのときに俺を見たかみさんは、「もう駄目だと思った」って。目は虚ろ、言葉はしゃべれない、手は震えている。

「もう本当にひどくて同じ人間とも思えなかった。最期ってこんなもんなんだって思った」と言っていました。

三途の川のほとりに父がいた


その頃だと思いますよ、三途の川を見たのは。

川のほとりで誰かしゃべっているんだよね。気がつくと、親父と僕がしゃべっているんですよ。細かい内容は忘れたけれど、覚えているのはこんな会話。

「じゃあ、そろそろ父さん行くから」
「俺まだ行きたくないから」
「そうか、お前はまだ行かないのか」
「もうちょっとこっちにいる」
「そうか、じゃあ父さん行くぞ」

そう言って、くるって背を向けて、親父が橋を渡っていった。本当に昔から聞いているようなストーリー通り。向こうにある花園のほうにだんだん親父が消えていくんだよ。

何となく意識が戻ったときに、“親父が迎えに来てたな、あれは何だったんだ、夢なのかな、あれが俗に言う臨死体験なのかな”なんてしばらく考えていました。

そういう話を前から聞いているから、そういう夢を見るのかしらね。どこの川というわけでもないけれど、リアルな夢でしたよ。

小倉さんの生命力はすごい


──実際にその体験をした時は、かなり危ない状態だったんですよね。

先生も“正直言ってダメかもしれない”と思って、かみさんにもそう伝えたらしいんですね。それでも病院をあげてバックアップしてくださったそうです。

もとはといえば膀胱がんだから泌尿器科なんですが、肺に転移したからそちらの専門の先生や、また腎臓の先生、糖尿病の関係もあるのでそちらの先生、さらには全身に湿疹ができたから皮膚の先生という感じで、みんなで集まって話し合ってくださったと聞きました。

あとで先生が、「小倉さんは本当に強い。すごいよ、小倉さんの生命力」って言ってくださいました。

最近になってかみさんが教えてくれたのは、実は先生には「回復しても80%までというつもりでいてください」と言われていたんですって。全快は難しい、と。

※本稿は、『本音』(新潮社)の一部を再編集したものです

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