小倉智昭「老後の予定は狂うもの。『後で』と取っておいたDVDやCDは封すら切ってない」古市憲寿が聞く〈人生の本音〉
2024年3月4日(月)12時30分 婦人公論.jp
小倉さんが人生を振り返った著書『本音』で、聞き手を務めた古市憲寿さん(提供:新潮社)
22年間にわたり朝の情報番組『とくダネ!』でMCを続け、朝の顔として活躍した小倉智昭さん。2016年に膀胱がんを宣告された後、肺への転移も見つかる中で、活動休止と再開を繰り返しながら闘病生活を続けてきました。そして2024年2月、『とくダネ!』のコメンテイターで友人でもある古市憲寿さんを聞き手に、小倉さんが人生を振り返った『本音』(新潮社)が刊行に。今回は、がんを患って三途の川まで見たという小倉さんが、今後の人生について感じていることをご紹介します。
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海外は身体が言うことを聞くうちに
(太字:古市さん)
──趣味の物に埋もれて暮らすのは、理想の隠居だとは思えないですか。
これは理想の隠居じゃないね。僕の考え方も変わってきているんだと思います。
老後の楽しみなんて本当に思い描いているほど楽しかないよ、って言いたいよ。お金を子どものために使うとか、老後のために、二人のために使うとかっていって残すのもいいのかもしれませんけど、それよりも若いうちにやれることがあったら、やったほうがいい。
だって、海外なんて体が言うこと聞くうちに行かないと。今、僕に海外行けったって行けないもん。歩くのもきついしさ。ワインのおいしいとこ行ったって、自由に飲めないわけじゃない。
かみさんは、「私は母のことがあるから行けないから一人で行ったら」とまで言うんですよ。「今こそあなたの好きな人と行ったら楽しいと思うわよ」だって。
でも今この体だから何もできねえだろう。そんなとこに好きな人と行ったって嫌われるだけだという……。
老後の予定は狂うもの
——やりたいことは老後に、なんて考えるんじゃなくて思い立ったときに行動しておいたほうがいいってことですね。
うん、そう思う。老後は理想どおりにいかないと本当に思う。
映画のDVDとかCDとか封を切ってない、ビニールでパックされたまんまのやつとかあるんだよ。後でゆっくり見よう、聴こうと思ってとってあったもの。
それをそのまま封を切らないで死んでしまうんじゃないかとかって最近思うよね。本だって読んでないものもあるわけじゃないですか。そこに置いとくだけで何か安心とかって、何かあったときにいつでも引っ張り出せるとかって思ってるけど。それがどうなんだろうなって。
──老後の予定は狂うんですね。
老後の予定は狂うね。本当、体は気をつけなきゃ駄目だね。ただ、がんは二人に一人というくらい、みんなやることだからね。
幸せは死ぬときに振り返って思うものだ
──小倉さんの場合、仕事し過ぎちゃったことが健康を害した部分もあるようにも思います。もしももう1回人生を歩めるとしたら、仕事をセーブするのか、それとも同じようにやっぱり仕事をがむしゃらにしちゃうか、どっちですか。
昔はそういう質問をされると、もう一度自分の人生やり直したいから、同じ自分で生まれたいとか言っていたんだよね。それが最近は簡単に答えられない。生まれ変わったら何になりたいですかって言われても、“生まれ変わるわきゃねえもん”って思うわけよ。だんだん偏屈なじじいになってきているからさ。
病気して、いろんな取材で最後に必ず聞かれるのは、「小倉さん、今後の目標というか、人生をどういうふうに送ろうと思ってますか」という質問なんだよね。
でも、目標立てたって目標どおりいかねえだろうって思ってしまう。親父がよく子どもの僕に言って聞かせてたもんです。
「智昭、幸せというのはな、死ぬときに自分の人生振り返って、俺は本当に幸せだったなって思うのが幸せなんだぞ。その場で幸せだと思っても、決して幸せだとは思うな」
小学生にそういうことを言うんだから、すごい親父だったと思いますよ。
「俺このまま死んだら誰も気づかない」
──その「死ぬ間際にどう人生振り返るか」っていう言葉はまだ小倉さんの中に残ってるんですね。
残ってるね。今になって、それが真理なのかも分かんないと思うよね。本当にその時々で、幸せだ、好きな人と一緒にいて嬉しいなって思うときはあるし、仕事が順調で、経済的にも楽になって好きなことができて、俺って幸せだよなって思うこともそれはありますよね。
そういうのがないと、人間、仕事なんかやってけないからさ。でも、それを後になって振り返ったときに、あのときは本当に幸せだったんだろうかって、いろんなことを思い始めるんだよね。
未来がないから、過去を振り返るしかしょうがないのかな。僕みたいに楽観的で前向きな人間が、こういうふうになっちゃうっていうのがまず信じられない。
だって一人で風呂入ってて、“俺このまま死んだら誰も気づかないな”とかって思うこともあるんだから。
※本稿は、『本音』(新潮社)の一部を再編集したものです