安田顕さんがNHK『鶴瓶の家族に乾杯』に登場。宮城県名取市を巡る「内気な僕が、大学でTEAM NACSの仲間に出会って」

2025年3月3日(月)18時0分 婦人公論.jp


「僕の気持ちとしては、オファーが来たものは全部やりたい。不安だからというのもあるし、それで僕の気持ちが満たされるから。」(撮影:木村直軌)

2025年3月3日の『鶴瓶の家族に乾杯』に安田顕さんが登場。宮城県名取市で14年前の東日本大震災を振り返ります。そこで、安田さんがこれまでの人生を語った『婦人公論』2020年5月26日号のインタビュー記事を再配信します。
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北海道から全国に進出し、今もっともチケットが取りにくいといわれる演劇ユニット「TEAM NACS」。メンバーのひとりである安田顕さんは、ドラマに映画に舞台に引っ張りだこだ。北海道でどんな子ども時代を過ごし、そして今に至るのだろうか。プライベートでは一児の父でもあるその素顔は──明日7月18日上演開始の舞台『ボーイズ・イン・ザ・バンド』への思いも語った(構成=大西展子 撮影=木村直軌)

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北関東でなぜか知名度が高くて


ここ数年は、ありがたいことに映画やドラマでたくさんのお仕事をいただけるようになりましたが、「これで安泰だ」なんて思ったことは一度もありません。自分はこの先も大丈夫だという確信があったら、長期休暇とか取ります。

でも、「ここで休みをください」なんてこと、とても言えないです。こうやってコンスタントにお仕事をいただけるようになってもなお、役者として稼げなかった20代や周りとの経験値の差に焦りまくっていた30代を思い出すと、不安で仕方ないですから。

それでも最近は、「皆さんに知っていただくようになったかな」と感じる瞬間はあるんですよね。特に北関東の群馬や栃木に行くと。たとえば、コンビニでは幅広い世代の方から声をかけられるし、居酒屋に行くと店中の人が僕を知ってくれているんですよ。

東京や札幌ではあまり感じないのに、北関東での自分の知名度の高さには驚きます。いったいなぜなのか、さっぱりわかりませんが。(笑)

出演作品は、基本的にマネージャーさんと相談して決めています。ただ僕の気持ちとしては、オファーが来たものは全部やりたい。不安だからというのもあるし、それで僕の気持ちが満たされるから。もちろん飽きられる怖さはありますよ。でも、いただけたお仕事を失うことのほうがイヤなんです。そうやって仕事を抱えて抱えて抱えて現場に入るから、家に帰った時にボソッと出ちゃうんですけどね、文句が。(笑)

幼い頃は、四六時中寝ている子だった


生まれは鉄鋼の町、北海道室蘭市の絵鞆地区です。父は溶接工、母は保険のセールスをやっていて、僕は3歳上に兄貴がいる次男坊です。当時は託児所なんてないので、母ちゃんは僕をおぶい紐で背負ってセールスをやっていたみたいです。

そんな母ちゃんの働く姿を見ていた支部長さんが、自分にできることは何だろうと考えて、会社の隅に授乳したりオムツを替えたりする場所を作ってくれたそうで。母ちゃんは「いまだに忘れられない」って感謝してます。もう45年ぐらい前の話です。

小学校の1、2年生の頃は、学校から帰っても家に誰もいないから寂しくて、母ちゃんの勤める会社へよく電話してました。0143の22の〇×〇×って。今は知り合いの電話番号もわからないのに、この番号だけは覚えています。

母ちゃんは出先から帰って来るとタオルケットを掛けて一緒に寝てくれて、僕が眠るとまた仕事に戻るんです。冬なんかは、何を話すでもなくストーブの前に座って一緒に過ごすだけでしたけど、それだけで子どもはホッとするんですよね。

小さい頃はボーッとした子で、寝るのが好きだったな。寝る癖がついたのは共働きだった両親のせいですね(笑)。親父が遅番の時は、朝、仕事に出掛けていく母ちゃんと入れ替わりで帰って来るんですが、親父は帰るとすぐに布団に入るから、僕はまた親父と一緒に寝ることに。そうすると、四六時中、寝ていることになってしまうんですよ。正直、今も眠いです。(笑)

そういえばこの間、入院した母ちゃんの見舞いに行った時に、初めていろんな話ができました。今話題の炎鵬関を十両の時から応援していたという話を聞いて、母ちゃんが相撲好きだとわかったり、いわさきちひろさんの絵や人生に詳しいことも初めて知りました。

親父と一緒に酒を飲むと、「俺は昔はなあ」って話をされましたけど、母ちゃんからは“一人の女性”としての話を聞いたことがなかった。なので、そういう時間が取れたのは嬉しかったです。

中学、高校と地元の学校へ進みました。中学2年生の時に好きな子ができたんですが、ある日、その子が廊下を走っている柔道部員をスッと振り返って見ていたんですよ。今思えばただの条件反射なんですけど、僕はそれを勘違いして、「あ、柔道が好きなんだ!」と思って柔道部に入部したんです。なのに、その子は剣道部に入っちゃった(笑)。

僕はなんでも始めると長いというか、やめるのがイヤで、高校もずっと柔道部です。ただ、人より不器用なので、黒帯を取るのに高校2年までかかってしまいました。

演劇研究会で仲間と出会って


うちは裕福ではないものの、何の不自由もない家庭環境だったので、大学には当然進学するものだと思っていました。本当に親には感謝ですね。釧路教育大学を受験するはずが、当日、胃痙攣をおこしちゃって試験を受けられなかったんです。それで札幌の北海学園大学に進学しました。

下宿は賄い付きで4畳半。もちろんトイレは共同で、風呂は週2回でした。ただ、夜中に天井からガサゴソ音がするのが気味悪くて、5月に一度、実家に帰ったんです。お小遣いをもらってまた下宿に戻ったんですが、心配した親父から電話がかかってきて、「どうだ、天井の音は?」って。不思議なことに何も音がしなくなっていたんですよ。親父からは、「金がほしかっただけじゃねえか」と笑われましたけど、あれ、何だったんだろうなあ。

サークルは、スティングが好きだったのでベースでもやろうとジャズ研究会に入部したものの、レベルの違いを思い知らされ、次に勧誘されたグリークラブに行ってみたんです。その日のうちに先輩の下宿に連れて行かれたんだけど、壁にボコボコと穴があいている。聞くと、酔っぱらってあけたっていうじゃないですか。怖い先輩だなと思って即入部をやめました。

それで、僕がやりたかった雑誌編集の仕事に有利だと聞いてESSへ行ったものの、英語がしゃべれないから全然合わない(笑)。そんな時、秋の学園祭の模擬店でたまたまESSの隣で団子を売っていたのが演劇研究会。すごく楽しそうで、これだったら内気な僕でも大丈夫だなと思って入会しました。

ここで仲良くなったのが、後に演劇ユニット「TEAM NACS」を立ち上げる森崎博之、戸次重幸大泉洋、音尾琢真の4人です。

楽しくサークルを続けてはいましたが、本格的に芝居をするとなると札幌には東京や大阪みたいな芸能の土壌がない。演劇で食っていけるかというとそれは現実的ではなく、卒業後は総合病院の医療事務員として就職しました。

でも相変わらず内気だったので、食堂でみんなとご飯を食べることができなくて……。いつも近くの公園に行って、1人で弁当を食べていたんです。結局、仕事も合わず10ヵ月で退職しました。

大学卒業後、TEAM NACSとは別に、北海道にある僕らの事務所の会長、鈴井(貴之)さんが主宰する劇団にも所属して、働きながらもちょこちょこ顔を出していたんです。

そのうちラジオ番組やバラエティー番組でレポーターをやったり、北海道テレビ(HTB)の番組『水曜どうでしょう』にも出演し始めました。ちょうど大学を卒業して2年くらいだったかな。この番組は鈴井さんと大泉が無茶な旅を繰り広げるバラエティーで、僕はそこに同行するHTBのマスコットキャラ「onちゃん」の着ぐるみ役でした。その頃には、バイトをしなくても生活できるようになりましたね。

『水曜どうでしょう』での人気の高まりとともに、TEAM NACSも全国に名が知られるようになりました。ここ数年は映画やドラマでありがたいことに主役をいただけることもあります。今、46歳ですが、いまだにどこか伸びしろがあるんじゃないかと思っている自分がいるんですよね。「そんなわけねえだろ、このオッサンが」と突っ込みつつも、心のどこかにもう一人の自分がいて、もうちょっといけるんじゃないか、と囁いているんです。

20代の頃は、舞台はやっていたけどドラマの仕事はなかった。でも、もうちょっと頑張ってみよう。30代は役には恵まれたけど、実力が追いついていかなかった。でも、もうちょっと頑張ってみよう。40代は仕事がたくさん来るようになったけど、もっとやれるんじゃないか——。そう思うたびに、休む暇なくいろんな仕事を経験したい、もうちょっと頑張ろう、って。ずっとそんな感じでやってきたような気がします。

50年前の作品が現代にも通じる理由


7月には初演から52年を迎えた『ボーイズ・イン・ザ・バンド』で、主演のマイケル役に挑戦します。日本では『真夜中のパーティー』として数多く上演されたので、こっちのタイトルのほうがしっくりくるかもしれません。

この作品では、マイケルのアパートでゲイ仲間の誕生日を祝うパーティーが開かれ、9人の男たちが集うなか、徐々にそれぞれの過去や本音が暴露されていくんですね。ゲイの人に限らず、あらゆるマイノリティに対してまだまだ日本は不寛容です。だからこそ50年前の作品が現代にも通じるわけですが。

ただ、明らかに世界が昔と違ってきたのは、今作が昨年、トニー賞の演劇リバイバル作品賞を受賞したことです。それはすごい進化だと思います。そういった欧米の変化に、日本も多少なりとも影響を受けていますよね。

女性への偏見や差別はいまだに変わらない部分もあるなかで、戦後、女性が参政権を得るようになり、男女雇用機会均等法ができ、産休や育児休業も認められてきてる。もっと急速であるべきなんだろうけど、一歩一歩、進化はしています。やがて僕らの子供、そして孫の世代になって、この作品が上演されなくなるとしたら、そんな素敵な社会はありませんよね。

日常生活のなかで「ありがとう」を


普段の僕ですか? 忙しいなかでも、近所にあるバーでレコードを聴きながらお酒を飲む時間は大事にしています。最近はお酒もだいぶ弱くなりましたし、失敗談もありますけど、隠れてでも飲みたい。(笑)

家族は、妻とこの春に高校生になる娘がいますが、妻は20年以上ともにいますので、仕事のない時もずっと支えてくれて感謝しかありません。僕ら男性はみんな妻への感謝の気持ちはあるんだけど、それをうまく伝えられないだけで。「だったら、うまく伝えなさいよ!」って話になるんですけどもね(笑)。

たとえば、僕が妻を「最高のパートナーです」とか言っちゃうと、じゃ、妻にとっても俺は最高のパートナーと言えるのか。でもそれははなはだ疑問なんですよね。ゴミ出しとか、犬の散歩とかやっているのか。俺と一緒にいる時、彼女は笑顔でいるのか、幸せでいるのか──って、一つ一つあげていくと、決してそうではないなと思うわけで。

だからこそ最低限、日常生活のなかで「ありがとう」と言うようにしています。「あれ取ってもらえる? ありがとう」「ごめん、これから帰るんだけど、お風呂沸かしといてくれる? ありがとう」って。何よりも家に帰った時に妻がいてくれるのは本当にありがたいです。

俳優としては、体が資本なのでジムに通い始めましたが、今年になってからまったく行かなくなっちゃいました(笑)。自分の理想とする自分には、なかなかなりきれてないですね。

だからせめて、こんなふうでありたい。後輩が何かやらかして誰かに怒られちゃった時に、「バカだなあ、おまえ」と僕が言っても、その“バカ”という言葉を愛情だと受け取ってもらえるような……。そんなニュアンスを出せる人間になりたいです。(笑)

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