『光る君へ』<花山天皇退位クーデター>はあくまでドラマ…じゃなかった!「護衛は?」「血は流れなかったの?」事件の謎を日本史学者が解説

2024年3月15日(金)12時0分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。第十話は「月夜の陰謀」。藤原兼家は花山天皇を退位、出家させるクーデター計画を道長らに伝える。兼家の命に従い道兼らが動き出すなか、道長はまひろに手紙を——といった話が展開しました。そこで今回、日本史学者の榎村寛之さんに、クーデター事件の謎について解説してもらいました。

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花山天皇の退位・出家は無血の政変


第十話で藤原兼家の策にはまり、元慶寺で出家することになった花山天皇。翌朝には懐仁親王が即位し、一条天皇が誕生することとなりました。

ある晩、突然王様が消えて、翌日にお坊さんの姿で発見されたときには、次の王様が位に就いていた…。

考えてみたら面白い事件です。確かに政変なのですが、どこか間抜けな話でもあります。

もしかすると視聴者の皆さんは思ったかもしれません。

「あくまでドラマでしょ?」「誰も止めなかったの?」「宮廷警備は?」「門衛は?」「どんな警備体制だったの?」「王様にはSPはいなかったの?」

…などと。

だから平安時代は面白い


しかし、寛和2年(986)の花山天皇退位クーデターは、他でもないこの日本で、千年あまり前に起こった実話なのです。


『謎の平安前期—桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

実は、すごく〝平安時代〟らしい事件だとも言えます。

これが200年前の奈良時代の皇位争いならどうでしょう。光仁天皇の皇后の井上内親王とその子の他戸親王は、天皇を呪詛した疑いで位を追われ、幽閉されて命を落としました。350年前の飛鳥時代なら、蘇我入鹿が皇極天皇の面前で斬殺され、天皇は退位しています。

王権を揺るがす事件は必ず暴力沙汰を伴っていたのです。

まあ、世界史的に見ても、国王や皇太子を廃するクーデターでは多くの血が流れるものです。国王が騙されてお坊さんになり、一滴も血が流れずに代替わりが起こるなんて、韓流や華流のファンタジードラマでも、「あまりにも緊張感のない話でリアリティーなさすぎ」と笑われかねません。

そんな「当たり前に血を見るはずのこと」が起こらなかったのだから、平安時代は面白いのです。

花山天皇を護衛していたのは「源氏の武者」


とは言っても、花山天皇の退位事件が、完全に非暴力的に行われた、というわけではありません。

事件から100年近く後の書物、歴史書『大鏡』には、「誰や彼やというよく目立つ源氏の武者が花山天皇の護衛についていた」とあります。もちろんこの護衛が、むしろ逃亡防止用でもあったことはドラマで描かれていた通りなのですが。

ここで面白いのは、護衛が「源氏の武者」だとしていることです。

具体的には誰でしょうか。この事件の首謀者、左大臣藤原兼家に関わる源氏には、清和源氏の源満仲がいます。彼はこの翌年に出家しているので、実際に関わったのは、息子の頼光・頼親・頼信などでしょう。

腕っぷしの強い子分たちを引き連れていた武人貴族


満仲の官位は正四位下で、各地の国司(受領)を務めて懐は極めて豊か。

長男の頼光はこの後に皇太子となった居貞親王(三条天皇、つまり花山天皇の異母弟)の東宮坊の権大進(三等官待遇)になっているので、六位くらいの官位は持っていたと思われます。紫式部の父、藤原為時とどっこいどっこい、とでも言えばわかりやすいでしょうか。

為時と違うのは、彼ら武人は腕っぷしの強い子分をぞろぞろ引き連れていたことです。

それらの子分は多分、京の周辺の荘園を基盤として都に出てきた武人貴族へ、契約社員のように仕えていたのでしょう。京で警備するときや受領として下向するときにはこういう部下が役に立つのです。

ドラマでいえば、騙されたのを知った花山が逃げようとしたのを押しとどめた、ガタイのいい連中がそれに当たるでしょう。

「平安版アベンジャーズ」のモデルに


そして頼光は父と同じく正四位下まで出世して、「朝家の守護」と呼ばれるまでになりました。つまり内裏警備の源氏の棟梁となったので、その部下たちも、「都の名物防衛隊」的に美化されていったようです。

これを「頼光の四天王」といい、渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武と伝わっています。

このうち渡辺綱は摂津渡辺、今の大阪の中之島にかかる渡辺橋周辺の武士団の伝説的な始祖、坂田金時は道長の花形随身(SP)で、若くして亡くなった優れた武人の下毛野公時(つまり金太郎の原型)のモデルにされるなど、実際の部下ではなく、有名な伝説的武人を頼光の下に集めたのが実情のようです。

しかし彼らが一丸となって戦った、いわば「平安版アベンジャーズ」というような物語が、鎌倉時代に創作され、その名は時代を超えて轟きました。かの「酒呑童子伝説」、大江山の鬼退治です。

こうした鬼退治の超人たちの原型イメージが、花山天皇を止めた源氏配下の武士たち、というわけなのです。止められた花山には、彼らがむしろ「鬼」に見えたかもしれませんが。

婦人公論.jp

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