武田信玄にとって赤字事業だったはずの「信玄堤」。それでも工事に着手した理由とは…現地を歩いて初めて見えたもの

2024年3月18日(月)17時30分 婦人公論.jp


武田神社にて(写真:婦人公論.jp編集部)

東京大学・本郷和人先生に連載いただいている『婦人公論.jp』では、先生とのご縁をきっかけに「日本史ツアー」を開催しています。初回「徳川」に続く、第2弾のテーマはズバリ「武田」。一泊二日でゆかりの地を巡り、最終目的地として甲斐武田終焉の地・景徳院に向かいました。そこで本記事では、参加者が味わった臨場感と知的興奮を読者の皆さんにおすそ分けしたいと思います。第二回は「武田神社・甲斐善光寺・恵林寺・信玄堤」編です。

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武田神社へ


本郷和人先生と武田信玄・勝頼の歩みを巡る「日本史ツアー」二日目。前半は武田神社から甲斐善光寺、恵林寺、信玄堤へ。後半は新付城と甲斐武田終焉の地・景徳院と、目いっぱいの行程をまわります。

まず向かったのは甲府市の武田神社。ここは信玄の父・信虎が築いた躑躅ヶ崎館の跡地で、信玄が産まれた地でもあります。


武田神社(写真:婦人公論.jp編集部)

もちろん神社自体、大変に立派なのですが、我々日本史ツアー一行が強く興味を持ったのはやはり、お城時代の痕跡でしょうか。

曲輪や濠はもちろん、大規模な発掘調査が行われた大手門一帯(武田氏館跡大手門東史跡公園)には立派な石塁・土塁が復元されているなど、その意味でも見どころがいっぱいです。

馬小屋の重要な役割とは?


一緒に散策をしながら、先生が解説を始められました。


神社に隣接する武田氏館跡大手門東史跡公園にも見どころがいっぱい(写真:婦人公論.jp編集部)

「当時の城の基準から考えれば、躑躅ヶ崎館は決して軍事的な能力が高いといえない。ここまで敵に攻め込まれる、ということを想定していなかったんじゃないかな」。

『武田節』では「人は城、人は石垣、人は堀」とうたわれています。城に頼るのでなく、人が結束して対処していこう、という信玄らの思想がそこに現れていたのかもしれません。

公園の一角には、発掘で見つかった馬小屋跡がありました。すると先生からは「当時の馬小屋には馬を飼う、ということ以外にも重要な役割がありました。それはいったいなんでしょう」とクイズが。


(写真:婦人公論.jp編集部)

ヒントは武器。クイズの答えはここに記しませんので、ぜひ読者のみなさまもご自身でお考え下さい。

信玄が創建「甲斐善光寺」


続いて向かったのは信玄が創建したとされる甲斐善光寺です。


甲斐善光寺(写真:婦人公論.jp編集部)

ここは川中島の戦いの際、現在の長野県にある信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558年)に阿弥陀如来像や寺宝などを甲斐に移したのをきっかけとして開基された、とのこと。

先生オススメの見どころが「宝物殿」で、中には阿弥陀如来像に加えて、武田信玄朱印状などが展示されていました。源頼朝の木像も。

頼朝といえば、近年になって「長く肖像画とされてきたものが本人ではなかった」と言われていますが、先生いわく「一部の研究者の間では、現存する絵や像の中で、甲斐善光寺の木像がもっとも本人に近いとされている」そうで、頭の中の”頼朝像”を更新するべく、ツアー参加者はみな木像をまじまじと見つめていました。

ここでランチタイム。その名も信玄館にて山梨名物”ほうとう”を食べた後、隣接する恵林寺へと向かいます。


信玄館に鎮座する金ぴか信玄像。実はかなり巨大(写真:婦人公論.jp編集部)

信玄の菩提寺「恵林寺」


恵林寺は1330年、禅僧の夢窓国師によって開かれ、その後1564年に武田信玄の菩提寺に。

本堂の明王殿には信玄の姿を摸刻させたという「武田不動尊」が安置されています。

明王殿の手前には音を立てずに歩くのは難しい「うぐいす廊下」があったり、真っ暗な「胎内巡り」も用意されていたりと、ここも見どころいっぱいでした。


恵林寺(写真:婦人公論.jp編集部)

しかしまわるお寺、みなどこも大変に立派です。実際に足を運んでみて、あらためて信玄の信心深さを感じます。

赤字でも信玄堤を築いた理由


さらにバスは一路、甲斐市の信玄堤公園へ向かいます。

信玄堤は、釜無川と御勅使川の治水を行うために信玄が築いたとされる堤防。今も現役で機能しており、市民を水害から守っているそうです。

先生いわく「近辺での石高と、工事にかかったコストを単純に比較すれば、おそらく大変な赤字だった。それでも信玄が着手したのはなぜか? 甲斐の領民を守りたいという強い気持ちを、ぼくはそこに感じる」とのこと。

堤の上からの雄大な景色も相まって、信玄の大きさをあらためて感じるお話です。

なお、ツアーに同行したコンダクターさんは「寒風吹きすさむ河原で、しみじみと小一時間。歴史好きなみなさんの高みまで私はたどり着けそうにない…」ともらしていました。

これにて2日目の前半は終了。後半は信玄の後継者・勝頼の歩みに沿ってツアーは進んでいきます。

初回:徳川ツアー「桶狭間」はこちら

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