『べらぼう』女郎たちが『都見物彩色紅葉』を聞いてすすり泣くシーンに視聴者最注目 第11話画面注視データを分析

2025年3月23日(日)6時0分 マイナビニュース


●「必死に芸を身につけているのに…」
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、16日に放送されたNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(総合 毎週日曜20:00〜ほか)の第11話「富本、仁義の馬面」の視聴者分析をまとめた。
○女郎たちを午之助の歌声で救ってほしい
最も注目されたのは20時34分で、注目度76.5%。かをり(稲垣来泉)たち女郎が、富本豊志太夫・午之助(寛一郎)の『都見物彩色紅葉』を聞いてすすり泣くシーンだ。
午之助にはかつて若木屋与八(本宮泰風)によって、同僚である市川門之助(濱尾ノリタカ)とともに吉原からたたき出された屈辱的な過去があった。2人が吉原を嫌うには十分過ぎる理由である。そんな午之助に吉原の俄祭りに出演してもらうよう蔦重(横浜流星)は一計を案じる。蔦重は吉原を出て向島に2人を招き、りつ(安達祐実)と大文字屋市兵衛(伊藤淳史)の3人で誠意を込めて謝罪し、富本節を聞いてみたいという女郎たちとともに2人をもてなした。
会がおひらきとなった際、蔦重は午之助に女郎たちに富本を聞かせてやってほしいと願い出る。午之助たちはこころよく引き受け、即興で『都見物彩色紅葉』を披露すると、女郎たちはみな感動のあまり涙を流した。女郎たちの反応に戸惑う午之助たちに、吉原の女郎は芝居を観たことのないものがほとんどで、江戸にいながら芝居を見に行けずこの世に別れを告げる者もいると、蔦重は女郎の境遇を語った。
そして、蔦重はそんな吉原の女郎たちを、午之助の歌声で救ってほしいと俄祭りへの出演を嘆願する。「やろうじゃねえか」午之助は即座に了承した。女郎たちの涙が吉原嫌いの午之助の心を動かしたのだ。そしてそんな折、ある吉報が蔦重のもとに舞い込んできた。
○午之助と門之助の男気に魅了される
注目された理由は、午之助と門之助の芸が日々を苦界で過ごす女郎に刺さる様子に、視聴者が共感したと考えられる。
蔦重はかをりの芝居を見たことがないという言葉から、午之助の吉原へのイメージを払拭する策を思いついた。思惑は見事に的中し、午之助の俄祭りへの参加を取り付けただけでなく、直伝を出す許可まで得ることができた。
SNSでは、「吉原の女郎たちの一人ひとりの思いが伝わってきて胸がギュッとなった」「必死に芸を身につけているのに、本物を知らずに死んでいく女郎たちがたくさんいたのは切なすぎます」といった、過酷な毎日を送る女郎たちをおもんぱかる多くの視聴者のコメントが集まった。
また、「太夫は女郎たちのもてなしに感銘したのはもちろんだけど、何よりも自分たちの芸を心から感動してくれたのにグッときたんだろうね」「蔦重が祭への参加を依頼したときに、午之助が間髪入れずに返答したのがかっこよすぎる」と、午之助と門之助の男気に魅了された視聴者も続出している。
江戸時代、役者は主要な身分である武士・農民・職人・商人の「四民」より下の地位に位置づけられ、「河原者」とも呼ばれていた。それゆえに若木屋与八は、午之助と門之助を客とは扱わなかったのだろう。浄瑠璃は三味線を伴奏に太夫が物語を語る日本の伝統芸能。当初、浄瑠璃は琵琶を伴奏としていたが、琉球から三線が伝わり、三味線が誕生すると大きな発展を遂げる。三味線は音色の変化やリズムによって人間の感情や情景を細やかに表現し、太夫の語りとともに物語への没入感を深める。『浄瑠璃物語』という牛若丸・源義経と浄瑠璃御前の恋物語を描いた作品を起源とし、作者は織田信長に仕えた侍女・小野阿通(おののおつう)と思われていたが、その後の研究で否定され今は定説がない。
ちなみに浄瑠璃はサンスクリット語の「ヴァイドゥーリヤ」の音写で、清らかな青いサファイヤ、またはラピスラズリという意味。今回、午之助が披露したの『「都見物彩色紅葉』という演目だ。京都を舞台に、大原女(おはらめ)と男の恋の行方を描いている。大原女とは、山城国・大原(現在の京都市左京区大原)の薪や野菜などを頭に載せて、京都市街へ行商に出ていた女性たちのことだ。
富本豊志太夫・午之助を演じる寛一郎は、ユマニテに所属する東京都出身の28歳。父が佐藤浩市、祖父が三國連太郎という芸能一家に育った。2017年に俳優デビューし、2019年『グランメゾン東京』の芹田公一役で連続ドラマ初レギュラーを務めた。2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では佐藤浩市と親子共演(※ただし共演シーンはなし)を果たし、以来、2度目の大河ドラマ出演となる。午之助の表情やセリフ回しに佐藤浩市の面影を感じた視聴者も多かったようだ。
●午之助が鱗形屋孫兵衛を相手に示す男気
2番目に注目されたのは20時40分で、注目度76.2%。富本豊志太夫・午之助が鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)を相手に男気を示すシーンだ。
孫兵衛は芝居小屋の外で、二代目・富本豊前太夫襲名が決まった午之助を待っていた。蔦重の耕書堂に横取りされた、富本節の直伝本の権利を取り返すためである。孫兵衛は午之助があらわれるや、蔦重が市中の本屋といさかいを起こしており、耕書堂の本は決して市中には出回らないと午之助に利を説いた。
しかし午之助は、「らしいね。だったらなおさらあいつを助けてやりたいねぇ」と意にも介さない。蔦重とのつながりは損得勘定ではないのだ。そして一言、「それが、男ってもんだろ?」と、涼しい顔で言い置いてその場を去った。午之助もまた、粋を知る江戸っ子なのである。孫兵衛はあっけにとられ、午之助の背を眺めるほかなかった。
○利害を超えた蔦重と午之助の関係に喝采
このシーンは、富本節の直伝で『雛形若菜初模様』のリベンジを果たそうとする蔦重が、再度、孫兵衛に巻き返しを図られるのではないかとヒヤヒヤした視聴者の関心が集まったと考えられる。
孫兵衛は富本節の三味線方・名見崎徳治(中野英樹)に探りを入れ、午之助の二代目・富本豊前太夫襲名と同時に富本節の直伝本を出版しようと画策していた。ことは順調に進んでいたが、午之助の信頼をあっという間に得た蔦重にすべてを持っていかれた。
SNSでは、「プライドと銭勘定の本屋の親父たちと比べて太夫の男気が際立つね。見ていて気持ちいい」「馬面太夫の頼もしき男らしさに惚れそうです!」と、利害を超えた蔦重と午之助の関係に喝采が送られている。江戸時代には吉原と芝居町は「二大悪所」と呼ばれていた。そんな「二大悪所」で育った2人はお互いに強いシンパシーを感じたのかもしれない。
午之助は11歳で父を亡くしたが、史実では父の弟子である初代富本斎宮太夫(とみもといつきだゆう)の後見のもと修を業重ね、1766(明和3)年にわずか13歳のときに中村座で『文月笹一夜・下の巻』で初舞台を迎えた。富本節は午之助の父・初代富本豊前太夫が1748(寛延元)年に、常磐津節(ときわずぶし)から分かれて興した流派。常磐津節は歌舞伎舞踊の伴奏音楽として発展し、時代物に長け、硬派で正統派の性格が色濃く、リズムやテンポに極端な変化を加えないのが特徴だ。
一方、富本節は常磐津節に比べて、優雅かつ派手で拍子が明確だった。劇場に向いており、品格があったため大名や富豪に好まれた。二代目富本豊前太夫の人気と活躍で、全盛期を迎えるがその後、富本節から清元節が分派され、人気を奪われるかたちで衰退していった。1983年に十一代目富本豊前太夫が亡くなり、以降その名跡も途絶えている。
●田安賢丸改め松平定信、新天地でも家臣に喝
3番目に注目されたシーンは20時42分で、注目度75.9%。田安賢丸改め松平定信(寺田心)が、新天地でもブレずに家臣に喝を入れるシーンだ。
「これは、市井の子供が読むものであろう。よい大人がかようなもので、よう笑えるな」ここは江戸・八丁堀にある白河松平家の屋敷。田安賢丸は松平定信と名を改め身分が変わったが、家臣たちを叱責する姿に変わりはないようだ。
「お許しくださいませ!」御三卿の家から来た次の当主に、家臣たちは恐れおののき、ただひたすらに頭を地にこすりつけている。定信の手には『金々先生栄花夢』があった。家臣たちは近ごろ江戸で面白いと評判のこれを読んで笑っていたのだ。定信は家臣から取り上げた本の中身を確かめるべく、表紙をめくって読んでみた。武士は文武の道を究めることにこそ、存在意義があると信じる定信である。このような草双紙などに価値を感じるはずがないのだが。
○「興味津々なようにも見える」「イメージ通り」
ここは、松平定信の人物像に視聴者の注目が集まったと考えられる。
賢丸は田安家から白河松平家へ移り松平定信となったが、八代将軍・徳川吉宗の孫であり、御三卿を出自とする誇りから、武士の規範であろうとする生真面目さは健在だった。しかし、ラストシーンの定信はそんなパブリックイメージとは違う表情を見せた気が。
SNSでは、「定信、青本を持っていた家臣を叱っているけど、興味津々なようにも見えるね」「イメージ通りの定信だね」と、視聴者の評価が分かれている。儒教に傾倒して、堅物という印象を持たれている定信だが、プライベートでは『源氏物語』を愛読しており、7回も書き写している。また、今回の『金々先生栄花夢』に影響を受けたのか、大名社会を風刺した戯作『大名かたぎ』や、未刊ではあるが黄表紙風の『心の草紙』を執筆している。そして晩年には『集古十種』という古物・古美術の木版図録集を私財を投じて編さんした。決して真面目一辺倒ではなかったようだ。
いよいよ養子に入った定信だが、この養子入りはかなり不本意だったようで、のちに自叙伝『宇下人言(うげのひとこと)』で、もともと養子になることは本心ではなかったのに、老中たちの悪だくみにより、やむを得ず養子になったと書き残している。白河松平家が定信を養子に求めたのは、江戸城における伺候席(しこうせき)のランクを上げたいという思惑があった。
伺候席とは、将軍に拝謁するため江戸城に登城した際、身分や役職に応じて控える部屋のこと。上から順に大廊下席(おおろうかせき)、溜詰(たまりづめ)、大広間席(おおひろませき)、帝鑑間席(ていかんのませき)、柳間席(やなぎのませき)、雁間詰(かりのまづめ)、菊間広縁詰(きくのまひろえんづめ)の7つがあった。大廊下席は御三家や将軍の家族席になるので、実質の最上位が溜詰だった。定信の兄・定国を養子にとった伊予松平家は帝鑑間席から昇格して溜詰になったという前例があった。定信の義父・定邦も御三卿から養子をむかえて、溜詰にランクアップを画策していたのだ。
●徳川吉宗以来、48年ぶりの日光社参シーン
第11話「富本、仁義の馬面」では、1776(安永5)年の様子が描かれた。
今回は「男気」をテーマに物語が進展した。吉原嫌いの午之助と利ではなく情をもって関係を築こうとした蔦重と、それに応えた午之助のやりとりはまさに胸アツの展開だった。
注目度トップ3以外の見どころとしては、蔦重こん身の作『青楼美人合姿鏡』が売れない理由が判明するシーンが挙げられる。鶴屋喜右衛門(風間俊介)の分析どおり、高価格でマニアック過ぎる内容が一般ユーザーには響かなかったようだ。前回のラストシーンでの喜右衛門のセリフが気になった視聴者も多かったようで、放映直後の時間帯にもかかわらず注目度が非常に高くなった。毎回話題となっている尾美としのりの登場もあって、序盤から目が離せなかった。
続いて、八代将軍・徳川吉宗以来、48年ぶりの日光社参のシーンが挙げられる。田沼意次(渡辺謙)の思惑どおり、多くの見物客で盛り上がっていた。出立だけで12時間かかったとナレーションがあったが、道中は約160kmもあり、行列の先頭が日光に入ったときに、最後尾はまだ江戸城だったという逸話も残っている。今回の社参には約23万人もの人員が動員されている。これはパナソニックグループの全従業員数に近い人数だ。さらに幕府の年収の7分の1にあたる約22万両が費やされたそうだ。現在の貨幣価値にすると約220億円にも上る。意次が頭を抱えるのもうなずける。
ちなみにりつが笑顔で読んでいたのは『日光社参供奉御役人附』といって、役人の氏名、行列における役割、宿泊場所、休憩場所など社参に関する様々な情報が記載されていた。いわば社参における細見にあたる。また、今回はりつの言動が目立った。りつが当時の役者の置かれている状況を語るシーンがあったが、子役の頃から活躍している安達祐実に言わせるあたり、演出が効いていた。
鳥山検校(市原隼人)と瀬川あらため瀬以(小芝風花)の夫婦にも注目が集まっている。再会を果たした蔦重と盛り上がる瀬以を見て、検校は静かに嫉妬のオーラをただよわせていた。SNSでは、「鳥山検校がすべて見抜いてそうなところが怖い」「鳥山検校、本当に瀬以が好きなんだな…愛が重い」と、検校の不気味な迫力にコメントが寄せられている。2人の関係はどのような展開を迎えるのだろうか。
きょう23日に放送される第12話「俄なる『明月余情』」では、俄祭りをめぐって、大文字屋市兵衛と若木屋与八の争いが激化。また、蔦重は祭りの内容を描く本の執筆を平賀源内(安田顕)に依頼すると、朋誠堂喜三二(尾美としのり)を勧められる。

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