黒柳徹子 兵隊さんが貴重な「外食券」を私達親子に押しつけるように立ち去って…「アメリカとの戦争が始まったのは、その年の暮れのことだった」

2024年4月17日(水)12時30分 婦人公論.jp


黒柳徹子さん(撮影:下村一喜)

国内で800万部、全世界で2500万部を突破したベストセラー書籍『窓ぎわのトットちゃん』。実に42年ぶりに続編『続 窓ぎわのトットちゃん』が発売され、今話題となっています。今回はこの新刊より「トットちゃん」こと著者の黒柳徹子さんが、太平洋戦争時に「最新式のキャラメルの自動販売機に興味をひかれた」というエピソードを紹介します。

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キャラメルの自動販売機


トットは小学生になった。

1年生の途中(とちゅう)で、自由ヶ丘(じゆうがおか)の駅前にあったトモエ学園に転校したけど、トットは5歳(さい)のときからピアノ教室にも通っていて、週に1度、北千束から電車を乗(の)り継(つ)いで渋谷(しぶや)まで行き、先生のお家(うち)でお稽古(けいこ)をしていた。

乗(の)りかえの大岡山駅(おおおかやまえき)の階段をおりたところに、トットの興味をひくものがあった。森永(もりなが)キャラメルの自動販売機(はんばいき)だ。

当時の大岡山は、東京工業大学(とうきょうこうぎょうだいがく)以外はなにもない殺風景なところだったから、なぜあんな場所に最新式の販売機が置かれていたのか、いまも不思議でならない。

自動販売機は、お金を入れる細長い穴に五銭硬貨(こうか)を入れると、キャラメルの小箱が出てくる仕掛(しか)けだった。

でも、日本中が食料不足に悩(なや)まされはじめていたせいか、その販売機にキャラメルが入っているのは一度も見たことがなかった。

でもトットは、食料不足のせいでキャラメルが入っていないとは思わないから、いつもワクワクしながら自動販売機の前に立った。

五銭硬貨を入れて、ボタンを押(お)して、キャラメルが出てくるのを待っていると、チャリン! お金は下にある小さな受け皿にそのまま戻(もど)ってきた。

「お金は返ってこなくてもいいから、キャラメルが出てくるのを見たい!」

トットはそう思って、販売機を前後左右にゆすってみるけど、それでもキャラメルが出てくる気配はない。トットはどうしても、自動販売機からキャラメルが出てくるのを見たかった。

ピアノのお稽古に行くたびに、トットは「ひょっとしたら直っているかもしれない」と思って、自動販売機をゆすった。

あれはもしかしたら、東工大の学生さんが作った試作品かなんかだったのかな?

外食券


毎回ってわけじゃないけど、ピアノのお稽古にママがついてくるときがあった。

そういうときは、キャラメルの自動販売機以上の楽しみがあって、お稽古が終わると、渋谷駅前の食堂に連れていってもらえた。

ママに「なにがいい」と聞かれると、トットはかならず「アイスクリーム!」と答えた。

いつものようにお稽古を終えて、渋谷のハチ公前の交差点を渡(わた)った向かい側、いまの109の手前にある大きな食堂に入った。

トットたちは、1人で食事をしている若い兵隊さんと相席になった。トットは口のまわりをアイスクリームだらけにしながら、いろんなことをママに話しかけていた。

すると、先に食事をすませた若い兵隊さんが立ち上がって、トットたちに微笑(ほほえ)みかけてきた。

「これ、よかったらどうぞ」

ママに差し出した紙切れには「外食券」と印刷してあった。いろいろなものが少しずつ手に入りにくくなっていて、町の食堂でなにか食べるときは、この外食券が必要なことがあった。

トットは、このときはじめてそれを見た。

「こんな大切なもの、いただけません。困ります」

ママは恐縮(きょうしゅく)しながらそう言って、兵隊さんに返そうとしたけど、兵隊さんはママに外食券を押(お)しつけるようにして立ち去った。

このときのことを、トットは戦争が終わってからもよく思い出した。兵隊さんが1人で食堂にやってきたのは、戦地へ赴(おもむ)く直前だったからだろうか。

そこにトットたち親子連れがやってきて、楽しそうにアイスクリームを食べているのを見ているうちに、自分の幼い妹や親戚(しんせき)の子たちのことを思い出したのだろうか。

だから、外食券をママにくださったのだろうか。兵隊さんは元気で帰ってきただろうか。

アメリカとの戦争が始まったのは、その年の暮れのことだった。

そして、トットはいつの間にか、ピアノを習うのをやめてしまった。

リンゴ


まだアメリカとの戦争が始まる前、パパを除く全員で、北海道のママの実家に遊びにいったことがある。ママにとっては、結婚(けっこん)してからはじめての里帰りだった。

帰りの青森から上野(うえの)に向かう汽車の中で、トットは窓にへばりつくようにして、外の景色を眺(なが)めていた。

前の席にはおじさんが2人座(すわ)っていて、「あの栗毛(くりげ)の馬はとてもいがった」「子馬は安かったから買いたがった」と、さかんに馬の話をしていた。

発車してしばらくすると、窓いっぱいに広がるまっ赤な光景が、突然(とつぜん)トットの目の前に現れた。リンゴ畑だった。

「リンゴだ、リンゴだ!」

トットだけじゃなく、ママもいっしょになって大きな声を上げた。まっ赤なリンゴの実がたくさんなっていて、それがあまりにきれいで、おいしそうで、トットたちはウットリした。


(写真提供:Photo AC)

「どうしましょう。降りるわけにもいかないし」なんて、ママがトットたちに話していたら、前に座っていたおじさんの1人が、「リンゴ欲(ほ)しいか?」と話しかけてきた。

「ええ! 欲しい、欲しいです。もう、リンゴなんて東京では、ずーっと食べたことないですし、売ってもいませんから」

「私たちは次の駅で降りるけどね。そうだ、奥(おく)さん。お宅の住所を書きなさい」

ママは大あわてでメモ帳を破ると、大きな字で東京の住所を書いて、それをおじさんに渡(わた)した。メモの切れはしをポケットにつっこんだおじさんたちは、次の駅であたふたと席を立ち、降りていった。

おじさんからトットの家にリンゴが届けられたのは、それから2週間ぐらい経(た)った日のことだった。

大きなリンゴの木箱が2箱も。もみ殻(がら)の中から顔を出したまっ赤なリンゴたちは、本当においしそう。もちろんあまくておいしくて、泣いちゃうぐらいうれしかった。

手紙


それが縁(えん)で、ママとおじさんは手紙のやりとりをするようになった。

名前を沼畑(ぬまはた)さんといって、青森県三戸郡(さんのへぐん)の諏訪(すわ)ノ平(たいら)で大きな農家を営んでいるとのことだった。ジャガイモとかカボチャとか、野菜をたくさん送ってもらったこともある。

そのうちおじさんから「来年、長男が東京の大学に行くけれど、知りあいがいないので下宿させてほしい」という手紙が届いた。

ママはそのお願いを引き受けたけど、息子(むすこ)さんはトットたちの家に来る直前に軍隊に召集(しょうしゅう)になり、それから1年もしないうちに戦死したと聞いた。

戦争が終わってもトットは、大学生が軍隊に召集されて行進しているニュース映像が流れると、息子さんはあの中にいたのかなと思って目を見開いたものだった。

※本稿は、『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)の一部を再編集したものです。

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