北村有起哉 初出演映画で巨匠から雑用三昧...死後に知った意味「今でも胸が熱くなるんだけど」

2024年4月25日(木)21時16分 スポーツニッポン

 俳優の北村有起哉(49)が、21日放送のフジテレビ系「ボクらの時代」(日曜前7・00)に出演し、映画初出演と巨匠からの教えについて語った。

 

 この日は歌舞伎俳優・松本白鸚の長男・松本幸四郎と、杉良太郎を父に持つ俳優の山田純大と2世俳優同士でエピソードトーク。文学座の名優だった北村和夫さんを父に持つ北村は、高校の文化祭で演じた舞台の反響を受け「向いているかもしれないぞ?俺」と、俳優に興味を持ちだしたことを明かした。

 映画デビュー作は、98年に公開され、故・今村昌平監督がメガホンをとった「カンゾー先生」。ヒロインの相手役だった。

 駆け出しの役者だった北村に、今村監督は声を掛けてくれたという。「監督が“どうせバイトとかしてねえんだろ?って。一緒に来て、先輩の芝居を見学して勉強しなさい”って、現地入りしたんですけど…」。ところが、現場に行ってみると、聞いていた話とは様子がだいぶ違ったという。

 「結局、ただの人手不足だったみたいで、何から何まで手伝わされて。先輩の芝居を見るどころじゃない。100メートルくらい離れたところで、赤色灯を持って、“すみません!今、本番中なので”とか。録音部に虫かごと網を持たされて、“あっちのセミがうるさいから、セミ捕まえて来い”って言われて。え?って。森でセミが大合唱してるの。網なんかいらないよ。つかみたい放題で。トランシーバーから“お前、ちゃんとやってるのかよ!本番いくぞ!”って。“やってます!”って」。現場ではそんな雑用の連続だったそうで、「これって俺、ハメられたかなみたいな」と思ったという。

 ここまでならただの笑い話だが、このエピソードには、北村の俳優人生を左右する重要な意味があった。映画公開の8年後、今村監督は転移性肝腫瘍のため死去した。北村は監督をしのぶ会に出席。そこで、当時の現場での知られざる事実を耳にしたという。

 「監督が亡くなられて、しのぶ会をやられて。その時の美術スタッフとかと飲んでた時に、“実はあの時にな、監督にまず言われたんだよ。今度、北村和夫の息子が来るから、こき使って鍛えてやってくれ”って。それぞれのカメラ、照明、美術のチーフの人たちにそういう指令が下っていたみたいで。その話を聞いて、今でも胸が熱くなるんだけど」

 初の映画現場で体験したのは、出役ではない様々な仕事。その一つ一つが、いい作品を作るために欠かせないが、銀幕には決して映らない地味なものだった。北村は「こんないろんな人たちが、いろんなパートで、汗水たらしてやっているんだっていうのを、ひどすぎるくらい体験して。映画ってこうやって作っていくんだということを、身をもって(知った)」と回想。「その体験をしていなかったら、控室であくびしながら、“まだなの?俺の出番”みたいな横柄な態度を取っていたかもしれない」と、天国の恩師に感謝していた。

スポーツニッポン

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