石井ふく子さんと加藤和也さんが『徹子の部屋』に出演。美空ひばりさんの「不死鳥コンサート」を語る「借金を背負っても〈ひばり御殿〉を手放さない理由」

2024年5月2日(木)12時0分 婦人公論.jp


1988年4月11日に行われた「不死鳥コンサートin東京ドーム」で、「人生一路」を熱唱するひばりさん(写真提供:ひばりプロダクション)

2024年5月2日の『徹子の部屋』にテレビプロデューサーの石井ふく子さんが、美空ひばりさんの長男の加藤和也さんと出演する。親友だった美空ひばりさんが亡くなって35年。亡くなる数日前に石井さんが受け取ったという手紙の内容を明かす。ひばり記念館のリフォームや借金の実態、母との思い出などを語った『婦人公論』2020年7月28日号のインタビューを再配信します。
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2019年末、『NHK紅白歌合戦』で「AIひばり」が話題となり、「美空ひばり記念館」が売りに出されたという衝撃のニュースもかけめぐった。没後32年経ってもなお、人々の心に生き続ける昭和の歌姫。母の遺したものを守るべく奔走する加藤和也さんの覚悟は(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部〈特記以外〉)

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思い出の品々をどうしても捨てられず


生前おふくろが暮らしていた家を「東京目黒 美空ひばり記念館」として一部公開し始めて丸6年。3月末から約3ヵ月間閉館してリフォームし、記念館の一角にひばりプロダクションを移転させました。それまで別のビルの1フロアを事務所として借りていたので、家賃もバカにならなかった。ランニングコストを考え、記念館と一体化させるべきだと判断しました。

とはいえ、美空ひばり記念館の建物は、私が子どもの頃からおふくろと時間を過ごした思い出の場所。私物もずっと置きっぱなしでしたので、片づけは大変でした。つい1つずつ手にとって見ては、懐かしくて「これもとっておこう」となってしまう。

結局、主に自分のものを捨てて、おふくろの荷物には、一切手をつけませんでした。実はけっこう少女趣味なところがあって、原宿のキデイランドの1階に行ってはファンシーなグッズやぬいぐるみを買ったりしていたんですよ。それもすべて残してあります。

昨年末、美空ひばり記念館が売りに出されているというニュースが広がった時は、驚きましたし、大変でした。なにより長年ファンでいてくださった方々にご心配をかけたことが、心苦しかったですね。

ただ報道そのものについては、「こちらの財布の中身まで気にしていただいて」という感じです(笑)。何を言われようが、やっていることはそれまでと変わりないですし、今のところ、記念館を閉めるつもりもありません。これからは入館料を無料にし、予約なしでも来ていただけるようになります。いつでもおふくろに会いに来てください。

報道では、私の借金のこともいろいろ言われましたが、借金はなにも今に始まったことではないですし(笑)。そもそもの出発点は相続税を払うため、私は若くして借金を背負うことになったのです。その後、借金がゼロになったことは人生で一度もありません。


ひばりさんが生前座っていたリビングのソファの前で。「東京目黒 美空ひばり記念館」(東京都目黒区青葉台1-4-12)は7月9日(木)より再開した。平日10時〜15時(最終受付)入場無料

レコード会社に借金して相続税を払う


おふくろが52歳の若さで亡くなったのは1989(平成元)年、バブル経済の真っただ中でした。現在記念館になっている自宅は都内の一等地にあり、土地は約170坪。「ひばり御殿」と呼ばれていた立派な家です。相続税はその時の路線価に応じて算出されるので、相当な額でした。

そのほかに、ハワイと山梨県・富士山麓の鳴沢に別荘がありました。私がそれらを相続したのは、17歳の時。これから社会勉強しなければという年齢です。

今の日本の税制だと、相続した不動産を売って現金化しないと相続税が払えないことはよくあり、うちも例外ではありませんでした。「これを売れば一生食べていける」とも思いましたよ。でも、やはりそれはできませんでした。私は、おふくろが残したものは全部とっておきたかった。美空ひばりが生きてきた証でもあるし、ファンの方々にとっては一種の“聖地”だと思ったからです。

それに、家には住み込みでおふくろを支えてくれた女性が3人います。そのうち2人は、僕が生まれる前からいてくれた方。いきなり「家を売るから出ていってください」とは、とても言えません。ちなみにその3人は、今も記念館で暮らしています。

ひばりプロダクションには定年制がないので(笑)、一番年上の方はおふくろと同い年で83歳、一番若い方で70代です。

結局、相続税を払うために日本コロムビアにお金を借り、歌唱印税と相殺していただくことに。でも作詞・作曲をしているわけではないので、死後にいただける歌唱印税はそう多くなく、完済まで20年かかりました。

歌い手の場合、本人が生きていればコンサートなどの営業収入がありますが、それもありません。一方で、固定資産税もバカにならないし、建物の維持費もかかります。庭も月に1度は造園の方に手入れをしてもらわないと荒れてしまう。

不動産は売却しない限りお金を生まないし、むしろ出ていく一方。それに、住み込みの方々のお給料のほか、生活費も必要です。正直、苦しいですよ。

過度なストレスからお酒に逃げ体を壊して


おふくろが亡くなってからの32年間、本当にさまざまな苦難がありました。用心していたつもりでしたが、騙されたり、詐欺師に引っかかったり(笑)、何度も経済的な窮地に立たされました。そんな時、まったく知らない人に騙されたほうが、まだ救いがある。「えっ、この人が?」という人にやられると、ほんと、人間不信になりますから。

でも今思えば、若い頃にいろいろ経験させてもらってよかったのかもしれません。今48歳ですが、もしこの年齢でいきなりドカンと大きなものを背負わされたら、立っていられなかったでしょうね。今でも荒波が来ることがありますが、「あの時に比べたらましだ」と思えば、なんとか乗り切れます。

とはいえ私は決して強い人間ではないので、ストレスからついお酒に逃げてしまう。それも家で黙々とウイスキーをストレートで飲むという、かなり危険な飲み方。まさに「悲しい酒」です。(笑)

その積年の無理がたたったのでしょう。2年前に敗血症で倒れ、救急搬送されました。医師から命が危ないと言われ、自分でも、もうダメかと……。でも、嫁さんの顔を見た時、「彼女に託せばおふくろのことは大丈夫だ」と思えた。

彼女は大雑把な私と違い、細かいところまで目配りがききます。小学校の後輩でもあり、母のファンでもいてくれた彼女がいたからこそ、やってこられた——。

集中治療室で管につながれ苦しみながら、「おふくろと同じことをしてしまった」とも思いました。おふくろは、私の実父である弟や身近な人が亡くなってからは、家でお酒とたばこを手放せなくなって。私は「やめたほうがいいよ」と言い続けてきたのに、気づけば自分が同じ飲み方をしていた。

自分自身が倒れて初めて、美空ひばりでいることの孤独さや寂しさは相当なものだったんだろうな、と身に染みました。

おふくろは最初に47歳で倒れた後、一時は復帰したいという思いでがんばっていたし、「ステージで死ねたら本望」と周囲にもよく言っていました。でも、体調が悪化するにつれ、もう再び歌えないと悟った時、死にたいと訴えることさえありました。

亡くなる1ヵ月くらい前、母の日のプレゼントのお返しに、手紙を渡してくれました。そこには、意外なことが書かれていました。「もう私も、死にたいなんて言わずに、和也と一緒に新しい人生を歩みたいと思っています」と。

そのひとことが、息子の私にとって、どれだけうれしかったか。この人のためならなんでもしようと、その時心底思いました。

おふくろの歌を次代に受け継ぐために


おかげさまで私は奇跡的に命を救っていただき、仕事に復帰することもできました。酒量も減らし、体調に気を配っています。

昨年は『NHK紅白歌合戦』で「AI美空ひばり」が登場し、大きな話題となりました。もちろん、賛否両論あったと思います。

もともとあれは、紅白のために作ったわけではありません。NHKの技術の方からAIの可能性に挑戦してみないかとお話をいただいて始まったプロジェクトで、2019年9月に『NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり』という番組で結実しました。

おふくろは、新しいものにはすべてチャレンジしたい、という精神の持ち主でした。たとえば私が小さい頃は、一人で寝るのが寂しい息子のために、自分の童話の読み聞かせをカセットデッキで録音して置いておいてくれたり、その時々の最新技術をプライベートでも取り入れていた。

仕事先の楽屋などでアニメが始まったら、僕のためにテレビの前にカセットデッキを置いて録音してくれたこともあります。音だけだと、なかなかわからないんですけどね。(笑)

今回は、私自身も最新の技術であるAIの可能性に興味があったので、お話に乗った次第です。ただし完成映像を事前には確認しないで、生放送でファンの方々と一緒に初めて観たい、というのが、制作側へのお願いでした。

もし「えっ、これ?」みたいなものだったらどうしよう、という不安もありましたよ。でも、たとえどうであれ、その時に自分から出てくる感情がすべてだと思って。結果、気がついたらみっともないくらいに号泣していました。過去の映像はいつも観ていますが、あの映像は、おふくろが今生きてそこにいて、語りかけてもらったような気がして……。AIに抵抗がある方もいるでしょうが、新たな可能性を見た気がしました。

YouTubeで美空ひばりを発信?


最近は若いミュージシャンが楽曲をカバーしたり、映画の挿入曲として使ってくださったり。アンテナの鋭い方たちが、けっこう興味を持ってくれているようです。

思い起こせば僕も若い頃、大友克洋さんの劇画が原作の『AKIRA』映画版で、笠置シヅ子さんの「買物ブギー」が流れて——「知らない曲だけど、なんだこれ、かっこいい!」と思った覚えがあります。

そこから調べて、笠置シヅ子さんの存在を知り、上野のガード下にある昭和歌謡のカセットなどを扱っているお店まで買いに行きました。自分にもそんな経験があるので、まだまだ可能性がある。

昭和という時代のよさを若い人たちに伝えるのが、たぶん新しいファンの方を獲得していくには一番いい方法なのではと思っています。

DJとして国内外で活躍している中学時代の友だちも、最近「おふくろさんのSPレコードないの?」と聞いてきました。そのままプレーヤーでかけると若い人たちにも受けるそうで、「いいものはいいんだよ」と。その彼の言葉がうれしかったですね。魂が入っている本当にすぐれた芸能は、時代が変わっても風化しないんだと実感しました。

歌は時代の記憶でもあるから、消えてしまってはもったいない。たとえば「東京キッド」なんか、戦災孤児の歌ですから。今の若い方は、戦災孤児なんて知らないでしょうね。なにせ「もぐりたくなりゃ、マンホール」ですよ(笑)。

でも、聞くことが知ることにもつながる。想像力も養われ、人にやさしくなれたりもします。仕事でモンゴルを訪れた際、いまだにマンホールチルドレンがいることに驚き、おふくろの歌を身近に感じましたね。

私が相続したもののうち一番大きなものは、昭和を代表する歌手であった美空ひばりの歌であり、実績だと思っています。いわば、美空ひばりの存在そのものです。受け継いだからには、次世代に「美空ひばり」を伝えていくのが私の役目。これからはYouTubeチャンネルなど、さまざまな方法で美空ひばりを発信していきたい。そのために、とにかく踏ん張れるだけ踏ん張るつもりです。

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