「さんざん擦った揉んだしたんです」デビュー30周年のGLAYが“1999年の解散危機”を明かした

2025年5月10日(土)7時0分 文春オンライン

 人気バンド・GLAYのTERUとJIROが月刊「 文藝春秋 」(2025年6月号) のインタビュー に答え、これまであまり触れてこなかった解散危機について語った。



GLAYのTERU(右)とJIRO ©︎文藝春秋


 1988年、郷里の北海道函館市で、幼馴染のTAKUROとTERUを中心に結成されたGLAY。25年ぶりの紅白出演も果たした昨年は、GLAYにとってデビュー30周年というメモリアルイヤーでもあった。


驚異的ヒット、20万人ライブ…人気絶頂期に事務所と…


 メンバー間の仲の良さで知られるGLAYに解散危機が訪れたのは、人気絶頂期にあたる1999年。1997年に「口唇」がシングルとしては初のオリコンチャート1位となり、その3カ月後にリリースした「HOWEVER」はシングルとしては初のミリオンセラーを達成。同年にリリースした初のベストアルバムは出荷枚数約500万枚という驚異的なヒットを記録した。そして、1999年には幕張メッセ駐車場特設ステージで“20万人ライブ”を開催している。


「あまり表には出ていない話ですが、実はバンドと当時の所属事務所との間で、さんざん擦った揉んだしたんです。自分たちのプライドを守るのか、今後の活動をするために妥協するのか、という岐路に立たされました」(JIRO)


「ツアー中、JIROがまったく笑わなくなっちゃってね。あのときは『アンコールをされてもステージに戻りたくない』って思っていたんだよね?」(TERU)


「あのときは『GLAYとは別の名前で再出発しよう』という意見が出たくらいでした。でも、その後に4人で話し合って、『自分たちがプライドだと思っていることも、大したことじゃないかもね』となんとか折り合いをつけることができました」(JIRO)


“解散危機”を乗り越え、ファンに宣言「絶対に解散しません」


 当時まだ20代だった彼らは、この“解散危機”を乗り越えたことでより結束を深め、2012年、大阪・長居スタジアム公演のアンコールで、TERUは「絶対に解散しません」とファンに宣言した。


「今はお互いに言いたいことを言い合えるバランスになってきました。事務所から独立した時も話し合いをたくさんしたし、そういう経験しているから、今となってはどんな問題も全部ちゃんと4人で解決できる自信があります」(TERU)


 記事では今年2月の東京ドームでのLUNA SEAとの“対バン”の舞台裏、TERUの建てた函館スタジオでのレコーディングの様子なども語られている。「 GLAYデビュー30年インタビュー 継続の美学 」は、5月10日(土)発売の「文藝春秋」6月号に10ページにわたって掲載される(ウェブメディア「 文藝春秋PLUS 」では5月9日公開)。


(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2025年6月号)

文春オンライン

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