『サブスタンス』を見る前に知ってほしい5つのこと。R15+じゃ足りない“グロさ”の先にある誠実さとは

2025年5月16日(金)20時40分 All About

第75回アカデミー賞に5部門にノミネートされた『サブスタンス』がはちゃめちゃに面白い映画でした! グロテスクな表現をはじめとした、見る前に知ってほしい5つのことを解説しましょう。(画像出典:(c)The Match Factory)

5月16日より、第75回アカデミー賞で作品賞を含め5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した『サブスタンス』が劇場上映中です。
結論から申し上げれば、本作ははちゃめちゃに面白い! 上映時間は142分と、ホラーというジャンルの中では長めですが、退屈する隙などいっさい与えません。「想像のはるか先で暴走する狂気のエンタテインメント、<必ず>観たことのないものをお見せします」という触れ込み通りの、「超エクストリーム」な内容だったのです。
予備知識はまったく必要としない、誰にでも分かりやすいシンプルな内容でもあります。その一方で、見る前の注意点や、知っておいてほしいことがいくつかあるのも事実。5つのポイントに分けて紹介しましょう。

1:本当にR15+でいいの? 人間の想像の限界値と思うほどのグロさ!

本作の何よりの注意点は、「刺激の強い肉体損壊および大量の流血描写がみられる」という理由でR15+指定がされており、実際に見てみると「R18+でもおかしくないよ!?」と思えるほどにグロいこと。具体的なシーンについては秘密にしておきますが、とにかく展開も、画(え)としても、「人間の想像の限界値」と感じてしまうほど。そんなわけで、グロいのが絶対にダメという人には、まったくおすすめできません。しかし、残酷描写やスプラッター(血しぶきが飛び散るなどの描写)が大丈夫という人は、絶対に映画館で見た方がいいです。
メイクアップ&ヘアスタイリング賞の受賞理由を知ったときには、「そういうことだったの!?」とあっけに取られつつも、「でも、これは受賞するわ」と思わず納得してしまうほど。キャストとスタッフの卓越した仕事ぶりに感動し、何より、物語にとって“グロさ”が不可欠だったことがはっきりと理解でき、すさまじい感情の揺れ動きがあったのですから。
アカデミー賞ノミネート&受賞作といえば、「格式高い」「アート的」なイメージを抱く人もいるかもしれません。
この『サブスタンス』という、恐ろしく暴力的、あるいは過剰に露悪的、もしくは「見世物」的とすらいえる作品が、世界最高峰の賞に選ばれるというのは、皮肉ではなくアカデミー賞の「懐の広さ」を思い知りました。それと同時に、「なるほど、これアカデミー賞にふさわしい」と納得できる、問題への「批評性」も同居していたのです
本作は、女性のヌードもはっきりと映ります。主演を務めたデミ・ムーアの「全てを見せつけるような」覚悟と挑戦もまた、物語およびメッセージには必要なものでした。

2:「エイジズム」の本質を映した物語

本作のあらすじは、「50歳の誕生日を迎え、仕事を失ってしまった元人気女優『エリザベス』があやしい再生医療に手を出したことで、若さと美貌を持つ『スー』という『分身』が誕生する」というもの。
そのスーとは「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったのですが、スーもエリザベスもルールを徐々に破るようになっていき、やがて破壊的な事態に陥ってしまうのです。本作ははっきりと、「エイジズム」の問題に切り込んだ作品です。彼女はエアロビクスの番組を50歳という年齢を理由に降板させられ、自身の存在価値を見失ってしまいます。しかし、手に入れた若い分身はすぐに大評判になり、あっという間にスターダムに上り詰めてしまい……。
本作は前述したように画のグロさがとてつもないのですが、真にグロテスクかつ暴力的なのは(男性主導のコミュニティーにおける女性の)「若さと美貌が全て」になる価値観および「土壌」なのかもしれないと、その対比構造から思い知らされるのです。その様ははっきりといびつであり、あれよあれよと最悪な方向へと突き進む物語は、もはやブラックコメディーともいえる領域に。同時に、若さへ固執することを「あざけ笑う」ような構図に陥ってはおらず、主人公の愚かしさは周りの価値観にも起因しています。だからこそ、社会全体の問題を「あぶり出す」ような描写にもなっているのです。
特にデニス・クエイド演じるプロデューサーは発する言動の数々は、エイジズムを極端に映しだしたものであると同時に、それが「現実に確実にあるもの」としても感じられ、恐ろしさを助長しています。加えて、ぜひ頭の隅に置いてほしいのは、主人公が劇中の再生医療「サブスタンス」に関して、「忘れるな、あなたは1つなのだ」と再三にわたって注意されていること。
例えば、エリザベスとスーは同一人物のはずなのですが、入れ替わっている間に互いを罵倒し合い、それは共に同じエイジズムの価値観に支配された結果にも感じられます。どの年齢になっても「若さが最強の武器」と思い込んでしまうこと——それもまたエイジズムの問題なのかもしれません。

3:あの韓国のアニメ映画にも近い?

本作に極めて近い作品は、韓国発のオムニバスコミック『奇々怪々』の一編で、劇場アニメ版が日本でもスマッシュヒットした『整形水』です。
同作では、思い通りの顔になれる水のせいで「見た目が全て」になってしまう恐ろしさと浅はかさを痛烈に描いたサスペンスホラー。『サブスタンス』も同様の「ルッキズム」の問題をはっきりと表していました。
また、現実にはあり得ない現象を物語の中心に据えていることから『世にも奇妙な物語』の一編のような印象もありますし、便利な道具を使って調子に乗ってしまい「しっぺ返し」が起こる物語の構造から、『笑ゥせぇるすまん』や『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』といった作品群を思い出す人もいるでしょう。エイジズムを扱ったホラー(というよりコメディー)映画には、1992年公開の『永遠に美しく…』もあります。そのように類似作品を上げられるということは、メインの物語には新鮮味がないともいえますが、『サブスタンス』の本編を見ればその欠点を感じることはほぼないはずです。
何しろ本作は「語り口」がフレッシュで、例えば「卵の黄身が2つに分かれる」イメージの映像や、主人公の「激情」「負の連鎖」を表現しているかのような音楽もアグレッシブだからです。
あえて下世話な表現をすれば「バキバキにキマッている演出」が目白押しであり、誤解を恐れずに言えば、SNSで見るショート動画に似た「見るものを釘付けにする」「手数の多さ」を感じたのも事実。それでいて、映画館で見る映画としての「没入観」も損ねていないというのが美点です。特に「音響」は間違いなく閉ざされた空間で、耳だけでなく「全身」で味わうべきものだと思いました。
ともかく、本作を「どこかで聞いたようなファンタジー」だと思ったとしても、実際には映画館に足を運んでこそ初めて分かるような、「かつてない映画体験ができる」と断言します。それは、前述した“エクストリームなグロさ”も含めて、なのです。

4:監督自身の「実人生」を通した意義を感じる作品に

本作は、コラリー・ファルジャ監督と主演を務めたデミ・ムーアの「実人生」および「学び」とつながっているといえます。それでこその説得力と意義があるのも美点でしょう。例えば、コラリー監督は本作を手掛けようと思ったきっかけについてこう語っています。
アクション映画『REVENGE リベンジ』で40歳にして監督デビューを果たした当時、「もう終わり、自分に価値がない、映画界に居場所がない」と感じたほか、若い頃は自分の体が「完璧なお尻や胸じゃない」と感じたり、年齢を重ねると今度は急にシワや老化が気になったりしてしまったそう。そして「女性は人生の各段階で常に、『自分は完璧じゃない、何か問題がある』と感じざるを得ない」ことを告白しています。
また、ゴールデングローブ賞において、コラリー監督は受賞コメントにて「ある年齢に達したら価値がなくなるなんて、くだらない考えが私の頭の中にも芽生え、頭を占領していったのです。全くナンセンスだと思いませんか? そこで、本作の脚本を書こうと思い立ちました。この現実に立ち向かいたかったのです」と語っています。つまりは、監督自身が若さへ固執し、老化への恐れもあった一方で、それが「バカバカしい」とも一笑できるようにもなったということ。それが「ホラーというよりほとんどブラックコメディーでは?」と感じてしまうほど「笑える」作風にもつながっているといえますし、そうしたエイジズムのくだらなさは、グロテスクな表現の「暴力」として襲い掛かってくるのです。
本作の語り口は確かに挑戦的ですが、だからこそ監督が強く伝えたいメッセージが真っすぐに響き、その姿勢にむしろ「誠実さ」を感じました。
本作の意義は、コラリー監督と、『パシフィック・リム』などのギレルモ・デル・トロ監督の対談動画でも、はっきりと分かるでしょう。

5:デミ・ムーア自身も学んだ「十分になれない」からこその希望

主演のデミ・ムーアも、ゴールデングローブ賞の主演女優賞の受賞コメントにて、30年前にあるプロデューサーに「あなたは“ポップコーン女優”だ」と言われたことを明かしました。それを信じて受け入れ、自分自身が「このような(賞をいただくことは)許されない」存在なのだと思い込んでしまっていたともいいます。
その上で、コラリー監督や「もう半分の自分を与えてくれた」と表する共演のマーガレット・クアリーへの感謝を告げつつも、「この映画が伝えていると思うことを1つだけお伝えしたい」と前置きして、こう述べています。
「それは、自分が十分に賢くない、十分にきれいじゃない、十分に痩せていない、十分に成功していない、要するに、十分に足りない、と感じる瞬間についてです。ある女性が私にこう言いました。『覚えておいて、あなたは決して十分にはなれない。でも、物差しを下ろせば、自分の価値を知ることができる』」
これは、後ろ向きなようで、実は大きな希望だと思います。確かに成功したい、美しくなりたい、といった要求は多くの人が持つものであるけれど、その「十分」には終わりがないのかもしれない……劇中でデミ・ムーアが「鏡」の前に立つシーンと、その場面での渾身の演技を通して、まさにそのことをまざまざと思い知らされました。
「十分」のエスカレートが極限にまで達したのが、あのとんでもないクライマックスであり、反面教師的に「こんなふうにならなくて良かった……!」と心から安心できる、「今の自分を肯定できる」構造も備えているのです。作品そのものの意義や志の高さを感じながらも、やっぱりどこまでも暴力的で露悪的で見世物的なホラーであり娯楽作ということも、この『サブスタンス』の良いところ。「今までに決して見たことがないもの」を大いに期待して劇場に運んでもらいたいですし、「阿鼻叫喚」という言葉がふさわしい画と展開の数々は、「逃げられない」映画館でこそ堪能してほしいです。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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