中尾ミエ 「可愛いベイビー」“御殿”建設後も社長宅に住み続けたワケ「悪いから1年くらい...」
2025年5月19日(月)22時21分 スポーツニッポン
歌手でタレントの中尾ミエ(78)が、19日放送のBSトゥエルビ「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん〜昭和の大先輩とおかしな2人〜」(月曜後9・00)にゲスト出演し、デビュー当初と同年代の歌手について語った。
1946年に福岡・北九州の小倉で誕生。6人きょうだいの4番目だった。祖父が創業した教科書の卸売り業で成功し、父が2代目として継いだという。当時の生活は裕福で、「学校なんかは、いい学校に入れた」と明かした。ところが、父の事業失敗で家を転々とする生活に。最終的には家族8人で上京することになり、中尾も若くして仕事をして家族を養う決意をしたという。
米軍キャンプで歌って歌唱力を磨き、大手芸能プロの渡辺プロに日参し、契約。創業者で当時社長の渡辺晋さんの家に住ませてもらったという。「そこに梓みちよが福岡から出て来るんだけど、1人じゃ寂しいだろうから、私と伊東ゆかりが一緒に、社長の家にね」。同年代の女の子3人がともに生活していたことを明かした。
伊東とは後に「スパーク3人娘」を結成。園まりさんと3人で「シャボン玉ホリデー」などに出演、人気を博した。伊東とは今でも、ともにイベントを開く間柄だが、当時は微妙な距離感だったという。「強いというか、しんとかじゃなくて、協調性がない。あの人、嫌々始めた人だから、親の都合で」とズバリ。「あそこは親と離した方がいいということで、社長が(引き取った)」。そんな境遇から、伊東は「何にでも反抗してた」といい、同じ学校に通っていたにも関わらず、「電車に乗ってても全然バラバラ。家は同じでも」と打ち明けた。
梓、伊東はそのうち、渡辺さんの家を出て生活。中尾も1962年に「可愛いベイビー」が大ヒットし、家族が住むための家を建てたという。「社長宅が新しく家を建てるという時に、私の家が先に建っていたんですよ」と明かし、MCの笑福亭鶴瓶、エッセイスト阿川佐和子さんを驚かせた。
いち早くスターダムに躍り出たはずだが、渡辺さんの家には最後まで残っていたという。「(渡辺さんが)新しい家を建てて、私の部屋を作ってくれたというから、悪いから1年くらいいますかって。自分の家はあるんだけど、また1年くらいいて」と、渡辺さんの恩義に応えて同居を延長したことを明かしていた。