変革の軌跡~NECが歩んだ125年 第17回 創業100年目の歪み、存在を賭け問うた「NECとは?」

2025年3月4日(火)12時0分 マイナビニュース


1980年代以降のNECは、事業の拡大を目指し、あらゆる事業機会に対して、資金と人材を投入してきた。
その結果、1980年度に約1兆円だった連結売上高は、2000年度には5兆4097億円にまで拡大。従業員数は約6万人から15万8000人に、連結対象の企業も33社から165社と、20年の間に、巨大企業へと急速に成長していった。
急成長の歪み、危機の足音
この間、順調な成長を遂げていたように見えたNECだが、内側には歪みも抱えていた。
ひとつは、1990年代には、NECのD/Eレシオ(負債資本倍率)は2倍前後で推移。財務的な健全性よりも、事業の拡大を優先する経営となっていた点だ。借入金に依存した事業経営であっても、成長が続いている間は、支障なく回し続けることができる。だが、歯車の回転が鈍くなると、崩れる危うさを内包していたと言わざるを得なかった。
実際、1991年のバブル崩壊によって、日本経済が低迷期に入ると、それはやがてNECの経営に、深刻な影響を及ぼす事態となった。
2つめは、事業収益のもたれ合いと、そこから生まれる「甘え」の構造だ。
どこかの事業が損失を出しても、別の事業の利益で補填し、NEC全体で利益が出ていればそれでよしとする風潮が、1990年代半ばには恒常化していた。
NECは、1992年度に452億円の損失を出したが、1993年度には黒字に転換。その後、1994年度には359億円へと黒字が拡大。1995年度には767億円、1996年度には928億円、1997年度には474億円の利益を計上した。
数字の上では、堅調な業績だ。だが、1994年度と1995年度は、パーソナル事業が大きな損失を出していたものの、ITバブルを背景に好調だった半導体事業の収益がそれを覆い隠した。また、1996年度および1997年度は、パーソナル事業、ホームエレクトロニクス事業、電子デバイス事業が損失を出したが、携帯電話の普及を背景とした通信インフラ事業が好調であり、損失を計上した事業のマイナスが深刻視されることはなかった。
つまり、NEC全体では利益が出ているという意識が組織全体の危機感を希薄にし、課題事業に対する原因の究明や、改善に向けた対策がおざなりになるという結果につながっていたのだ。
数字の上では好調に推移していたNECだが、1998年度になり、いよいよその構造に限界が訪れた。通信、コンピュータ、半導体といった主力事業のすべての成長が鈍化。その結果、NECは1513億円という巨額の損失を計上してしまったのだ。
そして、3つめの要因としては、1980年度からの20年間でNECは、連結売上は約5倍に、社員数は3倍近くに増加していながらも、経営体制は大きく変わることなく、社長に権限が集中し、そのリーダーシップに大きく依存する事業運営が続き、経営の風通しの悪さを生み出していた点だ。事業拡大とともに膨張、複雑化した組織や制度が、経営陣と社員の間の意思疎通、部門間の情報や問題意識の共有を妨げることになっていた点も、経営の意思決定の遅れにつながったといえる。
創業100周年の大きな傷
時代が大きく転換するなかで、NECも変わらなければ生き残れないという事実が突き付けられたといえるのだ。
しかも、そこにひとつの事件が追い打ちをかけた。
1899年に創業したNECにとって、1999年は創立100周年という記念すべき年になる。それを間近に控えた1998年9月3日、NECに大きな衝撃が走った。
グループ会社である東洋通信機とニコー電子の2社による防衛庁との取引に関連して、NEC社員が逮捕される事態が発生したのだ。容疑は、防衛庁の装備品納入を巡って、両社が作業工数を水増しするなどして、納入代金を過大に請求(水増し請求)。本来、防衛庁に返還すべき金額を不正に圧縮して国に損害を与えたこと、さらに、その減額の見返りとして、防衛庁調達実施本部の担当者に対して、退職後にNECのグループ会社の顧問就任を約束していたのではないか、ということだった。
9月4日には、東京地方検察庁特捜部がNECを強制捜査。合計で4回に渡る強制捜査を受けた結果、最終的に、NECには組織的関与があったと認定され、本社やグループ会社の役員を含め、計12人が逮捕されるという事件に発展したのである。これを受けて、同年10月には、関本忠弘会長(当時)が責任を取り、辞任することとなった。
そして、1999年10月12日には、東京地方裁判所において、12人全員に対して、執行猶予付きの有罪判決が言い渡された。
NECは、防衛庁はもとより、官公庁や自治体からも指名停止を受け、事件の影響による指名停止は630団体にものぼった。
NECでは、東京地方検察庁特捜部による家宅捜索が行われて以降、専務取締役を委員長とする「調達問題調査委員会」を設置し、内部調査を実施。その結果、防衛庁ならびに宇宙開発事業団(NASDA、現在の宇宙航空研究開発機構=JAXA)との契約においても過大請求の事実を確認し、双方に事実を報告した。返納額を算定した結果、NECグループ関連会社を含めた金額は約600億円(金利を含む)。防衛庁やNASDAにこれを返還した。
この事件は、NECの歴史において極めて重大な出来事であり、NECのブランドに大きな傷をつけ、業績にも大きな影響を及ぼすこととなった。
なお、現在のNECでは、「コンプライアンスの日」を制定している。
NECは、2016年と2017年に、消防救急デジタル無線機器や電力保安通信用機器に関する3件の取引事案に関して、公正取引委員会から独占禁止法違反(談合)の認定を受けた。これにより、課徴金納付命令などの処分や数10億円の損害賠償に加えて、1000を超える官庁および自治体などから、最長で2年を超える指名停止を受けることになったのだ。
NECでは、社内に対するコンプライアンスの徹底を図るために、2017年から、この事案で公正取引委員会の立ち入りがあった11月18日を、「NEC コンプライアンスの日」と定め、現在でも、コンプライアンスの重要性を、社員に考えてもらうための取り組みを行っている。
改革の道は、いばらの道だった
主力事業すべての成長が鈍化し、1998年度に巨額の赤字を計上。そして、防衛庁調達実施本部背任事件によって、会長が辞任し、ブランドイメージが失墜するという危機的状態に陥ったNECは、抜本的な経営体制の刷新や、企業風土の変革に取り組むことしか、残された道はなかった。
それは、全方位拡大路線を改め、事業の選択と集中による変革を推進し、NECの古い体質や企業文化が抱える問題と決別する新たな経営と企業文化を創るという、いばらの道の始まりでもあった。
1999年3月、社長に就任した西垣浩司社長は、社内に向けた就任挨拶において、大幅な赤字は、不況の影響という外的要因や、前年に発覚した防衛庁調達実施本部背任事件の影響だけではないと指摘し、NECそのものの経営体質に課題があることを示した。
西垣社長(当時)は、「インターネットに代表される技術革新が情報革命を先導するなかで、我々を取り巻く経営環境も急速に変わりつつある。その結果、高収益を上げていた事業が、あっという間に不採算事業に転落してしまうことが起こっている。これまでのような『もたれ合い』のなかで、甘い経営を続けていては、昨日の常識が通用しなくなるほど早く、激しい変化の時代を生き抜いていくことはできない」と、厳しく指摘した。
西垣社長は、就任と同時に、自らを委員長とし、10人の役員が参加する経営革新委員会を設置。強い危機感を持ってNECの改革へと動き出した。
まず取り組んだのが、経営機構の改革だ。権限を分散させ、迅速な意思決定と、透明性の向上、責任の明確化を図るために、社内カンパニー制と執行役員制度を導入。企業や個人、官公庁向けの事業を展開するNECソリューションズ、ネットワークオペレータ向け事業を展開するNECネットワークス、デバイスソリューション事業を展開するNECエレクトロンデバイスの3つの社内カンパニーに再編した。
さらに、家電事業を担当していたNECホームエレクトロニクスの事業活動を2000年3月に終了させ、会社を解散したほか、2001年にはソフトウェア関連のグループ会社の大規模な統合や、パソコン関連事業の分社化、2002年には、DRAMを除く半導体事業の分社化など、大胆な事業再編を次々と実行。また、2000年1月には、本社ビルの証券化スキームによる売却をはじめとした固定費削減や、構造改革に必要な資金調達のための各種施策を相次いで実施した。
とくに、西垣社長が指摘した「高収益を上げていた事業が、あっという間に不採算事業に転落する」といった事態が、すぐに現実化すると見られたのが、インターネットに普及による通信環境の変化である。日本の通信インフラを支えてきたNECにとっては、まさに大きな波がやってくるのは明らかであった。
NECでは、1999年9月に、「Invitation to The Internet」のコンセプトを打ち出し、全社の力をインターネット領域に結集させていくことを発表。3つの社内カンパニーがそれぞれに、インターネット領域での事業を推進するとともに、顧客の課題を解決するソリューションの提供へと、事業の軸をシフトする方針を打ち出した。
NECは、2000年度に売上高5兆4097億円を達成し、初めて5兆円企業の仲間入りをした。だが、これが同社の売上高としてはピークであった。
ITバブルの崩壊によって、半導体事業が大きな打撃を受けたNECは、2001年度には過去最悪となる3079億円の損失を計上。さらに、2007年のリーマンショックによって、NECは2008年度には2966億円の赤字を計上した。
この間、NECの改革はさらに続いた。
2003年3月に、西垣社長からバトンを受け継いだ金杉明信社長は、事業環境の急速な変化に対応するため、社内カンパニー制を見直して、9つの事業ライン制に再編。DRAMによる半導体事業を分社化し、ITソリューション事業とネットワークソリューション事業に経営資源を集中させる体制へと移行した。
また、2006年4月に就任した矢野薫社長は、企業体質の改善を最優先とした「守りの経営」から、新たな製品やサービスの創造に注力する「攻めの経営」への転換を宣言。NGN(次世代ネットワーク)を中核事業に据えるとともに、NECグループのシナジーを発揮するために、「One NEC」をスローガンに掲げながら、事業の選択と集中、不採算部門の整理などを継続的に実施。2万人規模の人員削減も実施した。
このように、2000年代に入ると、家電や半導体、パソコン、携帯電話端末といったNECを支え、NECの名を社会に広めてきた事業は、相次いで、縮小や分社化、売却が行われることになった。
創立100周年を迎えた1999年以降に繰り返された戦略と組織の再編は、NECにとってまさにいばらの道であった。
問いなおした「NECとは、何なのか」
2010年4月に社長に就任した遠藤信博社長は、就任直後から、マネジメントチームによる週次の会議「Vミーティング」をスタートした。
事業領域や組織の枠を超え、NECが抱える課題について本音で議論を重ねることを目的としたものであり、NECの風土を変えるカンフル剤になることを目指した。
だが、活動を続けたものの、それが業績に表れることはなく、2012年度を最終年度とした3カ年の中期経営計画「V2012」の目標は、未達という結果になった
目の前に課題が山積しているにもかかわらず、変わることができないNECの姿に強い危機感を持った遠藤社長は、1万人の人員削減を含む構造改革を断行。「ITサービス」「キャリアネットワーク」「社会インフラ」の3つを軸に据えるほか、新規事業としてエネルギー事業を新たな柱に据える方針を打ち出した。目指したのは、「現状の売上高の水準でも、安定的な収益をあげる効率的な事業運営」であった。
このころ、NECの経営チームは、ひとつの答えを模索していた。
「NECは何の会社なのか」、「NECはどのように、社会に貢献していくのか」——。
組織や体制の再編が繰り返されるなかで、NEC全体が進むべき方向や、社会に対して提供できる価値を見失いつつあった時期でもあり、それはNECの存続そのものを問うテーマでもあった。
遠藤社長は、2012年6月から、月に一度の合宿によって議論を深める「V合宿」を開始した。経営の意思決定者で構成された参加者は「Vメンバー」と名付けられた。
V合宿では、「NECが人間や社会に貢献し、100年以上先まで継続、繁栄していくために必要とされる企業のあり方、経営のありようを、トップマネジメント自らが考え、構築、実践していくことを目的に議論を進める」とし、その結論を、具体的な経営目標に落とし込む作業を行った。
V合宿に参加したVメンバーは、将来のNECの姿を考え、それを実現するために、いま、NECのマネジメントチームはどうすべきかを考えた。ここでは、顧客へのインタビューや社員の声、NECが社会でどう捉えられているかといったアンケート調査も活用し、NECはどのような価値を提供できる企業なのかについての議論を深めていった。
また、小林宏治社長が、1977年に打ち出した「C&C」宣言に立ち戻り、小林社長の著書を熟読するだけでなく、小林社長を支えていたスタッフを招聘して議論を交わし、同社長が打ち出した「点から面への経営」を正しく理解し、「社長以外の役員は、社長の分身、役員相互の信頼関係を保持、相互の情報を共通にする」という意思を継承することも決めた。
さらにV合宿では、NECの良いところは何か、残すべきものは何かといった議論だけでなく、変えなければいけないところについても、一つひとつ徹底的に議論を重ねていったという。
Vメンバーには、自分たちのあり様を、いま見直さなければ、NECの新しい姿を見いだすことはできないという、存在を賭けた瀬戸際の危機感があったのだ。
その結果、導き出した答えのひとつが、2012年9月に発表したステートメントであった。
「NECグループは、『人が生きる、豊かに生きる』ことを念頭において、安心、安全、公平、効率的で豊かな社会を実現するために、世界中の政府・企業に対する基盤の提供者として、また自ら主体者として貢献します。今日より明日、明日より明後日、よりよく生きることができるように新しい価値を提案創造し続けます」
このステートメントは、NECがグローバルな社会価値を創造する企業へと変革するための起点となった。
2013年4月には、このステートメントに沿って策定した「2015 中期経営計画」を発表。そこで改めて「社会ソリューション事業」を、NECの「事業のベクトル」と定義してみせた。

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