「ストロングスタイル」平井丈雅代表、90歳で亡くなった新間寿さん「仕掛け人魂」継承を誓う「米粒ほどのかけらでも受け継がせていただきたい」

2025年4月25日(金)12時42分 スポーツ報知

(左から)平井丈雅代表、新間寿さん、初代タイガーマスク

 ストロングスタイルプロレスの平井丈雅代表が25日、スポーツ報知の取材に応じ6月12日の後楽園ホール大会に向け、今月21日に90歳で亡くなった“過激な仕掛け人”とうたわれた同団体会長の新間寿さんの「仕掛け人魂」を継承することを誓った。

 平井氏は18日から団体の今後の方針を含め、世界最大のプロレス団体「WWE」が米ラスベガスで開催した「レッスルマニア41」を視察。新間さんの訃報はラスベガスで聞き、23日に帰国し都内の新間さんの自宅を弔問した。

 ベッドに眠る新間さんへ平井氏は「これまでの計り知れないほどいただいたご恩への感謝と改めまして新間会長が生涯をかけて愛されたプロレスを私などは、微力で新間会長の米粒ほどの力もございませんが。自分なりに努力して発展に汗を流していきたいと誓いました」と声を震わせた。

 新間さんは、晩年、記者会見で「今のプロレスが面白くないのは『新間寿』がいないからであります」と自身のような仕掛け人の不在を嘆き「平井!お前が『新間寿』になれ!」と激励していた。新間さんから令和の“過激な仕掛け人”となることを期待された平井氏は「私などが『新間会長のようになります』というのは、おこがましすぎて口に出せませんが、新間会長からいただいた魂は、自分自身と必死に向き合って米粒ほどのかけらでも受け継がせていただきたいと今、思っています」と誓った。

 新間さんは、中大を卒業後に化粧品会社に就職したが、1966年10月に親交があった豊登さんが旗揚げした東京プロレスに入社し、フロントとしてプロレス界に飛び込んだ。同団体はわずか3か月で崩壊。猪木さんと訴訟合戦となるなど確執が生まれたが、和解し1972年秋には、猪木さんが同年3月に旗揚げしたばかりの新日本プロレスに入社した。

 以来、猪木さんのマネジャーとして当時は「禁断」と呼ばれたストロング小林、大木金太郎との大物日本人同士の対決、ムハマド・アリとの「格闘技世界一決定戦」を頂点とする異種格闘技戦、全世界のベルトを統一する「IWGP」などロマンあふれる企画で猪木さんをプロデュースした。

 さらに1978年1月には、ニューヨークのMSGで藤波辰爾(当時は辰巳)がWWWFジュニアヘビー級王座を奪取し、ジュニアという新しい分野を開拓。WWF(現在のWWE)のビンス・マクマホン代表と公私にわたる親交を深め、新日本プロレスとニューヨークマットの距離を深め、1981年4月には、佐山サトルが変身したタイガーマスクをプロデュースし日本中に空前のブームを起こした。89年夏には参院選に出馬した猪木さんが結成した「スポーツ平和党」の幹事長として政治家「アントニオ猪木」を支えた。その後、猪木さんとは決別したが、20年前に佐山が「リアルジャパンプロレス」(現ストロングスタイルプロレス)を設立し、同団体の会長を務めプロレス界の発展に生涯をささげた。

 新間さんの通夜は29日午後6時半、告別式は30日午前10時から実家でもある東京・新宿区の感通寺で営まれる。

スポーツ報知

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