ソフトバンクは窮地でも小久保裕紀のリーダーシップを信じたい 超大藩のお殿様は柄じゃない

2025年5月2日(金)14時53分 スポーツニッポン

 【君島圭介のスポーツと人間】私が小久保裕紀に抱く人物像は「真田幸村」だ。史実に沿った幸村ではなく、講談で語られる真田十勇士を率いて戦国の世で大暴れした馬上の武将こそ、小久保のイメージだ。

 大藩の上品なお殿様は柄じゃない。実際、現役時代の小久保は周囲をピリピリさせるほど自分に厳しく、誰からも親しまれるタイプのリーダーではなかった。

 だが、頑固なまでの真っ直ぐさに惚れ込んで小久保の元に集まってきたのは、孤高のエース・斉藤和巳や日本ハムで新庄政権の名参謀となった林孝哉、不可能と思えたメジャー昇格を成し遂げた川崎宗則ら「十勇士」に引けを取らない個性派たちだった。

 前身のダイエー時代、球団が存亡の危機を迎えたとき、誰よりも大きな声を上げたのも小久保だった。パ・リーグを制した夜、酒に酔ったスポンサーグループが、野球人にとって神聖なペナントを勝手に広げて記念写真を撮っていた。主力の一部は涙を流さんばかりに悔しがった。

 声を上げた小久保は巨人へ無償トレードされる。当時、トレードされていなければ日本球界を離れ、メジャー挑戦する覚悟を決めていた。巨人が日本人大砲の海外流出を防いでくれた。そして、どこよりも伝統を重んじる球団でも“外様”として初の主将に任命される。生粋のリーダーなのだ。

 FAでソフトバンクに復帰したとき、いつか監督になることは分かっていた。

 だが、時代は変わり、存亡の危機にあったチームは他を圧倒する組織力を誇る“超大藩”になっていた。チャンスで主力が凡退したとき、若手がまさかのミスを犯したとき、将となった小久保監督は表情を変えず、ときには小さな微笑みさえ浮かべて見守っている。

 もちろん時代じゃないのは分かっている。でも、もっと感情を表に出していいんじゃないかと思う。1996年、ダイエーの移動バスに生卵が投げつけられたとき、小久保監督が尊敬する王貞治氏は微動だにせず、その屈辱を受け入れたという。だが、そこからどんな思いで3年後の日本一につなげたか。「4番」を背負って一番近くで見てきた小久保監督が一番知っているはずだ。

 将自らが旗を振り、声を発してこそ、チームは戦う集団になる。それこそがソフトバンク本来の姿ではないか。まだ5月に入ったばかり。のちに講談になるようなペナントレースの大逆転劇を待っている。

スポーツニッポン

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