「忘れられない、あの瞬間」ツインリンクもてぎ20周年企画第14回:鈴木亜久里

2017年8月9日(水)11時0分 AUTOSPORT web

 ツインリンクもてぎは今年で開場20周年。その歴史に深く関わったドライバー、チーム首脳たちがもてぎのエピソードや思い出を語る連載企画、第14回はオートバックス・レーシング・チーム・アグリ(ARTA)を率いる鈴木亜久里に話を聞く。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆


「最初は、『とんでもなく凄いものつくったなあ』と思いましたよ。だって、オーバルコース(スーパースピードウェイ)と普通のサーキット(ロードコース)が別個に両方あるんだからね。他にも小さいダートオーバルとかがあって……。まだ日本にはオーバルレースの文化がほとんどなかったような頃だから、それを根付かせていくのは大変だろうな、とも思いましたね」


 世界でも類を見ない壮大なモータースポーツ施設の誕生。それは、F1の表彰台に日本人選手として初めて立つという偉業を達成するなどしてきた国際派の亜久里をもってしても、大きな驚きであった。


 また、今でこそ佐藤琢磨のインディ500初優勝が華々しく報道されるくらいの土壌が日本にもあるが、20年前は今と天地の差があったのも事実。その意味でも、ツインリンクもてぎの貢献は大きい(琢磨はF1時代、亜久里が率いたスーパーアグリF1チームでも活躍)。


 そして、当時現役だった亜久里は、誕生したばかりのツインリンクもてぎのオーバルで最初に開催されたビッグレースで優勝を飾ることになる。


 1997年11月に開催された全日本GT選手権(現スーパーGT)のオールスター戦。その舞台はツインリンクもてぎのオーバル、パイロンによるシケインを設置したコースでの戦いだった。

当時はオーバルにパイロンを作って速度を制限。ZEXELスカイラインの鈴木亜久里/エリック・コマス組が優勝

 GT500クラスはレース1、レース2ともにZEXELスカイラインの亜久里 & エリック・コマスが制し、総合優勝を成し遂げた。


「目が回るだろうなあと思った。もちろんそれは冗談だけど(笑)、当時のGTの(ロードコース用)タイヤはオーバルでの縦Gを想定してつくられてはいなかったから、速度を落とす目的でターン手前にシケインが設置されたんだよね。(レース内容は)正直もう、そんなによく覚えてはいない。優勝したんだから、当然、気分は良かったですよ」

ツインリンクもてぎの最初のビッグレースで見事優勝した鈴木亜久里


 もてぎのオーバルといえばインディカー(チャンプカー時代を含む)日本開催戦のイメージが強いが、実はスーパーGT(JGTC)もそこでレースをしたことがあり、その時に勝ったひとりが“レジェンド”鈴木亜久里であったというのは、記憶にとどめておきたい歴史である。


 もちろん、その後長くに渡ってツインリンクもてぎオーバルを象徴するレースであったのは“インディ日本開催戦”だ。そしてアメリカにもチーム活動の枠を広げていたことがある亜久里にとっては、チーム首脳として、ツインリンクもてぎオーバルで戦った日々があった。そのなかで最も印象に残るレースは、やはり……。


「(2007年に松浦)孝亮がスタート直後にクラッシュした時。あれ以上(に印象に残るレース)はないでしょう(苦笑)。いきなりスピンしているクルマがいると思ったら、ウチだった。もちろんドライバーも一生懸命頑張っているなかでのことだけど、もう目の前が真っ暗になりましたよ。日本のお客さんやスポンサー関係の方も来ているところで……。手応えもけっこうあった時だっただけにね、残念でした。彼に最初にかけた言葉? 忘れました(笑)。正直、あの時は顔も見たくなかったですよ」


 好成績を望めそうな状況でもあっただけに、亜久里にも、ドライバー本人にも、そしてツインリンクもてぎに集まった多くのファンにとっても残念なアクシデントだった。


 ARTAを率いる亜久里にとって、ツインリンクもてぎの思い出はオーバルやロードコースで開催されるトップレースばかりではない。


「ツインリンクもてぎでのARTAのカート夏合宿でも、子供たちとの思い出がたくさんありますね。福住(仁嶺=今季GP3開幕戦のレース1で優勝)も、徳島からお父さんとクルマで寝泊まりしながらツインリンクもてぎに来たんじゃなかったかな。彼が小学1〜2年生の頃。おそらく、そこで僕は彼と初めて会ったと思いますよ。今、世界を相手に頑張っている彼の原点もツインリンクもてぎなんですよね」


 ツインリンクもてぎが20周年なら、亜久里がオートバックスとともに次世代ドライバーの育成を主眼に立ち上げたARTAも1997年のF1日本GP(鈴鹿)での発足会見から今年で20周年。山本尚貴、伊沢拓也、塚越広大、野尻智紀、松浦孝亮……現在の国内トップドライバーの中でも、ARTA出身ドライバーは数多い。その活動の主舞台であることも多かったツインリンクもてぎと亜久里は、実に縁が深いのだ。

現役トップドライバーが直接コーチするARTAの夏合宿。毎年多くのちびっ子ドライバーが参加した

「本当にいろんな思い出があります。アメリカンモータースポーツの文化が、もっとあちこちに根付いてくれればなあ、と思うところもありますね。ツインリンクもてぎみたいに大きいのは無理でも、日本の各地に小さいダートオーバルとかができれば……。それと、もてぎのオーバルでも、一年に一度でもいいのでまた大きいレースをやってほしいですよ。あれだけの大きい施設があるんだから」


“同期生”ツインリンクもてぎに対する亜久里の想いは、いち関係者の枠にとどまらない。最後に亜久里は、ツインリンクもてぎへの熱いエールを贈る。


「(オーバルは)なくしちゃいけないと思うし、西の鈴鹿、東のツインリンクもてぎというかたちで、これからもホンダの2大サーキットとしてずっと頑張っていってほしいです。もっともっと活用の仕方があるとも思うんでね」

ARTAプロジェクトの恒例イベントでもある夏合宿。現在の国内トップドライバーの多くがここから巣立った


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